軽井沢からの通信ときどき3D

移住して11年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

山野でみた鳥(14)アオゲラ

2025-03-21 00:00:00 | 野鳥
 今回はアオゲラ。雲場池周辺にはキツツキの仲間は3種いて、コゲラ、アカゲラはよく見かけるが、アオゲラの姿を見る機会は比較的少ない。散歩の途中、たまに見かける程度である。

 ところがある朝、散歩の帰り道、別荘地の中を歩いていると、どこからかキツツキのドラミングが聞こえてきた。音のする方を探してみると、真新しい別荘の屋根の軒裏にアオゲラの♂が止まっていて、すでにいくつもの穴をあけているところであった。

 この時、このアオゲラは夢中になって穴をあけていたので、しばらくの間撮影することができた。

 私にとっては、出会うと嬉しい種であるが、別荘の住人には迷惑この上ない存在ということになる。

 いつもの「原色日本鳥類図鑑」(小林桂助著 1973年保育社発行)に、アオゲラは次のように紹介されている。

 「形態 前種(ヤマゲラのこと)に似るが♂の頭上は全体鮮紅色。嘴峰29~36mm、翼長138~148mm、尾長93~106mm、跗蹠24~26mm。背は前種より濃い緑色。眼先は黒く顎線は鮮紅色でその前後は黒。下面は灰緑色で腹以外には顕著な黒色横はんあり。♀は後頭だけ鮮紅色。
生態 我国特産種。主として低山帯の森林に生息するが、亜高山帯にも分布する。針葉樹の巨木林に生息することが多く、冬季には市街地の庭園にも漂行することがある。ピョー、ピョーと鋭い声でなきキャラ、キャラとなくこともある。好んでアリ類を食す。西日本ではキツツキ類中コゲラに次いで多い種類である。
分布 本州に周年生息繁殖。・・・」

  名前の「アオ」だが、実際には青みはなく背の色は緑色である。では、何故この鳥をアオゲラと呼ぶのだろうかと思うが、色の青と緑については曖昧なまま用いられている例はいくつもある。

 代表的なものは信号の色で、最近は青色発光ダイオードの採用で、きれいな青から青緑色の信号が普及してきたが、以前は緑~青緑色のものが多かったと思う。それでも信号の色を呼ぶときは青であった。

 ほかにも、青果、青物、青野菜、青りんご、青唐辛子、青梅、青汁など野菜や果物では青と呼ぶが全て色は緑。

 日本では古来、青から緑色にかけてはすべて青色と呼んでいたとされ、アオゲラの場合もその伝統を受け継いで命名されたようである。

 アオゲラ以外にも先の図鑑を見ると、「アオ」のつく鳥はアオサギ、アオジ、アオシギ、アオバズク、アオバトと載っているが、図版を見るかぎり、羽色の青い鳥はいない。

 一方、青く見える鳥は「ルリ」と呼ばれている。ルリカケス、ルリビタキ、オオルリ、コルリなどは確かに青い。

 さて、撮影した写真を見てみる。

アオゲラ♀ (2023.3.1 撮影)

アオゲラ♀ (2024.1.6 撮影)

アオゲラ♀ (2025.2.28 撮影)

 図鑑の説明にあるとおり、鮮紅色が頭上全体に広がっているのが♂で、♀は後頭部だけが鮮紅色になっているので、この赤色を確認できると雌雄の区別は容易である。上の写真で紹介したものは、いずれも♀ということになる。

 次はアオゲラの♂が新築されたばかりの別荘でいたずらをしているところである。ドラミングが聞こえてきたので、音のする方を探してみると、まさかのシーンが見られた。

 別荘の壁面に穴が開いているのを見かけることは時々あるが、この別荘はこの時新築されたばかりで、まだ入居前の様であった。この穴を発見した持ち主はさぞかし驚いたことだろうと思う。

別荘の軒裏に穴をあけるアオゲラ♂ (2023.9.20 撮影)


別荘の軒裏に穴をあけるアオゲラ♂ (2023.9.20 撮影)

 キツツキの仲間が別荘の屋根や壁などに穴をあけるのは、ねぐらや巣を作るためとされる。ただ、キツツキだけならまだしも、この穴を利用して、屋根裏に他の小動物が入り込むことがあるので、住人から嫌われることになる。

 軽井沢には別荘が多く、普段は人が住んでいないのでキツツキには絶好の場所になるのであろう。

 義父が40年ほど前に南軽井沢に建てた山荘にもいくつか穴があけられ、金属板などで塞いであった。この辺りでは、「いたちごっこ」ではなく、「きつつきごっこ」ということばがあるそうである。

 この山荘の近くに、元大関の貴乃花関一家の大きい別荘が建ち、挨拶に見えたことがあったとのこと。聞いたところでは内部には土俵も作られていたそうである。そういえば、東御にある雷電の生家とされる建物の中にも土俵が作られていたことを思い出す。

 この別荘は、私が軽井沢に住むようになった時には、既に一家が利用することはなかったようで、若貴兄弟や関係者の姿を見ることもなくなっていたが、近くで見るとキツツキの格好のターゲットになっていて、壁面には十カ所近い穴があけられていた。

 さて、先に紹介した新築の別荘の軒裏に開けられた穴だが、今回改めて現地に行って確認したところ、あけられた穴はそのままになっていた。当時は気付かなかったが、屋根の反対側の軒裏にも同様のキツツキのあけた穴が残されていた。

 しかし、キツツキ除けの針状の櫛歯状防護用品が軒先全体に取り付けられていたので、アオゲラがあけた穴は表面の板部分に留まり、屋根裏に通じるような穴はそれ以上掘られていなかった。

屋根の軒裏にあけられたキツツキの穴と針状の防護用品(2025.3.20 撮影)

屋根の反対側の軒裏にあけられたキツツキの穴(2025.3.20 撮影)

屋根の周囲全体に取り付けられている、キツツキ対策の針状用品(2025.3.20 撮影)

 周辺の別荘をざっとみたところ、この辺りではキツツキによるこうした被害は他にはなさそうなので、2年ほど前に、アオゲラがなぜこの新築されたばかりの別荘を狙って穴をあけたのかは不明である。














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山野で見た蝶(18)ゴイシシジミ

2025-03-14 00:00:00 | 
 今回はゴイシシジミ。名前のゴイシとはもちろん碁石のこと、その名の通り翅裏面には黒い碁石を散りばめたような紋様を持っている種である。

 シジミチョウの仲間には、翅の裏面に黒点紋様を持つものは多いが、その中でも大きくまっ黒な黒点が際立っているのがゴイシシジミである。

 このチョウのもう一つの特徴は、幼虫時代に植物を餌にすることなく、もっぱら動物であるアリマキを食べることで、いつもの「原色日本蝶類図鑑」(横山光夫著 1964年保育社発行)にも次の記述がある。

