軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

軽井沢出身外交官が語る中東情勢

2024-03-15 00:00:00 | 軽井沢
 元レバノン特命全権大使の山口又宏氏による特別講演会が、3月10日(日)に行われることを区回覧で知り、聞きに出かけてきた。このチラシには、軽井沢出身外交官とあり、「東部小学校、軽井沢中学校出身」と記されているのでとても身近に感じられる。

山口又宏氏の特別講演開催を伝えるチラシ

 前回の浅田次郎氏の講演会の時もそうであったが、申込不要とある。少し早めに中央公民館に着いたが、駐車場にはまだ十分余裕があり、会場の大講堂に入ってみると、こちらも来場者はまばらで、前方4列目ほどに席をとることができた。

 しばらく経って司会者が挨拶を始める頃には会場も7割程度が埋まり、多くは私同様白髪交じりの人たちの姿と見受けた。

 先のチラシには「・・・今般の中東情勢を目の当たりにして、平和の意味を考え、国際親善文化観光都市軽井沢から平和を訴える。」とあり、もちろん今一番の中東問題であるイスラエルによるガザ地区への侵攻について、元大使のお話が聞けるであろうと考えて出かけたのであった。

 ロシアによるウクライナ侵略の先が未だ見えない中、引き続いて起きたハマスによるイスラエル攻撃と、それに続くイスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への攻撃であるが、ここで起きている惨状に、多くの人が心を傷めている。

 今回の、ことの発端は2023年10月7日のハマスによるイスラエル奇襲であったが、もちろんその背景には長い長い歴史がある。

 イスラエルは直ちに反撃し、ハマスが潜伏しているガザ地区北部への空爆を開始したが、このことに関して、2人の発言を振り返っておきたい。

 1人はグテーレス国連事務総長の10月24日の安保理会合での声明である。

 CNNが伝えるところでは、次のようである。

 「国連のグテーレス事務総長は24日、中東に関する安保理の会合で、イスラム組織ハマスが今月7日にイスラエルに対して実施した攻撃について、『他と無関係で起こったのではない』と述べた。
 グテーレス氏は『ハマスによる攻撃は他と無関係で起こったのではないことを認識することも重要だ。パレスチナの人々は56年にわたり、息の詰まるような占領を受けてきた』と指摘。グテーレス氏は、パレスチナの人々は『自分たちの土地が入植によって着実に侵食され、暴力に苦しめられるのを見てきた』と言い添えた。
 グテーレス氏は同時に『パレスチナの人々の不満はハマスによる恐ろしい攻撃を正当化することはできない』と述べた。グテーレス氏は、パレスチナの人々がハマスの攻撃のために、集団的に罰せられるべきでもないと指摘した。
 このため、全ての紛争の当事者は軍事作戦の実行において、民間人に危害を加えないよう常に注意を払うだけでなく、病院を尊重し、保護し、そして、現在60万人以上のパレスチナ人が避難している国連施設に対する不可侵性を尊重すべきだとグテーレス氏は述べた。
 グテーレス氏は、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への激しい攻撃について、深く憂慮しているとし、民間人の死傷者の水準や、近隣地域の大規模な破壊の継続を挙げた。
 グテーレス氏によれば、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)で働く職員のうち、少なくとも35人が過去2週間のガザに対する攻撃で死亡した。
 グテーレス氏は、『国際人道法の明白な違反』がガザで目撃されているとし、例として、イスラエルが今月に入り100万人以上の人々に対して退避を指示したことを挙げた。
 グテーレス氏は、ガザに届けられた支援について、数日で枯渇しかけている燃料供給を含めて、同地の膨大な需要に対応していないと強調した。
 グテーレス氏は、即時の人道的停戦とパレスチナ・イスラエル紛争の2国家解決、無条件での人質全員の即時解放を改めて訴えた。」

