国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

三部作

2023-08-13 | 日記
前々回の記事に載せた画像にも写っていた俳句を再掲。実は最初にプリントした時は右と真ん中の2句でした。

前日の夜、父はいろいろなことを私に指示した後、「あそこに辞世の句があるからそれを皆に見せてほしい」と頼みました。それで言われた場所を2日がかりで探したものの見つからず。私にも覚えがあるのですが、保管場所を変えると先の記憶だけが残って行方不明になるというのはありがちなことなので、たぶんそれだろうと思いました。そこで別の方法を試みることに。かつて父が作っていた俳句と短歌は全てパソコンに入力してあったことを思い出し、「辞世」をキーワードにして検索したところ、2句が上がってきました。それが平成14年11月作の「夕照に〜」と平成15年4月作の「処しどころ〜」でした。そして・・・・・

後日別の探しものをしていた時、私は仏壇の引き出しについて思い違いをしていたことに気が付きました。普通なら真っ先に見るところがなぜか盲点になっていたのです。そして、父が言っていたそれはそこにありました。(なお「そのさきは〜」がいつ作られたのかは不明ですが、先ほど「蛍」で検索したところ平成14年7月のファイルでは「〜蛍の立ちにけり」となっていました。)

そうして3句が並ぶことになった訳ですが、改めて眺めればこれで秋春夏の3部作が成立しています。まるで最初からそういう意図で作られたかのように。けれど、もし私が最初から「そのさきは〜」の書かれた和紙を発見していたら絶対こうはなりませんでした。

こういうのにも尤もらしい物語を付けたがる人はきっといるでしょうね。私は与しませんが。でも不思議な気はします。

追記

朝早く墓参りに行きました。「千の風になって」じゃありませんが、先の日記で述べた理由というか事情で父はまだここにはいないはすですけど(苦笑)。

ちなみに最初の画像にある「浄泉」は父の俳号であるとともに戒名(釋浄泉)でもあります。いつになるかは分かりませんが、「釋尼妙泰」の隣に刻印されることになります。

帰宅後、例のテーブルに父が好きだった食べ物などを並べました。これも全てLindaのアイデアですが、祈っている間彼女は嗚咽を漏らしていました。こういうところが日本人以上に日本人的であると私や周囲から思われているゆえんです。
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