 「ごいししじみ
 わが国に産する唯一の食虫性の奇蝶で幼虫時代には『タケノアブラムシ』(アリマキ)を食べて生育し、成虫となっても花蜜を求めることなく蚜(『カ』と読むが、アブラムシ、アリマキの意)虫の分泌物をなめて他の食物をとらない蝶で幼虫時代は、『テントウムシ』の幼虫にも似た生活を営む。『アブラムシ』を食べるために、幼虫も蛹も分泌する白蝋質の粉にまみれて白色である。したがって発生は蚜虫の多い笹原に多く、時には多数群生するのを見掛ける。5月のなかばから10月まで引き続いて現れ3回から5回発生し、幼虫で越冬する。北海道から本州・四国・九州全土に分布するが、暖地に多く北海道には少ない。雄は前翅がやや尖り黒紋は大きく、雌は前翅端が丸い。」

 ”唯一の食虫性の奇蝶”という所に興味を惹かれる種である。因みにゴイシシジミは完全に食虫性ということだが、幼虫時代の一時期に食虫性である種は他にもいて、ゴマシジミ、キマダラルリツバメ、クロシジミ、ムモンアカシジミなどが知られる。

 今回はこのうちのゴマシジミも一緒に紹介する。おそらくゴマシジミを今後山野で見かけることは無いだろうと思うからである。

 そのゴマシジミについての「原色日本蝶類図鑑」の記述が何とも興味深かったことも、ここで一緒に取り上げる理由なのだが、次のようである。

 「ごましじみ
 本州では青森の平地に広く産するが、関東北部に至る中間の地区にはきわめてまれとなり、、中部産地ではまた各所に産する。近畿も発生地のない空白地帯であるが、中国では岡山・広島の山地や伯耆大山に多産することが知られる。
 九州ではわずかに阿蘇・久住の高原に知られるにすぎない。北海道・青森及び中国地方に産するものはいずれも別の亜種で、不連続的に分布する本種は局地的に変化多く、発生地は斑紋の型の上に明らかに現れ、その地理的変異は興味ある研究課題である。
 蝶の社会に神の摂理にもとる『忘恩の反逆』ともいうべきの運命の悲劇に生涯を約束されるものもある。ワレモコウの花穂に産み付けられた『ごましじみ』の卵は、孵化するとやがて花茎に窄孔して子房に潜入し、4齢に達して地上に降ると、『クシケアリ』に助けられ地中の巣の中に『冬の宿』を与えられる。『ごましじみ』の幼虫はひそかに蟻の幼仔を殺食して成長し翌春7月頃に蟻の巣中で蛹化する。やがて羽化期の7月から8月の初め、ひそかに脱皮して地上に這い出し自由な地上の飛翔生活へ逃げ出す。しかしこの因果な宿命も蟻の親達は、『ごましじみ』の体から分泌する甘い蜜に幻惑されたあやまちを知る由もない。」

 食虫性のある種をまとめると次のようである。


食虫性のチョウと餌 
 
 ゴイシシジミに話を戻す。当地で最初にゴイシシジミを撮影したのは湯ノ丸高原の池の平で、ここでは高山蝶など多種類のチョウを見ることができるが、その中に含まれていた。湿原の周囲の茂みのある場所を歩いていて見つけ、撮影した。前翅の縁の形状から♂ではないかと判定した。


ゴイシシジミ♂(2017.7.31 撮影)

 次に撮影したのは、妙義荒船林道を通って神津牧場にいく時で、渓流にかかる橋のたもとで車を停めて、ゼフィルスを探していて見つけた。この時は数頭のゴイシシジミがいた。1枚目の写真は前翅の縁が丸みを帯びていることと、表の前翅の白斑がより発達しているようなので♀と、2枚目は♂と判定した。

ゴイシシジミ♀ (2020.6.23 撮影)


ゴイシシジミ♂ (2020.6.23 撮影)

 義父のコレクションには、ゴイシシジミの標本はとても多く、20頭ほども標本箱に収まっている。妻の話では、ヤマトシジミよりもたくさんいたとのことである。
 そして、ゴマシジミも傷みはあるが、北海道で採集されたものが1頭含まれている。残念ながらキマダラルリツバメ、クロシジミ、ムモンアカシジミの標本は含まれていなかった。

ゴイシシジミ♀ (左:翅表、右:翅裏)

ゴイシシジミ♂ (左:翅表、右:翅裏)

 上記標本の採集年の表記は昭和。

 続いてごましじみの標本。傷みが激しいが翅表の様子は判る。採集地のヤムベツは北海道斜里郡小清水町にある地名で、知床半島の付け根にある。標準的なごましじみの外観は、翅表に黒班を持つが、この標本にはそれが見られない。よく似た外観を示すものに北海道産原始ヶ原産のものがある(日本産蝶類標準図鑑、学研教育出版発行)ので、そうした種の仲間かと思う。


ゴマシジミ

 こうした、大方の他のチョウとは異なる生活史を持つ5種であるが、そのことが昆虫研究者や愛好家の興味を惹くこととなり、研究報告も出されている。

 手元にある本、「蝶を育てるアリ」(矢島 稔著 文春新書 2002年発行)にも関連する記述がある。この本の著者矢島氏は、東京都多摩動物園で「昆虫園」を開設した方で、その後多摩動物園長を務め、さらに群馬県で県立「ぐんま昆虫の森」を開設し園長となった方である。惜しくも2022年に亡くなられている。

 この本には著者自身が、クロシジミの幼虫とクロオオアリの共生の様子を観察した経験談が語られていて、このクロシジミの生態を含む昆虫だけの生態映画を作製したという話も紹介されている。

 約二年半かけて完成したという、この日本最初の劇場用総天然色生態映画「小さきものの世界」は試写会まで行ったものの、遂に封切られぬままお蔵入りになってしまったという。何とも残念な話であり、どこかで見てみたい気がする。

 矢島稔氏は1964年に月刊誌「インセクタリウム」を創刊していて、その第四巻十号に磐瀬太郎氏が「肉食のチョウ幼虫」という一文を寄せたことを先の著書で紹介している。原文は「国会図書館デジタルコレクション」で閲覧が可能で、参考までに画像を紹介するが、ここでは矢島氏が前著書の中で解説している文を引用させていただいて、本稿「ゴイシシジミ」を終わる。次のようである。


「インセクタリウム」、第四巻十号「肉食のチョウ幼虫」磐瀬太郎の掲載ページ 

 「四つの話で構成されていて、先ず第一話は、肉食する蝶の幼虫が1886年世界で初めてアメリカで発見されたこと、日本では1898年(明治31)、小石川植物園でワタムシを食べるゴイシシジミの幼虫を上田都止雄が発見したのが最初であることを述べている。
 第二話は、ゴマシジミとクシケアリの共生についての話だ。クシケアリによって巣に運び入れられたゴマシジミの幼虫は、アリの卵や幼虫を食べて育つのだが、その代わり背面から出す蜜をアリに与えるという。イギリスのフロホークが苦心してこの事実をつつきとめ、1916年に発表した。日本では1951年、つまりクロシジミの幼虫が発見された次の年、平賀壮太がオオゴマシジミについて同様な生態を発見したという。
 第三話は、クロシジミの幼虫の発見の話と、ムモンアカシジミ、キマダラルリツバメでも同様な生態の幼虫が発見されたことを紹介している。
 第四話は、このような習性を持つチョウの幼虫はアフリカやアジアの熱帯地方にはかなりいて、中にはツノゼミやヨコバイを食べ、よろいのような固い皮膚で相手の攻撃を避けるものもいること、さらに、それは野焼きや山火事に対する適応らしいという推定を示し、こうした研究の積み重ねが肉食性の起源の解明につながるに違いないと述べている。」