 この発言に対し、イスラエル側は強く反発し、グテーレス氏の辞任を要求したが、グテーレス国連事務総長は25日、次のように弁明したとCNNは再び報じている。
 
 「国連のグテーレス事務総長は25日、前日の安全保障理事会での自身の声明にイスラエルが反発したことについて、『誤った解釈』に『ショックを受けている』と述べた。
 グテーレス氏は25日、国連本部にいる記者団の前に予告なく現れ、前日の声明を再度読み、『誤解解き』を図った。
 グテーレス氏は24日の声明で『ハマスによる攻撃は他と無関係で起こったのではないことを認識することも重要だ』と指摘。『パレスチナの人々は56年間、息の詰まるような占領下に置かれてきた。入植によって土地がどんどん奪われ、暴力に悩まされ、経済は抑圧され、人々は家を追われ、そして家屋は取り壊されてきた』とこれまでの経緯に言及した。
 『だがパレスチナの人々が恨みを抱えているからといって、ハマスによる恐ろしい攻撃を正当化することはできない。また、そのような恐ろしい攻撃によって、パレスチナ人に対する集団的懲罰を正当化することはできない。戦争にもルールがある』とも述べた。
 グテーレス氏は25日、『7日にイスラエルで起きたハマスによる恐るべき前代未聞のテロ行為』を明確に非難したと繰り返した。
 同氏は『パレスチナの人々の恨みについて語った』ことを認めた一方で、『ハマスによる恐ろしい攻撃を正当化することはできない』と述べたことを強調した。
 グテーレス氏の声明に対してはイスラエルが強く反発し、同国の政府関係者はグテーレス氏の辞任を要求したほか、国連職員への査証(ビザ)発行を停止している。」

 2番目に思い出しておきたいのは、イスラエル人で、世界的に著名な歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリ教授が2023年10月20日に、日本のTV報道番組のインタビューに答えて語った以下の内容である。

 「Q:今回のハマスによるテロ攻撃は、ホロコースト以来の大虐殺ともいわれています。ハラリさんはイスラエル人当事者として、そして歴史学者として、それぞれの立場から今回のことをどのように受け止めていらっしゃいますか。

 A:イスラエルは今ここ何年かで最大の危機にあります。そして実際、地域全体がここ何年かで最大の危機にあります。核戦争まであと24時間といってもいいです。ヒズボラなどのイランの同盟組織が数万のミサイルでイスラエルを攻撃する可能性があるからです。それでもイスラエルは核を含む全戦力で自衛できます。今、非常に危険な時です。さらにイスラエル国民にとって非常に難しい悲劇的な時でもあります。民間人の虐殺は本当にひどいものでした。叔父と叔母はテロリストに襲撃され壊滅した集落の1つに住んでいました。2人が身を隠す中テロリストは1軒ずつ住宅を調べ、2人はかろうじて難を逃れました。
 テロリストは意図的に民間人を襲っただけでなく、考えうる最も残虐な方法で拷問し殺害しそれを公開しました。
 その目的はイスラエルと地域全体の心に憎しみの種を植え付けて、和平のチャンスをすべて潰すために。もう1つだけ言っておきたいのですが、この襲撃の裏ではイスラエルとサウジアラビアが平和条約を締結する寸前でした。この条約がイスラエルとアラブ世界との関係を正常化し、イスラエルとパレスチナの和平プロセスを再開するはずでした。
 ハマスとイランが和平成立を恐れたから今回の凶悪な襲撃を仕掛けたのです。だからこそ彼らはこの悪質な襲撃を開始したのです。この攻撃で多くのイスラエル人が犠牲になっただけでなく、数百万のパレスチナの民間人が難民として他国に移るかもしれません。

 Q:ハラリさんは以前、人類は進化し戦争はなくなると本に書いています。歴史的にイスラエルは多くの苦悩と苦しみを経験してきました。(今を切り取れば)ガザの人々に対する報復を通して彼らが苦難することになります。あなたはこの現実をどのように受け止めていますか?。

