朝食後に畑仕事。といっても少しだけですが。
今日もラッカセイを1株収穫。先月よりは莢が大きくなっていましたが、この草の出来からすると寂しい。莢の肥大にはカルシウムが必要と講義で教えているし、実際にも石灰はしっかり入れたつもりですが、何かが足りなかったのかな? 残りはもう少し枯れが進んでから掘り取ります。
サトイモは全部収穫しました。
結局草丈が1mにも達しなかった割に8株でこれだけ穫れたので不満はありません。左の親芋は硬いため食べない人も少なくないでしょうが、うちではカレーに入れるなどして利用し尽くします。
先月掘ったサツマイモは蔓をそのままにしておいたらしっかり根付いて葉が青いまま。どうやらそれが害虫の温床になっているらしいと思ったので(注)、しっかり引っこ抜き、鎌でぶった切りにしてから敷き直しました。これが春まで草抑えになります。(注:隣のカブやダイコンには隔週で殺虫剤を散布していたにもかかわらずバッタに食い荒らされていました。ほとぼりが冷めるまで、というか薬効が失くなるまで隠れ蓑になっていた可能性があります。)
おまけ
11月も後半に入ったというのに本文終わりで触れたバッタがまだ跳びはねていました。いつまで経っても寒くならないせいです。見つけるたびに心の中で「許せ」と叫びながら踏みつけました。無駄な殺生は控えていますが、こればっかりは仕方ありません。もし奈良時代から平安時代の日本仏教が生み出した「地獄」が本当に存在するなら行かなければならないでしょうね。(この後さらに続けます。)
おまけ2(暴走編)
もうだいぶ前の話ですが、琵琶湖在来の魚類を捕食する外来魚の回収箱への投入を拒み、キャッチ&リリースを続けていた釣り人の中に「魚を放す時に『元気でな』と思って見送っている」などとほざいた(あるいは書いた)らしいバカタレ(馬鹿タレント)がいました。思い出すだけで腹が立ってきます。(もう二度と見ることはないだろうと思っていたのに、先の都知事選に恥ずかしげもなく出ていたので胸糞が悪くなりました。)それについて記したページが残っているので一応リンクを貼っときます。ムダに長いので閲読はお薦めできませんが。
己がいかに自然を、生き物を愛しているかを熱心にアピールするのは結構ですが、所詮は自分たちの道楽(キャッチ&リリース)を擁護するため、自分のエゴを覆い隠すための詭弁を並べているに過ぎません。先のリンクとは別に設けたこのページには当時のネット仲間だった方による「・・・・きれいごと。(あるいは想像力の貧困さ)」という見解を載せました。ここで私も少し想像してみましょうか。
もし自分が人間よりはるかに大きな何か(例えば異星人)の狩りの対象にされ、口か目に針を引っ掛けられたまま長いこと引きずり回された挙げ句に解放されたとしたら、いくら相手に「元気でな」と言われたところで「こんな酷い目に合わせた奴はいつか必ず復讐してやる」と恨みを抱く他ないでしょう。(魚だって言葉が話せたらきっとそう言うはずです。)いうまでもなく生き物をいたぶることはひと思いに殺すよりよっぽど残酷な行為です。それゆえ私は釣った魚を(食べられる魚種なのに)食べない道楽者を例外なく「似非アウトドア人間」と見なし、忌避します。極言すれば釣りが許されるのはそれを生きる糧にする人だけですが、道楽でも魚に感謝して食べるならギリセーフでしょう。間接的ながら他の殺生を減らすことになりますからね。
今日もラッカセイを1株収穫。先月よりは莢が大きくなっていましたが、この草の出来からすると寂しい。莢の肥大にはカルシウムが必要と講義で教えているし、実際にも石灰はしっかり入れたつもりですが、何かが足りなかったのかな? 残りはもう少し枯れが進んでから掘り取ります。
サトイモは全部収穫しました。
結局草丈が1mにも達しなかった割に8株でこれだけ穫れたので不満はありません。左の親芋は硬いため食べない人も少なくないでしょうが、うちではカレーに入れるなどして利用し尽くします。
先月掘ったサツマイモは蔓をそのままにしておいたらしっかり根付いて葉が青いまま。どうやらそれが害虫の温床になっているらしいと思ったので(注)、しっかり引っこ抜き、鎌でぶった切りにしてから敷き直しました。これが春まで草抑えになります。(注:隣のカブやダイコンには隔週で殺虫剤を散布していたにもかかわらずバッタに食い荒らされていました。ほとぼりが冷めるまで、というか薬効が失くなるまで隠れ蓑になっていた可能性があります。)
おまけ
11月も後半に入ったというのに本文終わりで触れたバッタがまだ跳びはねていました。いつまで経っても寒くならないせいです。見つけるたびに心の中で「許せ」と叫びながら踏みつけました。無駄な殺生は控えていますが、こればっかりは仕方ありません。もし奈良時代から平安時代の日本仏教が生み出した「地獄」が本当に存在するなら行かなければならないでしょうね。(この後さらに続けます。)
おまけ2(暴走編)
もうだいぶ前の話ですが、琵琶湖在来の魚類を捕食する外来魚の回収箱への投入を拒み、キャッチ&リリースを続けていた釣り人の中に「魚を放す時に『元気でな』と思って見送っている」などとほざいた(あるいは書いた)らしいバカタレ(馬鹿タレント)がいました。思い出すだけで腹が立ってきます。(もう二度と見ることはないだろうと思っていたのに、先の都知事選に恥ずかしげもなく出ていたので胸糞が悪くなりました。)それについて記したページが残っているので一応リンクを貼っときます。ムダに長いので閲読はお薦めできませんが。
己がいかに自然を、生き物を愛しているかを熱心にアピールするのは結構ですが、所詮は自分たちの道楽(キャッチ&リリース)を擁護するため、自分のエゴを覆い隠すための詭弁を並べているに過ぎません。先のリンクとは別に設けたこのページには当時のネット仲間だった方による「・・・・きれいごと。(あるいは想像力の貧困さ)」という見解を載せました。ここで私も少し想像してみましょうか。
もし自分が人間よりはるかに大きな何か(例えば異星人)の狩りの対象にされ、口か目に針を引っ掛けられたまま長いこと引きずり回された挙げ句に解放されたとしたら、いくら相手に「元気でな」と言われたところで「こんな酷い目に合わせた奴はいつか必ず復讐してやる」と恨みを抱く他ないでしょう。(魚だって言葉が話せたらきっとそう言うはずです。)いうまでもなく生き物をいたぶることはひと思いに殺すよりよっぽど残酷な行為です。それゆえ私は釣った魚を(食べられる魚種なのに)食べない道楽者を例外なく「似非アウトドア人間」と見なし、忌避します。極言すれば釣りが許されるのはそれを生きる糧にする人だけですが、道楽でも魚に感謝して食べるならギリセーフでしょう。間接的ながら他の殺生を減らすことになりますからね。
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