 




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難しい話

2025-03-07 00:00:00 | 日記
 リタイアし、のんびりと余生を過ごせばいい身分になったはずであるが、現役時代に思い描いていたのとは違って、いまだにあくせくとしている。世の中の出来事が、これまで以上に気になるからだと思っている。

 それにしても難しい話が多い。世界的な話題としては、やはり戦争のことが一番気がかりである。戦争は殺戮であって、人類の歴史はその戦争の歴史でもあるが、一方で人類が最も大切にしなければならないのは人の命であるはずである。

 ヨーロッパでの出来事とは言え、日本も無関係ではいられず、西側と共にロシアへの制裁に日本も加わっている。

 日本の問題では、難しい問題は拉致被害者についてだと思う。日本で拉致被害者の帰国を待ち望んでいた親世代は次々と亡くなり、今はもう最後の一人を残すまでになってしまったという厳しい現実がある。

 トランプ氏がアメリカ大統領に就任してからは、ガザ地区で停戦が実現し、ロシアのウクライナ侵略についても停戦が実現しそうな空気が一時的にせよ流れている。

 トランプ大統領とプーチン大統領が電話会談をして、トランプ氏は「長時間にわたる、とても生産的な電話会談を行った。まず、ロシアとウクライナの戦争が引き起こしている大勢の死を止めたいという考えで一致した」とSNSに投稿したと報じられている。

 さて、先日2月24日で、ロシアによるウクライナ侵略開始から3年が経過した。当ブログでは2022年3月1日から、このウクライナ問題について、購読紙に日々掲載される記事の見出しだけを拾い集めて、2024年1月2日まで記録してきた。

 いつか、ウクライナに平和が訪れ、避難していた人々が自宅に戻ることができたというニュースに接することができるだろうと思って、その日まで続けようと思っていたが、長引く戦争はついに3年を過ぎてしまった。

 改めて、2022年2月24日から2月27日までの購読紙の記事を採録すると次のようである。 

***********************************
2022年2月24日
・米大統領「侵攻の始まり」 ウクライナ ロシア制裁 欧日と 外相・首脳協議 中止に
・プーチン氏、軍事介入示唆
・ロシア 進軍どこまで 首都攻撃の可能性 報道も
・日本 米欧の対応を見極め
・首相と米国大使 広島訪問見送り ウクライナ情勢悪化で
・ウクライナ危機 ロシア、中南米と連携加速 対米交渉 有利に進める狙い 極超音速ミサイル
 配備の恐れも
・「平和維持を曲解」 国連総長 ロシア軍派遣批判
・トランプ氏、「独立」承認評価 「プーチン、なんて賢いんだ」
・「状況 アフリカ史と重なる」 ケニア大使安保理演説 分割の経緯 引き合いに
・論考 制裁 これまでにない影響 駐ジョージア・駐カザフスタン元米大使
 ウィリアム・コートニー氏
・在日ウクライナ人「戦争反対」 ロシア大使館近くで抗議

2022年2月25日
・露、ウクライナ侵攻 首都・主要都市攻撃 多方面から 40人以上死 米欧強く非難
・G7、追加制裁確認へ 首脳会議 日本政府きょう発表
・日米欧の結束 試される
・政府、邦人保護に注力 サイバー攻撃を警戒
・原油急騰 100ドル突破
・米制裁 効果未知数 「金融」・ハイテク規制へ 安保理、無力さ露呈 会合中に作戦、
 欧州など即座に非難■中国 直接批判せず
・露、外交に見切り ウクライナ侵攻 対米欧「勢力圏」確保図る
・軍事介入繰り返す NATO接近を阻止
・【社説】ウクライナ侵攻 ロシアに暴挙の代償払わせよ 国連憲章踏みにじる重大な挑戦(読売)
・【社説】ロシアのウクライナ侵攻 秩序と民主を侵す暴挙だ(朝日)
・北方領土交渉 振り出し ウクライナ侵攻 露、包囲網に反発必至
・与野党 非難相次ぐ
・露、ウクライナ侵攻 破壊された平和(写真)
・プーチン大統領演説要旨
・バイデン大統領声明全文
・仲介外交 独仏頓挫 「説得力 過信」指摘も
・NATO「露、侵略選んだ」 緊急会合 東欧の防衛強化急ぐ
・軍事力 露が圧倒 予算10倍 最新兵器投入
・米政権に試練 制裁以外 打つ手乏しく
・ウクライナ徹底抗戦へ 大統領 戒厳令、露と断交
・分析 ウクライナ危機 露の軍事行動 止めるのは困難 ベルギー王立国際関係研究所
 スベン・ビスコップ教授
・追加制裁 国内注視 大手3行など ロシア向け与信1兆円
・露侵攻 原油急騰 一時100ドル突破 供給停滞 高まる懸念
・ロシア株 一時50%安 追加制裁に警戒 国債売りも加速 リスク回避 円高進む
・日米、石油備蓄再放出を検討 他国との連携 視野
・船舶戦争保険 値上げへ 損保大手 ウクライナ周辺
・論点スペシャル 露のウクライナ侵攻 どう見る プーチン的世界観 背景 日本国際問題研究所
 理事長 佐々江賢一郎氏、冷戦後秩序への挑戦 笹川平和財団主任研究員 畔蒜泰助氏
・日本から平和祈る 「戦争いらない」
・未明の街 爆撃音 露、ウクライナ侵攻 首都混乱 おびえる市民
・「欧州のパンかご」◆キエフ・バレエ団
・「プーチンのせいだ」 西部の街リビウ 押し寄せる避難者
・英「傍観せぬ」、仏「連帯を」
・偽情報発信 今後本格化か 日大危機管理部教授 小谷 賢氏
・欧米の制裁 脅威ではない ロシア・政治情報センター所長 アレクセイ・ムヒン氏
・別の形でも欧米に圧力 笹川平和財団主任研究員 畔蒜泰助氏
・バイデン・米大統領 「ロシアにさらなる代償を」
 ゼレンスキー・ウクライナ大統領 「慌てないで 私たちは強い」
 プーチン・ロシア大統領 「我が国 最強の核保有国」
・壊された日常(写真)