 A:我々は暴力の悪循環の中にいます。それはもう何十年も続いていて今エスカレートしています。一番の問題は人々が過去の傷を癒すことなく、相手を傷つけるための大義名分に利用していることにあります。さらなる傷を与えることを正当化していることです。
 歴史家としてこれは“歴史の呪い”です。みんな未来ではなく過去を救おうとしているのです。
 過去に戻って何年も何十年も前の過ちをただすことはできません。必要なのは未来に目を向け平和のための道を探すこと、現時点ではほぼ不可能に見えますが、長い目で見れば不可能ではないと思います。というのも80年前、ユダヤ人はドイツのナチスに虐殺されましたが、いまやドイツ人とユダヤ人は友好的です。これが可能ならば、過去のあらゆる傷も癒えるはずです。ただそれは人々が傷を癒すことに関心を持って、戦争や暴力の言い訳として利用しないことが条件です。

 Q:今、イスラエルは報復のために地上侵攻を準備しています。今このタイミングで、ハラリさんにインタビューできることが重要なことだと思っていますが、では、地上侵攻これ以上の報復を止めることはできないのでしょうか?。イスラエルの人たちはそれをどう思っているのでしょうか?。

 A:ハマスとガザのパレスチナ民間人を分けて考える必要があります。イスラエルにはハマスから国民と領土を守る権利があります。ハマスはテロ組織で、その狙いは和平のチャンスを潰すことです。だから和平を求める人は誰でもハマスの武装解除を求めているでしょう。これが戦争の目的です。イスラエルは民間人を殺そうとしているのではありません。民間人にも被害は出ていますが、目的はテロリストを攻撃することなのです。残念ながらハマスは民間人を人間の盾に、民間人居住区内に基地と武器を持っています。
 イスラエルは民間人の命と人権を守る義務があります。民間人が戦闘地域から退避できる方法が見つかることを願います。
 例えばエジプトはガザ地区と隣接しているので、戦争の間だけでもガザの民間人を受け入れられたはずです。イスラエルがハマスを武装解除させながら、私たちは他国とあらゆる選択肢を考えるべきでしょう。民間人の命と人権を守るにはどうすればいいのかを他の国々やイスラエルとともにあらゆる選択肢を模索する必要があります。

 Q:番組ではイスラエルの上級顧問であるマーク・レイブ氏に尋ねたところ、彼は「停戦はない」と言いました。そして戦争に犠牲はつきものだと話していました。もちろんハマスのやったことは卑劣極まりない残虐行為・テロ行為ですが、ガザ地区にはハマスだけではなく罪のない人々がいます。民間人の犠牲を避けることはとても難しいでしょうが、それについてはどう思いますか。

 A:イスラエルには民主主義国家として国際法を遵守し、民間人への危害を可能な限り制限する努力義務があります。私もガザ地区の惨状に心を痛めています。しかし、イスラエルが意図的に民間人を殺そうとしているわけではないことは誰の目にも明らかでしょう。
 イスラエルは巨大な軍事力を持っており、それを慎重に使おうとしています。シリアの内戦と比べてみてください。アサド政権はホムスやアレッポで意図的に民間人を殺害しました。
 意図的にできるだけ多くの市民を殺そうとしたことと比較してみてください。シリア軍は大量の大砲で街全体を容赦なく無差別に爆撃しました。民間人を殺すために。これはイスラエルがガザでやっていることではありません。イスラエルは民間人の犠牲を最小限に抑えるためにすべての作戦を制限する必要があります。理想としてエジプトなどが民間人の退避に同意してくれれば、イスラエルは戦いに集中することができるのです。

 Q:世界に目を向けたいと思います。イスラエル、ユダヤ人には支持する国々、アメリカなどがあります。そして、アラブ人、パレスチナの後ろには支持する周辺国がある。大きな対立になりそうな、この現状をどうみますか。

 A:確かにこれは危険性を伴います。高い確率ではありませんが、核戦争に近づいているとも考えられます。この問題は全世界の国々が注目すべき事情です。みなさんイスラエルとガザ地区のむごい映像を見ていると思います。この「苦しみの海」にのまれている人の心は、痛みで満ちているため他人の苦しみを感じとれず、共感できない。イスラエル人とパレスチナ人両方に言えることです。これは人間の心情にすぎません。ただ国外で暮らしたり中東に親族・友人もいない英国やブラジルや日本の人たちは記事やテレビでしか現状を知らないでしょう。
 イスラエルとパレスチナ双方の視点から物事を見るようにすべきです。「知的・感情的な怠惰」に陥らないようにすべきです。どちらかが「絶対的な正義」で、もう一方が「絶対悪」だと思い込まないようにすべきです。「知的な怠惰」は避けなければなりません。現実というものの複雑性を把握するよう試みることが必要です。そして状況の“緩和”に協力して、戦争が他の地域へ広がることを阻止するべきです。これこそが外部の人の義務です。

