国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

売りません

2016-05-11 | 番外
「訳の分からない広告」パート3。

左は例によって短絡的連想でしょうが、右はいったい何なんだ? 移住は当分先の話だぞ!(怒)
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お知らせ

2016-04-19 | 番外
とある事情のため本ブログは限定公開とさせていただくことにしました。(なお、どうしても読みたいという方がおられましたらその旨お知らせ下さい。)
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いらぬ世話

2016-04-19 | 番外


スマホ版ブログに表示される広告です。これも前と同じくの記事のタイトルや中身から連想したのでしょうが、もちろん私たちとってはもう済んだことなので必要ありません。と書いたところで消えてはくれないのでしょうけど(苦笑)。
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お知らせ

2016-03-03 | 番外
以下は私の知人、というか恩人が始めたプロジェクトです。

アンデスから日本へ!栄養満点のキヌアを“みんな”の食卓へ!

「ボリビアにも大いに関係していますので」ということで、ここで紹介させていただきました。
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他山の石?

2016-02-18 | 番外
先月6日7日の日記に登場していただいた岡野真幸さんが出演されたテレビ番組(2014年8月15日放映)の映像がこちらで見られます。ご自身がフェイスブックにアップロードされたものなので問題ないでしょう。

ちなみにこちらこちらによると、制作会社が送ったビデオは郵便局で10ヶ月も放置されていたようですね。ひどい話だ。でもありうるから恐いです。やはり少々高くても追跡可能なDHLにしないとダメかも?(EMSはヤバい?
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無理な願い?

2016-01-30 | 番外
今朝家を出る直前にテレビから「パラグアイ」という言葉が聞こえたので画面を見てみたら・・・・このニュースでした。日本の次に長く住んだ国(2000年再訪時の1ヶ月を加えると計880日ぐらいかな)なのでどうしても気になります。(余談ですが、それに続くのがナミビアの約230日 (6回合計) とインドネシアの約140日 (7回合計) 。みんな南半球です。その後はUSAが2回で30日と一気に少なくなり、他は全て10日未満です。)

私が活動していた頃(1989~1992)からあの街は治安が悪いと言われていましたから(注)「やっぱり」という印象です。(注:ただし私が住んでいた西部地域とは反対側に位置していることもあり、ほとんど別の国ぐらいに思っていました。)そして、こちらでも紹介されているようにブラジルとは陸続きで出入り自由ですから無理もないという気はします。それに対して昨年12月21日の日記の終わりで触れたパラグアイ&ボリビア国境はあまりにも違いすぎます。出入りが自由という点では一緒かもしれませんが、国境の町が作られることは未来永劫にないだろうと思っています。もうちょっと通りやすくなってくれるといいんですけどね。
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今年最後かも?(なのに暴走)

2015-12-30 | 番外
今月最高裁判決が出た夫婦別姓問題と同じ時期にネットを賑わしていたのが「同性愛は異常」発言ですね。どっかの県の職員さんがツイッターに書き、別の議員さんが議場でそのことについてヤジを飛ばしたのだとか。私は自分がLGBTにならなかったのはそのような環境が与えられなかったからに過ぎないとも考たりすることもあるので、その種の人達のことを悪く言う気には全くなりません。一方、プロテスタントの中でもかなり保守系の宗派に属していると思しきLindaは、この7月に米国全ての州で同性婚を合法とすることが決まった時に明らかな嫌悪感を示していましたので、この点では二人の見解が一致することはありませんでした。(ついでながら夫婦別姓の件についても少し前に話してみましたが、彼女はその必要性をまるで感じていない様子でした。)

私らのことはさておいて、自分と違う思考や言動パターンの持ち主、それもマイノリティに「異常」というレッテルを貼ることによって自らが「正常」「まとも」であると確認&安心したいという人間の心理はいつの時代でも普遍的なものでしょう。しかしながら、この件について調べてみると同性愛は人間以外の動物にも広く見られるという話ですし(こちら参照)、古代ギリシャやローマ時代ではごく当たり前で現在のようにタブー視されることもなかったそうです(こちら参照)。また日本でも平安時代から存在し江戸時代には結構お盛んだったようで、「同性愛を『異常』とする現在こそが『異常』ともとれます」という記述もありました(こちら参照)。要は事実認識が正確でなければ主張に正当性も説得力も付与することはできないということです。自分の感情(好き嫌い)を喚き散らしているだけと受け取られても仕方ないでしょう。

そういえば「自然(の摂理)に反する」というコメントも結構目にしましたが、野生の動植物を飼い慣らすに留まらず自分の望むように「奇形化」させて好き放題に利用するようになった(その結果地球が本来持っている扶養力の200倍まで増えてしまった)人間という存在そのものが地球上では不自然の象徴であるといっても過言ではないでしょう。年がら年中新鮮なトマトやキュウリが食べられるような国に暮らしていて何を今さら、とも思いますし。そんなに「自然(の摂理)」が好きなら今すぐナミビアの東部とかベネズエラのオリノコ川上流地域などへ行って自給自足の ─それも牧畜・農耕ではなく狩猟・採取による─ 生活を始めてみたらどうですか、と嫌味の一つも言いたくなりました。(明らかに暴論なので話を戻します。)