2022年2月26日
・露軍、キエフ到達 ウクライナ首都陥落危機 ミサイル攻撃も 政権早期転覆狙う
・警報 地下で息潜め リビウ
・対露ハイテク輸出規制 金融も 日米欧、追加制裁
・NATO、東欧増派協議 首脳会議
・経済安保 体制整備へ 法案 閣議決定 技術流出を防止
・貿易・金融 露に圧力 日米欧など追加制裁 実行性疑問の声も
・G7がプーチン非難 首脳声明
・駐日米大使 G7連携の必要性強調 「国際社会 侵攻支持せず」
・中国、東シナ海で上陸訓練 米けん制か 新型揚陸艇を展開 現地報道
・中国海警船4隻 尖閣領海に侵入
・露軍、首都を挟撃 ウクライナ侵攻 南部・北部も制圧地域拡大 戦力圧倒 短期決着図る
・【社説】ウクライナ侵略 原油高の悪影響を最小限に(読売)
・東アジア安保 影響懸念 ウクライナ侵攻 政府、中国と台湾 念頭
・「侵略しないための9条」 共産・志位氏に反論相次ぐ
・ウクライナ侵攻 日常 はぎ取られて(写真)
・バイデン大統領記者会見要旨
・NATO 増派で板挟み 東欧地域 露への刺激を懸念
・印首相「暴力即時停止」 電話会談 露大統領に要請
・避難民 隣国が支援 ウクライナ侵攻 わずかな荷物 徹夜で続々 ポーランド、食事・医療提供
・露60都市で侵攻抗議 1800人超拘束
・分析 ウクライナ危機 8年間の西側の支援「失敗」 英国立防衛安全保障研究所
 ニック・レイノルズ リサーチアナリスト
・露の報復 製造業警戒 政府追加制裁 レアメタル輸入 滞る恐れ
・JT、ウクライナ工場停止 「キャメル」など製造
・ガソリン補助拡充へ 来月から1リットル最大25円
・欧州天然ガス 6割高 露からの供給不安拡大
・株500円超上げ
・日本郵便 荷物の引き受けを停止 ウクライナ宛て
・視点 ウクライナ危機 プーチン氏 無謀な賭け 露中心 秩序再構築狙う 名古屋外国語大学長
 亀山郁夫氏
・IPC、露非難
・欧州CL決勝 露で開催せず フランスに変更
・首都 市民パニック ウクライナ侵攻 早朝に爆発音「絶望的」

2022年2月27日
・キエフ攻防 激化 ウクライナ 市街戦 民間にも被害 露軍、南部都市制圧
・停戦協議 調整難航か プーチン氏 揺さぶり 露ウクライナ
・空襲警戒 静まる夜 リビウ
・米欧、露大統領に制裁 異例の資産凍結 外相にも 「暴君の仲間入り」 「無能表す」露は反発
・対露経済制裁 日本も決定
・大国の横暴 安保理無力 中国は棄権
・安保理の決議 否決 侵攻非難 露が拒否権行使
・G7外相 対露協議へ オンライン
・首都死守へ抗戦 ゼレンスキー氏強気崩さず ウクライナ
・露侵攻作戦 遅滞か 包囲「政権自壊」待つ戦術も
・ウクライナに寄港中止へ 日本郵船
・解説 ウクライナ侵攻 NATO接近 露が警戒 クリミア奪還の動き 引き金 歴史や文化
 「兄弟国家」、国際秩序打破 武力で挑んだ
・対露制裁 「決済網排除」賛否割れる 米英積極 資源依存 独など慎重
・NATO 東欧防衛強化
・ポーランドへ長い列 リビウ ガラリ緊迫
・分析 ウクライナ危機 中露接近 侵攻を後押し 米ハドソン研究所政治軍事分析センター
 リチャード・ワイツ所長
・人影消え 響く銃声 ウクライナ 緊迫の首都 邦人記者語る 「状況 世界に伝えたい」
・日本各地で抗議集会
・ウクライナ侵攻 「安全圏」のはずが シェルター整備■献血に人殺到
・ロシアとNATO 深い溝の訳は
・非難決議案「提案国」異例の多さ
・国境付近 大量の地上部隊 キエフ制圧に向けた準備か(衛星写真)
・【社説】ウクライナ侵攻 撤兵求める国際圧力を(朝日)
・【社説】ウクライナ侵攻激化 市民の命 これ以上奪うな(信濃毎日)
・古都 響く警報 漂う不穏 ウクライナ11万人国外避難 西武リビウ「安全な場所なくなった」
・米欧、プーチン氏に制裁 国際決済 ロシア締め出し現実味 強硬論台頭
・ゼレンスキー氏「国を守る」首都離れず
・揺れる国際秩序 ウクライナ危機 視線の先に中国の動き 日本政府 制裁で欧米と歩調
・中国の軍事的圧力に直面 台湾への波及 議論が活発化
***********************************

 続いて、3年が過ぎた今年2月24日から2月27日までの購読紙の見出しを見ると次のようである。

***********************************
2025年2月24日
・ウクライナ
 侵略3年 見えぬ停戦 民間人1万2300人死亡
・侵略3年
 兄が「父」に、抗戦 揺らぐ世論、対露貿易縮小、家族の苦悩・決意、戦闘の構図 変化、露の街 並ぶ墓碑、無人機産業 育成、制裁 欧州に誤算、選手らに深い傷、葬送の調べ 連日
・ウクライナ侵略3年
 ヤルタ会談再現 露狙う
 母亡くし兄が「父」
 自由・平和 守る覚悟は 欧州総局長 尾関航也
・スキャナー
 ウクライナ 侵略抗戦3年 揺らぐ世論 領土妥協容認 広がる
 米露首脳会談 見通せず 露、制裁緩和要求か
・【社説】ウクライナ侵略
 プーチン氏に勝利与えるのか 法の支配と主権平等の堅持を
・続く制裁 対露貿易縮小 日本へのLNG米が逆転 インフラ復興へ日本の技
・物価高のきっかけ
・ウクライナ侵略3年
 「子供たち」の未来 守る 「お兄ちゃんは世界一」
 変わる家族 苦悩と決意 幸せ 2人ならみえる 露の攻撃 右腕・視力失う
 露側プロパガンダ 離れた心 クリミアの父と
 国外避難 妻とすれ違い
 アプリ活用 結婚促進
 ウクライナで結婚が減り、離婚が増えている
・ウクライナ侵略3年
 露西部 ウクライナ後退 参戦の北兵士 死傷4000人超か 人海戦術・東部で進軍
 変化する戦闘の構図
 露、核の使用要件緩和
・中国、和平交渉関与望む 欧ウクライナに接近も
・西武ニジニーノブゴロド露軍需の街 増える墓碑 
 前線いた兵士「早く停戦」
・戦後復興 米中対話の余地 
 中国社会科学院 ロシア東欧中央アジア研究所研究員 李勇慧氏
・キーウ:無人機産業 官民が一体 反攻へ育成 
 国内生産4000機➡400万機に 西側諸国への期待 低下
 キーウ国際社会学研究所 アントン・フルシェツキー所長
・公正な和平 日欧協力を
 EU・ポーランド駐日大使 共同寄稿
・英仏首脳 停戦巡り訪米へ トランプ氏と一致点探る
・トランプ大統領 支持率低下 官僚改革、物価高で反感
・対ロシア制裁 欧州の誤算
 打撃受けず、天然ガス、原油高、停戦交渉