 Q:今まではハラリさんは歴史学者として「アウトサイダー」でもあったと思いますが、今回はまさに「当事者」になっていると思います。歴史学者として、当事者として苦しいところだと思います。被害を目の当たりにして苦しみで頭の中がいっぱいかもしれませんが、歴史学者として極めて冷静な目で今を判断するとしたらどう言い表しますか。

 A:これは私自身の家族や友人に深く影響を及ぼし、これは私自身のひどい苦しみを与え続けている問題であるため、現時点では私は客観的になることができないと思います。もちろんこのインタビューを見ている人にも、パレスチナ人などの異なる視点の人々とのインタビューも見てほしいです。
 信用する情報には慎重になって結論を急がないようにすべきです。ガザの病院で起きた無残な爆発が一例に挙げられます。当初はイスラエルのせいだと考える人が多くでしたが、事実確認がなされた結果、主要の専門家やメディアはイスラエル側のせいではなく、“イスラエルへ発射しようとしたところ誤射で病院に当ててしまった”テロ組織のせいだと判断しました。これは単なる一例にすぎません。双方の話を聞いて慎重に判断しなければなりません。そして外部の人にはどこかで見てきた動画などではなく、しっかりした根拠に基づいて判断をすることが求められます。

 Q:長い歴史の中で考えると、イスラエルの人々もパレスチナの人々も、どちらも被害者であると思います。そこには憎しみ・悲しみの連鎖があり、今も争いがある。その憎しみの連鎖をほどくヒントはどこにあるのでしょうか。

 A:第一に歴史上で人々は被害者であると同時に加害者であることがほとんどのケースであるという事実を受け入れなければなりません。多くの人がこれを理解しません。被害者か加害者でしかないと思い込んでしまう人がほとんどです。歴史においてこのようなことはほぼありえません。少なくとも複雑な問題や長年続く争いごとについては、同じ人々が被害者と加害者両方であることがほとんどです。歴史の事実は複雑であると考えるのは平和への重要なステップです。人の中には「絶対的な正義」を求めてしまう者もいます。地球上に「絶対的な正義」など存在しません。「絶対的な正義」を探し求める人は、必然的に避けられない争いに引かれてしまいます。どんなことであっても譲歩が全くできなくなってしまうからです。人類史上において平和条約というものは必ず譲歩に基づいたものであり、「絶対的な正義」を求めたものは一つもありません。つまり我々は選ばなければなりません。絶対的正義という妄想を追い続けるのか、それとも平和のために譲歩しあう意思があるのか。歴史学者として答えは明白です。譲歩しなければなりません。人類は死後の世界での運命や絶対的な正義といった妄想ではなく、今ここにある地球で生きなければならないからです。このような状況で打開策に至るのは極めて難しいでしょう。
 イスラエルはサウジアラビアを介して和平合意という打開策の一歩手前でした。これがハマスの攻撃を招いたのです。なのでハマスを壊滅させることだけでは不十分なのです。戦争の目標は平和を築くことが可能になる段階へ導くことであるべきです。これを達成するためにはハマスを倒すだけではなく、パレスチナの人々がまっとうな生活をできるようにすることが必須です。