閑話休題。何かというと体制寄りの発言をする人にも似たような傾向が認められますね。「それが常識」「あたりまえ」というのは思考停止に他なりません。情報を自分で集めてそれを分析・吟味するという作業にはある程度の知力が要求されますが、それを持ち合わせていないということでしょうか。あるいは単に自分の頭で考えるのが面倒なだけなのかもしれませんが。以下は宗教関係の本からの引用ですが、とても含蓄に富む言葉であり憶えておいて損はないでしょう。

正統派が結束するのは、同じ純粋さのまわりに集まって結束するのではなく、特定の「異端」を追い出すためにのみ結束するのである。自分達の内部には、時にはその「異端」と自分達の間の距離よりもっと大きな相違をかかえていても、そんなことは一向に構わないのだ(田川建三著「書物としての新約聖書」から)。

ネットに蔓延しつつあるようですが(そしてテレビでも時々見ますが)、お上の意向に従わない人を「非国民」「売国奴」呼ばわりしても構わないとする風潮にはつくづく嫌気がさしています。(数学者の故森毅さんは「非国民が住みやすい国ほどええ国ということや」とエッセイに書かれていましたけど全く同感ですね。)そういう連中のお決まりのフレーズが「そんなに嫌なら日本から出て行け」だったりするのですが・・・・さて、どうしましょうかね? 私はかねてから(今のところは半分冗談ながら)「日本がものすごく住み心地の悪い国になったら南米にでも逃げる」と(ついでながら「この職場の居心地がものすごく悪くなったらサッサと辞める」とも)言い続けてきたような人間ですが、今年になってその「避難先」が一つ確保できましたからね。(母国語以外にも日常会話に困らない言語が二つあるからこそこんなことが言えてしまうと考えたら、やはり外国語はできた方が絶対得だと思います。)

最後はちょっと過激なことを書きましたけど、今日出国してそのまま戻ってこないということはなく、来月11日に帰国する予定です。さて、どうなりますか?(←まだ言ってる。)

向こうにももちろんネットはありますが、いろいろ忙しいでしょうし利用環境も限られると思われます。それゆえ現地発信が難しいようなら戻ってから「過去」のカテゴリにまとめて投稿します。
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イラッと来る

2015-12-27 | 番外
無料版のgooブログを使ってるので広告が表示されるのは納得してますけど時に鬱陶しい。

左には何をイマサラと言いたい気分ですが、たぶんブログタイトルからの連想でしょう。何と短絡的な。そして右は・・・・・・管理者の顔写真見て選んでんのかオマエら、と言いがかりの一つも付けたくなりますわ。
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後の後?

2015-12-23 | 番外

先日ネットオークションで入手しました。2冊セットが送料込みで250円。ブックオフの108円コーナーで探せば運良く見つかるかもしれませんが、状態の良い美品でしたので悪くない買い物でした。

このエッセイは最初1981~82年に情報センター出版局から書き下ろしの単行本として刊行されました。上中下の全3巻で各巻に10話ずつが収められています。(その後新潮社と小学館から出た文庫本では上下2巻にまとめられています。他に全話収録の分厚い単行本もあるようです。なおこちらで著者と親交の深い編集者との対談が読めます。)

私がパラグアイに住んでいた頃、隣の家(例の物置)に住んでいた先輩が椎名氏の愛読者で、この上中巻を所有していました。私は帰国することになった彼からそれを譲り受けたのですが、あまりにも面白かったので繰り返し読みました。(当時日本語の書物は限られていましたしね。インターネットもない時代でしたから日本語環境は他に短波ラジオがあるぐらいでした。)

ところである日、その先輩に「下巻はないんですか?」と尋ねたところ、「自分は持ってないけどもちろん出ている。そして下巻でも完結しなかったので後に『下の下巻』というのが出たらしい」という返事でした。その洒脱なネーミングに感心したことも憶えています。

話はいきなり二十数年後に飛んで今月のこと、その「下の下巻」の情報を入手すべくネットで検索したものの全く見つからず。おかしいなあと思いつつ、とりあえず先述の新潮文庫を買ったのですが、その(単行本発売時の)「あとがき」には確かに「この話は本当に後もう一冊[下の下巻]というのが出てきちんと完結することになるのですが・・・・」などと書かれていました。しかしながら、それに続く「文庫版あとがき」によれば「下の下巻」を出版するプランも椎名氏に執筆する意欲もあったけれども、結局は着手されることなく立ち消えになったのだとか。要は「幻の下の下巻」を探し求めていたという訳です。