2025年2月25日
・拙速な停戦合意 懸念 ゼレンスキー氏 欧州首脳と連帯
・石破首相 ウクライナ関与 必要性強調
・ウクライナ侵略3年
 停戦への道3⃣ 「安全の保証」大国が翻弄
 「ブチャの魔女」奮い立つ 「人は2度殺されない」
 涙 笑顔 積み重なり
 活躍に感化 魔女に新顔 防空部隊 64歳も 夫を殺され 次こそ前線で
・米露交渉チーム 今週末会合 ウクライナ停戦向け サウジで開催か
・ドイツ政権交代へ 総選挙 中道右派第1党 強硬右派倍増
 首相候補 対露強硬派 メルツ党首 長射程 供与前向き
・警察チーム1万人救助 22年結成 戦況悪化 ドネツク州で
・西側支援総額42兆円 米4割、今後は停滞可能性
 米国1141.5臆ユーロ、ドイツ282.9、英国148.1、フランス142.9、日本105.3、
 オランダ96.7、デンマーク91.8
・西部では投資活発 ジェトロ キーウ事務所 柴田 哲男 所長
・鉱物権益譲渡 米に不満 ゼレンスキー大統領 「安全の保証」要求
・米「紛争終結」決議案 ウクライナ侵略 露批判避ける 安保理
・深層NEWS 「トランプ氏は 相手に不信感」

2025年2月26日
・米、露撤退決議に反対 ウクライナ侵略 欧州と亀裂 国連総会
・ウクライナ侵略3年
 停戦への道4⃣ 欧州安保 迫られる自立
 兵士の遺体 続く検視 キーウ
 激しい損傷 身元特定困難 それでも対面望む家族 医師は勧めず
・ウクライナ侵略
 米露が接近 揺らぐ秩序 衝撃の反対票 「包囲網」に異変 「米国第一」
・トランプ氏 前政権方針と「決別」
・日本「現状変更」認めぬ構え
・機雷対処演習に海自参加 昨年9月、黒海で 米ウクライナ主催
・併合地 米と共同開発 プーチン氏 呼びかけ ウクライナ4州 鉱物資源
・「今年中に停戦」 駐日大使が期待 ウクライナ
・深層NEWS 「米欧の亀裂は深刻」

2025年2月27日
・米に鉱物権譲渡 合意へ ゼレンスキー氏28日訪米  協定署名見通し 
 欧米メディア報道
・米露外交団協議 トルコで27日に
・インフレ深刻・GDP減速予測 露経済 戦争依存ひずみ
・外国企業復帰に期待
・トランプ流 高圧的取引 鉱物権益譲渡 合意へ ゼレンスキー氏 妥協応じる
・平和維持部隊構想を議論 トランプ氏、プーチン氏と
・深層NEWS 協定「軍事的抑止」指摘 
***********************************

 米国のトランプ大統領とウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は2月28日、ホワイトハウスで会談した。ウクライナの鉱物資源を共同開発する協定の合意に向けて進むかに見えたが、会談の後半一気に雰囲気は変化してしまった。
 
 きっかけは、バンス副大統領の発言であったが、これにゼレンスキー氏がかみつく形になった。

 このやり取りはその後TVニュースで放映され、世界中に配信されたが、新聞紙上でも、主なやり取りとして、次のように紹介されている。

・バンス氏・・・平和と繁栄への道とは、外交に関与することだ。
・ゼレンスキー氏・・・2019年に仏独の首脳も交えてロシアと停戦で合意したが、破られた。
 外交とは一体どういう意味か。
・バンス氏・・・あなたの国が破壊されるのを止めることだ。そのような訴えは失礼だ。
・ゼレンスキー氏・・・米国も問題を抱えている。(欧州との間に)海があり、今はわからないかもしれないが、将来感じることになる。
・トランプ氏・・・あなたは我々に指図する立場にない。あなたには切ることができるカード(切り札)を持っていない。
・ゼレンスキー氏・・・カードで遊んでいるわけではない。
・トランプ氏・・・遊んでいる。数百万人の命と第3次世界大戦を賭けたギャンブルをしている。
・トランプ氏・・・今すぐ停戦すれば、銃弾が飛び交うのは止まり、ウクライナの人々が殺されることもなくなる。
・ゼレンスキー氏・・・戦争を止めたいが、「安全の保証」とともにと言っている。
・トランプ氏・・・あなたが取引をするか、我々が手を引くかのどちらかだ。我々が手を引けば、ウクライナは戦い抜かなければならない。

 この激しいやり取りの結果、ゼレンスキー氏は鉱物協定に署名せず、共同記者会見は中止され、アメリカを去ることになった。

 欧州に戻ったゼレンスキー氏は、各国首脳に暖かく迎えられたようであり、ウクライナ情勢をめぐり、イギリス・ロンドンで2日、ヨーロッパの首脳らによる会合が開かれた。各国は、ウクライナとともに停戦計画を作成し、アメリカと再協議を進めることで合意した。 

 アメリカとの協議が再開されたとして、どのような合意に至るであろうか。鉱物資源に関する協定は、2国間で合意すれば済む話であるが、長期にわたるウクライナの安全の保証はロシア抜きには語れない。トランプ大統領と言えども簡単に約束できるものではない。

 欧州は将来ウクライナのNATO加盟を認める方向であるが、ロシアは勿論のこと、アメリカも和平交渉を進めようとする今の段階ではロシア寄りの立場をとっていてNATO加盟反対の姿勢を貫いている。どのような合意の可能性があるのだろうか。トランプ大統領にこの難しい局面を解決する秘策があるのだろうか。





 
 

 
 
 

 
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いつの日か、ふたりは恋人

2025-02-28 00:00:00 | 日記
 昨年12月中旬に、Tさんの秘書Aさんからメールが届いた。新年になったら軽井沢の書店でTさんの初の小説「いつの日か、ふたりは恋人」の出版を記念してトークショウを開く予定だという。その案内である。

 早速、出席の旨返事を書いた。その後、トークショウが終ってから、近くのホテルで食事会を行うとの案内が追加されてきたので、こちらにも出席の返信を送った。

 ところが、私は新年早々風邪をひいてしまい、咳が止まらず、そのうち熱も出てきたので、安静にしている日が続いた。何とか書店でのトークショウと食事会に参加して、この小説の出版のお祝いをしたかったし、Tさんのこの小説についての想いを改めて聞きたかったので、それまでに風邪を治しておきたいと思っていたのであった。

 でも、熱はなかなか下がらず、咳もおさまる様子がなく、結局どちらのイベントも断らざるを得なくなってしまった。

 この小説の内容については、かねてTさんから繰り返し聞いていたし、すでにポケット・ブック版としてTさんの経営(多分)する出版社から出された本をいただいて読んでいた。