 Q:今のイスラエル政府の報復の姿勢を見ていると、そこに複雑さ、歴史を顧みての迷いは感じられますか。

 A:アメリカ政府とイスラエル政府という2つの勢力を考慮しなければなりません。イスラエル政府について私は代表することはできませんし、ネタニヤフ首相と閣僚が何を考えているかわかりませんが、彼らの行動を観察すると報復を行おうとしているだけではないと読みとれます。より多くのパレスチナ人を殺害しようとしているわけではありません。彼らの目標はテロ組織「ハマス」の武装解除です。平和を求める人であればこの目標に賛同するべきです。なぜならハマスは創立当初からイスラエルの存在する権利を否定し、平和に向けたいかなる試みも意図的に妨害しようとしてきたからです。オスロ合意も頓挫してしまいましたし、イスラエル=サウジアラビア間の平和条約についてもしかりです。イスラエルの目標は単純な報復ではありません。ハマスがガザ地区を支配する限り、10月7日に誘拐された人質だけではなく、イスラエルとパレスチナ双方の人々をその宗教的な妄想のために人質にしているのです。
 もう一つの勢力はアメリカです。アメリカは膨大な軍事力を地域へ派遣することによって極めて強硬的に介入しました。これは良いことだと思います。イスラエルに支援の態勢を示し、敵勢力からの攻撃の心配を軽減させるうえ、アメリカ側にイスラエルを制御する正当性と信頼性を与えるからです。
 私はどちらの政府の代表者でもありませんが、イスラエル・アメリカ両方の政府が、軍事的にハマスに勝利するだけでなく、将来的に平和の種をまくことを目的にしていると望んでいます。同時にイスラエルの人々だけでなくパレスチナの民間人も守うえで、彼らに尊厳ある存在を将来約束する義務を忘れないことが必要です。

 Q:ハラリさんはほかのインタビューで、今回のことはイスラエル政府の思いあがりの代償でもあると言っていましたが、そのことを教えてください。

 A:これはハマス攻撃の言い訳にはなりませんが、長年のネタニヤフとその政権については批判できることが多くあります。私自身も長い間ネタニヤフ政権を批判してきました。
 残念ながら10年以上にわたり、ネタニヤフ政権はパレスチナと真の平和を築く努力を怠ってきました。ネタニヤフ政権はイスラエルの占領に関して、ますます過激な立ち位置を摂るようになり、時にはパレスチナに対して人種差別的な世界観を選び、それは大きな間違いでした。さらにイスラエル国内において、ネタニヤフ政権はイスラエルを二分化し、ポピュリズムを選択、自ら権限を欲する国家機関を非難し、軍隊など自分に反対し、自分の権限を制する機関を批判しました。
 またネタニヤフ陣営は国家に仕えるエリートを非難しました。最前線で国に仕えていた人を国家の裏切り者だと攻撃し、それにより国家とその機関が弱体化し、今イスラエルはその長年の間違った政策のつけを払っています。
 対パレスチナ政策だけではなく、自国に対する政策も含みます。もっと広く世界をみると、イスラエルとパレスチナはここ10年の間違った政策のおかげで、世界中で代償を払っています。それは開かれた世界秩序を批判し、破壊したことです。ロシアや北朝鮮だけでなく、トランプ前米大統領でさえも、自由主義・国際秩序を非難し秩序を破壊すると残るのは、アナーキー(無政府主義)とカオス(混沌)です。
 ウクライナ侵攻や現在のハマスのイスラエルへの攻撃を見ると如実です。国際協力と国際法に基づいて機能する国際秩序を作り直さない限り、残念ながらこういった暴力行為は世界中にもっと普及していくでしょう。

 Q:今回の発信メッセージによって、イスラエル国民にも警鐘を鳴らしているのでしょうか?

 A:はい、これは非常に危険な時です。イスラエルやパレスチナにも、近隣諸国や世界にとっても、自由で開かれた国際秩序の破綻は、そもそも何を基にしたものだったかを理解する必要があります。リベラルな理想とは全人類が基本的には同じだということ、同じ動物であり、同じ生物学的な体験を共有し、痛みを感じ、子供を愛し、親を愛すること。
 我々にはこういった共有体験に基づいた、共通した守るべき利益・価値観があります。これが自由で開かれた国際秩序の基本的な考え方です。それが世界中の人たちさらにはネタニヤフ本人からも非難されたのです。
 オルバン首相・トランプ前大統領・ボルソナロ前大統領と結託し、自由で開かれた国際秩序を非難しました。しかも代案を示さなかった。リベラルな価値観が嫌いだとしよう、それは良いが、じゃあ代替案は何か。国家同士がリベラルな価値観で協力できないなら、どのような代替的な普遍的価値観なら協力できるのか。彼らは代替案を一切示しませんでした。そのため今秩序が破綻しており、あるのは無秩序です。
 私のメッセージはイスラエルだけではなく、世界の人へも向けています。秩序を再建しなければ今イスラエルを破壊している暴力行為が世界に広まり、とても緊迫した東アジアや世界の他の地域に広がります。
 何らかの機能する国際秩序にもどらない限り、世界は悲惨なアナーキーと戦争の事態に陥るでしょう。