なぜ私が本ブログとは無関係とも思える前置きを書いたのかといえば・・・・・・

当初の予定であった「前後編」からLindaとの婚約以降を記した「中編」を立てて三部構成へと変更することにしたのも、元はといえばボリビアでの結婚(civil)が不可能であると判明したことが切っ掛けでした。ならばボリビアでの結婚(religión)をもってこれを締め括るべきではないか、と私は考えていました。

そうすると帰国後からLindaの来日までを「後編」とせざるを得ない。では、その後(同居以降)をどうしたらいいのか? で、思い出したのが「哀愁の町に霧が降るのだ」の「下の下巻」だったという訳です。(そして懐かしさのため再読したくなったので現物を入手しました。)

しかしながら、そのアイデアは採用しないことに決めました。「後の後編」では語呂が良くないし(「ごのごへん」と読む訳にもいきませんし)、「下の下巻」と比べたらインパクトがなさ過ぎですから。なので「中編」はこれから先もしばらく続きます。

(ちなみに私は電子辞書で調べるまで「上編」「中編」「下編」という分け方があることを知りませんでした。あまり使われていないようにも思いますが、「げへん」が日本語の響きとしてあまりにも汚いからでしょう。ついでながら、「真ん中」だけでなく「長くもなく短くもない」という意味でも用いられる「中編」にしても、紛らわしいのでなるべくなら回避したかったというのが本音です。)

追記
 昨日から上巻を読み始めたのですが、いきなり「あれっ、こんな話だっけ?」と首を捻りました。いくら大昔に読んだ本とはいえ全然記憶にないというのは妙です。それで改めて目次を眺めてみるうちに何となく憶えているのが第11話(単行本では中巻の第1話)以降のタイトルであると気が付きました。つまり読んだことがあるのは中巻のみでした。で、初読の旧上巻ですが、ケンカの話ばっかりでスリリングではあるもののちょっと単調という印象。俄然面白くなるのは登場人物が六畳間のアパートで共同生活を始める旧中巻以降です。
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昔話

2015-12-20 | 番外

左画像 "RED WINE" の下 "УВИТА" から "Aя78" までキリル文字がビッシリと並んでいます。(そのさらに下は見慣れたアルファベット=スペイン語です)。"UVITA"(「小さなブドウ」ぐらいの意味)をロシア語で綴るとそうなるんですね。(私には全く心得がありませんが、アルファベットが少しずれていたりして厄介な言語という印象を持っています。)何にしてもアルゼンチン産のロシア向け製品ということでしょうか? まあ、彼の国はブドウ栽培の北限より高緯度に位置していますから輸入に頼らざるを得ない訳ですが。

ということで、少し前に地元のL店で見切り品の赤ワインを買ってきたのですが、予想外の甘口でそのまま飲む気にはなれず、昨晩の日本語教室クリスマス会の持ち寄り料理(鶏肉の赤ワイン煮)に使ってしまいました。(その味は自分でもイマイチと思いましたが、赤ワインにはビックリするほど良く合います。)それはさておき、右画像の生産者情報にある "Maipú - Mendoza – República Argentina" を読み、私はパラグアイ在住時代によく買っていたメンドーサ産の箱入り白ワイン(通称箱ビノ)を思い出したのでした。

その代物は当時800グアラニーぐらいだったと記憶しています。その後の物価上昇で1300ぐらいになりましたが、それでも1USドルでお釣りが来るほどの激安でした。そして味も価格相当、ではなくハッキリ言って粗悪品でした。開けた途端に何ともいえぬ嫌な臭い(薬臭さ)が漂ってきたし、かなりの高確率で二日酔いになりましたから。(混ぜ物を加えていたと思います。)ですが、パラグアイ西部の超僻地に住んでいた我々(私と先輩の協力隊員)には他に選択肢がありませんでした。(にもかかわらず、その「代物」を村の若者が途中で加わった勢いもあり、買ってきた8箱の全てを一晩で開けてしまったこともあります。翌日は日が落ちるまで起き上がれませんでした。)

酒が買えるのは約50km離れたドイツ系居住地でしたが、宗教上の理由でアルコール類は御法度。(あの町で酒飲みは悪魔呼ばわりされかねない雰囲気でした。)したがってスーパーや商店で扱われることはなく、酒屋の裏口でコッソリ売られていました。ビールはそれなりに品が揃っていたのに対し、ワインといえば先述の代物の他には超絶的な甘口の赤のみ。(砂糖どころかパラグアイ原産というステビアでも入れてたんじゃないか?)消去法で「箱ビノ」を選ぶしかありませんでした。首都からJICA事務所の人が訪ねて来た時に差し入れてくれたチリ産のワインを飲んで「こんな美味い酒がこの世にあるのか!」と感激したことも懐かしい思い出です。(ついでながら、JICAの人には「あれを飲んでるんですか?」と驚かれました。料理用にしか使っていなかったそうです。他にマシなのが手に入るのなら私らも当然そうしたでしょう。)そのワインも今買えば1000円もしませんが(笑)。

次回もパラグアイの話ですが、10日後に迫った渡航と関係しているので「現在」に入れます。
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