 ただ、Tさんはこの本を大手出版社から世に送り出したいと考えていたので、そのために、内容にもボリュームにも手を加えなければならないと考えているようであった。

 トークショウに行けなかったので、後日書店に行き、カフェコーナーの入り口脇の書棚の上に積まれているこの本を買って帰り、読んでみると、やはり内容は大幅に書き換えられていた。著者名も、以前はペンネームであったが、今回の本にはTさんの本名が使われていた。

 また、ハードカバーになって出版されたこの本のカバー表紙の絵も本文中にちりばめられた大小20枚の挿絵も素敵で、帯には山極壽一(第26代京都大学総長)氏の推薦の言葉が記されていた。

 帯には次のように書かれていて、これを読むと本の内容がだいたい分かるのではと思う。

 *******
 唯一無二の恋愛小説
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 恋愛とは個人的な事柄である。でもこの本には耳を傾けたくなる愛の物語がある。一時代昔の愛と社会の掟との葛藤、そして生きる力、命の本当の意味へと突き抜ける宇宙の真実。山極壽一(第26代京都大学総長)
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 パンスペルミア説(宇宙汎種説)を生命存在の前提として語りかける、唯一無二の恋愛小説。
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 本書は、3章が重なり合うように構成された恋愛小説である。各章は春から夏、秋から冬と変遷する。第1章は「この世」の話。高校1年生の初恋から学生結婚そして大学卒業直前の離別までを主人公が語る。第2章は既に他界した恋人が大1章を読み、「あの世」から主人公に自分の心を語る手紙。第3章は「仮の世」のブータンでの再会。恋人は小鳥となり「あの世」から「この世」を仮訪問する。
 ふたりは、ブータンの友人と人間哲学と宇宙を語り、酔生夢死を過ごす。
 *******

今回出版された本(左:2024年11月30日発行)と、以前ポケット版で出版された本(右:2021年7月7日第二版発行) 

 本文中と表紙(カバー表紙も)の挿絵は、三浦 慎氏による。氏は、建築家であり、2021年、軽井沢町庁舎改築周辺整備事業プロポーザルで最優秀提案者(庁舎、複合施設計画・株式会社山下設計と協働)に選ばれている。

 著者の所源亮氏については、この本の「著者紹介」に次のように詳しい自己紹介があるので、これを引用させていただく。

 「所 源亮(ところ げんすけ)
東京都大田区大森で農林省官僚所秀雄と、大正、昭和を風靡した雑誌『令女界』と『若草』を世に出した藤村耕一の長女所やなぎの子として1949年2月22日に生まれる。父が在アメリカ合衆国日本国大使館に赴任したのに伴い、小学校3年からワシントンD.C.(アイゼンハワー政権とケネディー政権)に移り中学校1年まで暮らす。1972年一橋大学経済学部卒業。
1972年イースタンハイブレッド入社。1976年パイオニア・ハイブレッド・インターナショナル社のアジア担当としてフィリピン、タイ、インド子会社の代表取締役を務める。1980年から米パイオニア・ハイブレッド・インターナショナル社(現デュポン・パイオニア社)国際部営業本部長兼パイオニア・オーバーシーズ・コーポレーション取締役として市場開発(50ヶ国以上)及び海外戦略を考案実施。
1982年に帰国し、ソフトウエア会社などを設立したのち、1986年6社を合併しゲン・コーポレーションを設立し代表取締役社長に就任。1994年日本バイオロジカルズ社を設立し、代表取締役社長に就任。2009年に同社を日本全薬工業に売却。2001年創薬バイオベンチャーを設立し代表取締役社長に就任した。そのコンセプトに、「日本発のものを世界に」というメッセージを込めた。
2008年から2013年まで一橋大学イノベーション研究センター特任教授。2014年東京大学名誉教授の松井孝典、英カーディフ大学名誉教授チャンドラ・ウィックラマシンゲ博士とともに一般社団法人ISPA(宇宙生命・宇宙経済研究所)設立。サー・フレッド・ホイル博士が提唱したパンスペルミア説の研究を支援。
医薬開発技術ライセンス企業のGCAT株式会社代表取締役会長、ルフナ大学(スリランカ)客員教授、インドS.M.Sehgal財団理事、一般社団法人ISPA理事、前・西町インターナショナルスクール理事。」

 Tさんの本名が明かされたので、以下では所さんとして紹介させていただくことにして、この自己紹介には出てこないが、所さんは2021年に、軽井沢の旧軽井沢地区に喫茶コーナーを併設した書店「やなぎ書房」を開いた。これまでの経歴からすると、何故と思う行動である。この書店には、岩波文庫すべてと所さんが関心を持つ分野の書籍が集められ、販売されていた。

 この書店のことを知ったのは、ある出来事がきっかけで、それは、軽井沢にあった川端康成氏の別荘の解体であった。

 軽井沢文化遺産保存会のH女史から川端康成別荘が解体されそうなので、保存を求める請願書を町議会に提出したいとの相談が寄せられた。当時私は川端康成別荘のある地区の区会役員であったので、このことを区長に伝え、この請願書に区としても名前を連ねていただけないか相談したのであった。

 請願書は、軽井沢文化遺産保存会、軽井沢ナショナルトラスト、軽井沢別荘団体連合会、軽井沢女性会、軽井沢近代史研究会、そして旧軽井沢区の6団体の連名で軽井沢町議会議長宛、2021年8月6日に提出された。

 事態が差し迫っていることもあり、当時の藤巻町長が自ら不動産業者に電話をかけて、保存の可能性について打診をしているが、結果的には交渉は成立することなく、解体が進んでいった。

 ところが、この時同時に所さんがこの不動産業者と話を進めていた。所さんは不動産業者に解体を断念させるのではなく、解体部材の引き取りを交渉していた。そして相応の費用を支払うことで、将来部分的にでも川端康成別荘を再現できるように慎重に解体を進め、ほとんどの部材を引き取ることに成功していた。

 その噂を間接的に聞き知ったH女史とその知人のS女史の依頼で、やなぎ書房を訪ねたのが、所さんとの最初の出会いであった。S女史はこの時、近くオープンするサロン的なギャラリーを建築中で、その一部の窓枠に川端別荘の解体部材を再利用して用いたいと考えていて、様子を見てきてほしいと私が依頼されたのであった。

 書店に所さんを訪問すると、数名の女性店員と所さんがいて、喫茶コーナーでコーヒーをごちそうになりながら話を聞くことができた。川端別荘の解体部材は確かに確保されていて、軽井沢の氏の所有地に保管されていること、川端別荘からはそのほかに、現在までこの別荘を利用していた川端康成氏のご子息が保有していたロシア関係の蔵書なども引き取ったという話を伺った。これらの書籍はやなぎ書房の別室に置かれていたので、見せていただけた。

 この解体部材については、軽井沢文化遺産保存会との協議で、軽井沢町内に川端別荘の一部を再現する計画が持ち上がり、いくつかのプランが検討されたものの、現在までのところまだ実現には至っていない。その詳細は、軽井沢文化遺産保存会発行の「軽井沢の文化遺産&資料集 2」に報告がある。