 Q:今のお話を聞くと、政治家に頼るだけではなく、私たち一人一人がきちんと考えて物事を冷静に見るようにし、複雑なんだということを理解しながら考えていかなきゃいけないということでもありますか。

 A:はい、どんな人もこの世界でなんらかの力を持っています。誰でも何らかの責任を持っています。SNSを見て何か書き込むだけでも世界に影響を与えます。大きくはないかもしれませんが影響はあります。常に自問すべきは「自分は世界にどんな“種”をまいているのか?」です。「自分は世界にどんな種を植え付けているのか?」です。
 憎悪や暴力の種をまいているか、それとも慈悲と和解の種か、政治家には大きな責任があります。責任のある政治家が必要です。政治家の代わりになるものはありません。政治家はそれ自体が職業です。私には資格もないしできません。特定の資格であり自分の行動に責任を取れる良い政治家が必要なのです。
 しかし、誰でもこの世において一定の行動力を持っており、それに対する責任もあります。今、世界では多くの人が壁や境界線を作る必要性を語っています。思考と口の間にも壁を作らなければなりません。我々は頭に思い浮かぶ考えや感情はコントロールできません。しかし口から何を発するかはコントロールできる。
 SNSで何を書くかもコントロールできる。それが私たちの責任であるべきだ。政治家は特にそうだ。例えばトランプのように「本物」の政治家なのに、頭に浮かんだことをすぐに口に出す政治家もいる。
 「いいねと思ったことを正直に言う政治家だ」と感心する人もいるが、これはとても良くないことだ。政治家は頭に浮かんだことをすぐに口に出していけない、責任感が必要だ。
 私の思考もゴミだらけです。時には憎悪や怒りもあります。このようにテレビで何百万人も見ている時は、発言に注意しなければなりません。私の言葉が数多くの人の思考に「憎悪の種」を植える可能性もある。政治家だったら、責任はもっと大きい。数百万の人の思考に「種」を植えることができるから。
 たとえ一個人で、テレビで話をするわけでもなく、大統領でもなくても責任を持つ必要があります。思考の内容にではない、思考はコントロールが非常に難しい。しかし、何かを言うか書くかするかに関しては責任を持つべきだ。

 Q:ハラリさんは著書で「人類は進化する」「戦争はもう起こらないんじゃないか」とおっしゃってましたが、本当に人類は難しく、複雑で、愚かで、でも優しくて未来があるんですけど・・難しいですね。

 A:はい、私はそう言った言葉をまったく違う時代に書きました。10年ほど前の、平和を満喫していた時代のことです。それ以来、状況は本当に悪化しました。先ほど言ったように、世界秩序に対する攻撃がありました。北朝鮮のような外の国々からだけではなく、世界秩序を築いたアメリカやイギリスからもです。
 我々は今、歴史の中で異なる時代にいます。コロナ禍では共通の敵であるウィルスに対して団結する代わりに、十分な国際協力が行われませんでした。そして、コロナ禍の後にも結論が出されなかったことに、私は本当に驚いたというか、落胆しました。私や多くの人々がこの恐ろしいコロナ禍の後、パンデミックが人類全体にとっても危険であることに気づき、我々がパンデミックに対する警告と、封じ込めの世界的なシステムを構築することを期待していましたが、パンデミック、ウクライナ侵攻、そしてハマスの攻撃です。状況はますます悪化しています。しかし、我々にはまだそれを止める力があります。
 人間の愚かさを決して過小評価すべきではありません。それは歴史上最も強力な力の一つであり、歴史上最大の大惨事となることもしばしばあります。大惨事が起こるのは外部の力のせいではなく、人間の愚かさのためなのです。しかし、同時に人間の知恵を決して過小評価してはなりません。私たちは正しいことをすることができます。そして繰り返しますが、これはまず政治家の責任であり、最終的には私たち一人ひとりの責任なのです。

 Q:今、ハラリさんがイスラエルからロンドンに移ってこられ、世界のたくさんのメディアのインタビューに答えています。どんな目的で、何を訴えたくて、こうしたインタビューに答えくださっているのですか。

 A:最も重要なメッセ-ジは、エスカレートさせないことです。この戦争を広げさせないことです。今のままでも十分悪いことです。しかし、このインタビューの冒頭で申し上げたように、西岸やレバノンだけでなく、核戦争に広がる可能性があります。広島と長崎以来、初めて核兵器が戦闘に使用されるかもしれないのです。なぜならこの地域には核戦力を持つ国がいくつかあるからです。そして、もしこういった国々が存亡の危機に瀕していると感じれば、壊滅的な結果を招きかねません。つまり最も重要なことはこの状況に対して、何らかの影響力を持つすべての国が、繰り返しますがある種の“絶対的正義”を求めてはいけません、それは今すぐには実現しません、先ず第一に戦火が広がるのを防ぐことです。ハマスは襲撃に「トゥファン」というコードネームをつけました。アラビア語で洪水を意味します。これは聖書の洪水のことで、人類はほぼ全滅します。だから、我々はこの洪水がより多くの地域に広がり、より多くの人々を破滅の危機にさらすことを防ぐ必要があります。

 Q:最後に、いま日本は遠く離れてはいますが、連日イスラエルとパレスチナのことが報道されています。ハラリさんから見て日本にいる者ができることにはどんなことがありますか。

 A:日本ができるのは政治・経済・文化の力を利用して戦火のエスカレートを防ぐことでしょう。あとは苦しむ人たちに人道支援物資を送ることです。避難民の数はイスラエル国内で数万、ガザ地区では数十万人で、命の危険にさらされ恐怖や苦痛とくらすひとは数百万人です。恐怖と苦しみの中で暮らしています。だから本当に重要なのは平和のための“スペース”をとっておくこと、平和のための余地を守るために最も重要なことかもしれません。なぜなら申し上げたようにイスラエル人の心もパレスチナ人の心も今や完全に苦痛のみになっているからです。痛みについて語るにしても、イスラエルのことでなければ頭にくるんです。「私たちが感じている激しい痛みを知らずに、なぜパレスチナなのか」こういった状況では平和のための“スペース”は生まれません。苦痛の海に浸りきりの私たちでは、心に平和のための“余地”(スペース)がありません。だから皆さんで大切にしてください。いつか私たちが平和の“スペース”に暮らすことになりますから。

 Q:今日は、本当に大変な中、長い時間お答えくださって、有難うございました。母国もそして周辺の国の人々も無事を祈ります。有難うございました。

 A:私もそう願っています。有難うございました。」
 
 長い引用になったが、ここで本題に戻り、上記二人の話では触れられていない、山口氏の講演内容に戻る。

 山口氏は苦学の末、外交官試験に合格するが、専攻の語学を登録する際に、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語そしてアラビア語を挙げた。アラビア語を選択する人は少なく、書けば即決定される状況であり、中東担当が決まったという。

 中東諸国では、エジプト、スーダンなど7か国に勤務したが、1993年から97年までイスラエルに勤務している。1993年と言えばオスロ合意が9月に米国ホワイトハウスで調印された年であるが、山口氏は初代のパレスチナ担当者であった。

 山口氏が講演で紹介した「事態の真相」とする内容で印象に残っている話題が2つある。一つは、ガザ地区の置かれた状況である。天井のない監獄という表現はしばしば耳にするところであるが、ガザ地区の生活インフラ、すなわち電気、ガス、水道などはすべてイスラエルが管理しており、パレスチナの人たちはこれらをイスラエルから購入し、その使用料金を支払っていた。消費税まで払っているとの説明であった。今回の侵攻に際して、このすべての供給が停止された。また、食料も同様であり、ガザ地区に住む人たちはイスラエル経由で購入する以外に道はなかったのだという。これらすべてが今回停止された。