 その後、所さんから「軽井沢の夜話」を開催するので、聞きに来ませんかとのお誘いを受け、都合4回ほど参加することになった。第1回目は当時千葉工業大学長で、東京大学名誉教授の松井孝典氏の講演「宇宙から俯瞰する人類1万年の文明、ウイルスはどこから来たのか」という興味深い題であった(2021.10.22 公開当ブログ参照)。

 第2回目以降も宗教の話、経済の話と続き、今回の小説「いつの日か、二人は恋人」の第3章と、注釈の内容につながる話題が計画的に提供されていった。

 ワインや食事を楽しみながらの楽しい「軽井沢の夜話」で、こうした場でも、主題の話の合間に、所さんの経験談が織り込まれ、そのなかには若き日の思い出が語られることも多かった。
 その後何回か所さんと会う機会のある度に小説「いつの日か、二人は恋人」の話題も出て。この小説には若き日の所さんの実際の経験が語られていることを知った。 

 小説「いつの日か、二人は恋人」に話を戻すと、第1章では所さんの若き日の体験が生々しく語られているのだと思う。第2章は、既に他界した恋人が「あの世」から主人公に書いた手紙という構成なので、これはフィクションの世界。第3章は、所さんの哲学が語られている。

 壮大な宇宙哲学の中に織り込まれた若き日の苦い思い出とともに、この世に私たちが生きる意味を考えさせられる稀有な小説ができあがった。 



  
 
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アサマシジミ考

2025-02-21 00:00:00 | 
 当地に移住してきた頃、蝶類の図鑑で名前に「アサマ」がついているチョウは?と調べてみると、「アサマイチモンジ」、「アサマシジミ」、「アサマモンキ」が見つかった。

 しばらくして、アサマイチモンジは庭にやって来ることが分かった。アサマモンキの方は、浅間山に多く見られるのでこのように呼ばれるが、北アルプスに産するアルプスモンキと共に、ミヤマモンキチョウとして分類されるもので、浅間山系の高山帯に行くと見ることができることが分かった。

 一方、アサマシジミは、以前は信濃追分駅周辺にふつうにみられたとの記録があるものの、今では町内で見つけることが難しく、発生の季節になると周辺地域まで足を伸ばしてみるが未だに見ることができないでいる。

 上田市西方の小県郡青木村には「信州昆虫資料館」があり、時々訪問しては収蔵されているこれらのチョウの標本を見せていただいているが、この資料館で、「信州浅間山麓と東信の蝶」(鳩山邦夫・小川原辰雄著 2014年信州昆虫資料館発行)を買い求めたことがあった。このカバーには表面と裏面の両方にアサマシジミの姿が見られる。東信地区のチョウ愛好家がアサマシジミに寄せる思いが伝わってくる。

「信州浅間山麓と東信の蝶」(鳩山邦夫・小川原辰雄著 2014年信州昆虫資料館発行)のカバー表紙

 次の図は、御代田町にある浅間縄文ミュージアムのパンフレットであるが、アサマシジミが浅間山の貴重な自然の代表として登場している。

浅間縄文ミュージアム(御代田町)のパンフレットから

 アサマシジミとよく似た種にヒメシジミとミヤマシジミがいるが、ヒメシジミは町内でも見かけることがある。農道沿いの僅かな狭い場所であるが、クサフジが生えていて、安定して繁殖しているらしく、ここに行くと毎年ヒメシジミに会うことができる。

ヒメシジミ♀(2024.7.3 撮影)

ヒメシジミ♂(2024.7.3 撮影)

ヒメシジミ ペア(左♂、右♀ 2024.7.3 撮影)

ヒメシジミ(上♀、下2頭♂ 2024.7.3 撮影)

 アサマシジミの幼虫の食草はナンテンハギやクサフジなどのマメ科の植物である。我が家の狭い庭に、そのナンテンハギも植えてみたものの、もちろんそんな孤立した点のような場所に成虫が産卵にやって来るわけもない。

 あまりなじみのないナンテンハギであるが、目が慣れてくると、葉のつき方に特徴があり区別がつくし、特に花の咲いている時などは自宅近くの空き地などを見て回ると、結構生えていることが分かる。

 以前、かなり広い空き地の道路沿いに、このナンテンハギの小群落ともいえるものを見つけて、嬉しく思っていたのであったが、その土地にはあっという間に大型マンションが建設され、今では道路沿いのこの土地も整備され、野草類はすっかり姿を消した。

 こうしたことが、浅間山麓のあちらこちらで起きてきた結果だと思うが、アサマシジミの生育地が消えていったのであろう。

 浅間山系に接する御代田町では、早くも1974年3月30日にアサマシジミを天然記念物に指定している。長野県は希少動植物条令で、2021年からアサマシジミの採集を禁じた。
 
 また、小諸市糠地郷の「蝶の里山会」ではチョウの保護活動や啓蒙活動を行っているが、その願いが叶って、2024年1月にはアサマシジミが小諸市の自然環境保護条例指定種になった。


小諸新聞2021.9.17号を伝える「アサギ郷・蝶の里山」のブログ(2021.9.27)
 
 小諸市在住の昆虫写真家・海野和男氏は、自身のブログで次のように書いてこのことを紹介している。

 「アサマシジミが小諸市の自然環境保護条例指定種になりました
          2024年01月17日

 アサマシジミは長野県では2021年から採集禁止になっているが、小諸市ではいまだに採集圧もあり、また発生地そのものが破壊されてきました。
 本日、自然環境保護条例指定種にすることが承認されたと、先ほど市から電話がありました。それでアサマシジミが生き残れるかどうかはわかりませんが、1歩前進です。市は保護地区を指定することができますが、その土地の所有者、占有者の同意を得なければならないので、そのあたりがネックですが、地区を指定した場合は、建築、造成、伐採などに事前許可が必要になると言うことで、実際に地区が指定されれば、アサマシジミの保護に役立つと思います。ぼくの知っているアサマシジミのいるところは道路脇で、ここ何年か伐採、草刈りなどの影響を受けています。早期に指定地区の設定が行われると良いのですが・・・」

 ところで、このアサマシジミについては、いくつか興味深いことがある。まず、いつもの「原色日本蝶類図鑑」(1964年 保育社発行)の記述を見ると次のようである。
 
 「Lycaeides subsolana yagina STRAND 1922
 あさましじみ:こしじみ;しろうましじみ(地方型)
 本種も前2種(シジミチョウ〈当時はヒメシジミは別名であった〉とミヤマシジミのこと)と類似の蝶で、種の判別はやや困難であるが、次の諸点において区別される。① 前2種にくらべ形は最も大きく、② 雄の翅色は暗青色でやや紫がかっている。③ 前翅第2室裏面の黒紋は『ミヤマシジミ』と同様に横長く(『シジミチョウ』では円形)、④ 後翅裏面外縁の色紋は、『ミヤマシジミ』は朱色、本種は『シジミチョウ』と同じく略黄色である。⑤ 全翅裏面の黒紋は一般に他種より大きくあざやかである。本種の分布はきわめて狭く、関東の低山地にまれに産し、中部山地帯のみ多産地として、浅間・蓼科・八ヶ岳などは特に饒産することによって著名である。北海道・四国・九州には全く産せず、中部にても西部にはまれとなり近畿・中国にても未知の種に属する。発生は年1回、6月末から7月に多く幼虫はマメ科の植物を食す。
 種名は『東方の』意、亜種名yaginaは八木誠政氏の姓に因む。
 従来その正体の明らかでなかった『しろうましじみ』は本種と同一種であることが最近明らかにされた。」

 ここにあるように、この当時は北海道には棲息しないとされていた。

 そして、続く2つの項には「ヤリガタケシジミ」と「イシダシジミ」が記載されていて、当時この2種は「アサマシジミ」とは別種として扱われていたことがわかる。

 「Lycaeides yarigadakeana MATSUMURA 1929
 やりがだけしじみ:(原型)
 本種の知られる棲息地域はきわめて狭く、上高地梓川畔と徳沢牧場付近で、多数の『しじみちょう』と混飛し(この付近には『あさましじみ』『みやましじみ』は発生しない)草原の上をゆるやかに飛翔し花に訪れる。
 本種は、①『しじみちょう』『みやましじみ』よりやや大形で、『あさましじみ』より少し小型である。②雄の翅色は明るい空色で『あさましじみ』の様に暗青色でない。③翅脈は細く黒色で、④裏面も灰白色で『あさましじみ』のように暗色を帯びない。発生は年1回、7月中旬から8月なかばに採集され、生活史はいまだ明らかでないが幼虫の食草はタイツリオウギと推定される。」

 「Lycaeides subsolana iburiensis MATSUMURA 1929
 いしだしじみ:(地方型)
 Lycaeides 属のものとして現在5種が知られるがいずれも類似したもので、この繁雑な同定は全種の標本による比較を必要とし、その判別ははなはだ困難なものがある。本種は北海道の札幌・定山渓・十勝・釧路・北見などに知られ、多くは『しじみちょう(ヒメシジミのこと)』と共に草原に見出され稀種に属する。
 ①雄の翅色は前種(やりがだけしじみのこと)より更に明るいルリ色で、②外縁の黒帯は前種より更に細く淡色、後翅ではほとんど帯状をなさず、各室で1個の黒紋となる。③『裏面』は前種より明るくほとんど白色、④後翅の基部は青く黒紋は小さい、⑤前翅裏面の紋列はきわめてまばら、⑥裏面に現われる橙色紋はいずれも淡く不鮮明である。発生は年1回、6~7月に出現する。」

 現在は、「日本産蝶類標準図鑑」(2011年 学研教育出版発行)を見ると、アサマシジミの別名として、ヤリガタケシジミ、ミョウコウシジミ、トガクシシジミ、イシダシジミが挙げられていて、次の説明がある。

 「変異
 本種は産地によってかなり顕著な地理的な差異が認められるが、その産地が連続的な本州中部の場合には移行型を産する地域があり、これを厳密に亜種として区別することができるかどうかについては疑問があるが、現在便宜的に次の3亜種が認められている。
 1)イブリシジミ(イシダシジミ) 北海道に産する
 2)ヤリガタケシジミ 飛騨山脈上高地付近より後立山連峰、妙高・戸隠周辺、白山周辺に産する。
 3)アサマシジミ(狭義) 群馬、埼玉(西部)、東京(西部)、神奈川、山梨、長野(上記ヤリガタケシジミの分布圏をのぞく)、静岡(東部)に分布。」

 これら亜種を含むアサマシジミについては、生息域が狭く限られていることや、近年急速にその生育場所が失われていることから、主な生息地である長野県の他でも生息状態の調査や生息場所の保全に向けた取り組みが行われている。

 主な生息地の一つ群馬県では、「群馬県におけるアサマシジミの分布変遷と保全」(松村行栄・高橋克之 群馬県立自然史博物館研究報告(13):149-152, 2009)と題する報告が出されている。

 ここでは、文献調査と現地調査が行われ、文献調査ではチラシ配布による情報募集も行われた。現地調査は吾妻郡高山村、藤岡市上日野で実施された。

 その結果は次のようである。

 「1949年以前、群馬県の22市町村にアサマシジミが分布していたと思われる。1950-1959年には18市町村に生息していた。しかし、2005-2008年は6市町村でしか確認できず、これは分布地域の73%の減少率にあたる。1950-1959年を基準にしても67%の減少となる。・・・
 現地調査の結果、アサマシジミの生息環境であった草原の減少が確認された。現在、残された草原環境は林道脇の草の刈取りが定期的に行われている場所だけになっている。」

 もう一つのアサマシジミの生息地である北海道では生息環境の保全方法についての研究が行われ、次の報告が出された。

 「草原性絶滅危惧チョウ類と生息環境の保全方法を解明ーアサマシジミ北海道亜種の生活史を踏まえた草刈りの有効性を実証ー」(速水将人・中濱直之・大脇 淳・木下豪太・内田葉子・小山信芳・喜田和孝、道総研プレスリリース、令和6年3月26日)

 「結果:アサマシジミ幼虫は、草刈り区にのみ出現し、草刈りなし区では本種のエサとなる植物のナンテンハギがあっても出現しませんでした。また、アサマシジミの成虫とナンテンハギの花数は草刈り区で2年連続多くなりました。調査地点に出現したチョウ全個体数は、草刈り区で多くなり、チョウの全種数・開花植物の全種数・全花数については、草刈りによるマイナスの効果はいずれも認められませんでした。・・・」

 今後、他地域でも生息環境の保全が進み、アサマシジミの減少が食い止められ、願わくば当地域でも普通にアサマシジミが見られるようになってもらいたいものと切に願う。

 これまでのところ、私はアサマシジミを野外で直接観察・撮影する機会はないが、古い標本の写真撮影をする機会を得た。産地は群馬県、山梨県、長野県、新潟県と各県にまたがっている。次のようである。

アサマシジミ♂ 群馬県子持山 1982.6.10 

アサマシジミ♀ 群馬県薬師温泉 1984.6.20 

アサマシジミ♂ 山梨県塩山 2003.6.28 

 
アサマシジミ♀ 山梨県御坂町 1999.6.26 

アサマシジミ♂ 長野県小谷 1964.6.8 

アサマシジミ♂ 新潟県妙高高原 1980.6.19

アサマシジミ♂ 長野県霧ヶ峰 2005.7.16 


アサマシジミ 左♂(群馬県子持山 1982.6.10 )、右♀(群馬県薬師温泉 1984.6.18 ) 

アサマシジミ♂ 上:長野県霧ヶ峰 2005.7.16 、中:長野県霧ヶ峰 2005.7.16 、下:群馬県子持山 1982.6.10 
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