 このあたりの状況について、駐日パレスチナ常駐総代表部のワリード・シアム氏がインタビューで語っているので、引用する(2023年11月5日、堀潤氏のインタビューからの引用)

 「・・・私たちは30年前にイスラエルと和平協定、オスロ合意に調印しました。オスロ合意では、2国家による解決が明記されていました。アメリカはそれを支持しました。
 しかしその後、イスラエルは一部の国際社会の国々に守られているため、イスラエルがヨルダン川西岸に違法入植地を拡大することを支持してきたのです。イスラエルはガザを占領していないと言いますが、実質的にガザを占領しています。
 海を支配し、国境を支配し、水を支配しています。電気も支配しています。ガザの周囲には65キロの鉄壁があります。自由に出入りができず、食糧の搬入も限られています。
 つまり、ガザに住むすべてのパレスチナ人のライフラインを支配しているのです。そして、彼らは大胆にも『我々はガザを去った。2005年にガザを去った。だからガザは占領下にはない』と言い出しました。

 これを何と呼ぶのでしょうか?占領下でないというなら、その称号はひとつしかありません。パレスチナ人に対する集団的懲罰です。占領よりもひどい。国際法に反しています。人道にも反しているのです。
 だから、ガザを占領していないと言うのは大嘘です。
 彼らは電気を止め、水を止め、医療を止め、何もかもを止めました。いいですか?どうしてガザの人たちは占領されていないと言えるんですか?彼らが通信手段を支配すれば、すべてを支配できてしまうのですよ。
 それなのに、どうして彼らは、我々はガザを占領していないと言えるのでしょうか?」

 2024年3月現在、アメリカによる食料の空中投下が始まり、さらに、より多くの物資を運搬するために船による輸送が検討されているが、港湾施設の整備には2か月を要する状況であり、現在の緊急事態にはとても間に合わない。この点は山口氏も強調していたことである。

 もう一つ、山口氏は日本からパレスチナへの経済支援を担当し、今日までにおよそ3000億円の援助がなされたが、今回の侵攻でそのほとんどが破壊されているという。

 山口氏は、冒頭紹介したグテーレス国連事務総長の声明を支持していた。人々が貧しく苦しい中で、営々として築き上げてきたものが、いとも簡単に破壊し尽くされていく様子を見ることは、何とも空しい。最終的には2国家共存しか解決策はないとされながらも、イスラエルにもパレスチナ側にも、近い将来共存の道を歩む姿が想像できないと米国の政治学者ジョン・ミアシャイマー氏は語っている。

 

 










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不思議なサークル

2024-02-09 00:00:00 | 軽井沢
 天気予報の大雪警報のとおり、関東地方にも久々の雪が降ったとニュースが伝えていた。長野市も、観測史上最多の2014年に並ぶ、10年ぶりの積雪となったようで、ここ軽井沢でも2日間で30cmほど雪が積もった。

 雪は5日の昼前から降り始めて、午後には次第に強くなっていった。夕方4時ごろになると、お向かいのご主人が主要道路からの私道部分の雪かきを始める姿が見えたらしく、妻が出て行って玄関先から表の道路周辺の雪かきを始めていた。

 2階でパソコンに向かっていて、ようやくこうした事態に気が付いたので、私も外に出ていき、妻と交替して自宅周辺の雪かきの続きを行った。この時は約15㎝ほど積もっていて、車はすっぽりと雪で覆われた状態になっていた。

 その後も雪は降り続いて、最後に車の雪を全部おろしてからそれを庭の隅に積み上げ終わったころには、先に除雪した玄関前の通路には再び数センチ程の雪が積もっていた。

 翌朝外に出てみると、昨日雪かきをする前と同じくらいの雪が降り積もり、玄関先から道路までは、再びすっかり雪に覆われ、車も同様、また雪の中にあった。

 雲場池もきれいな雪景色に変わっているだろうと思いながら、日課の朝散歩に出かけた。主要道路はすでに早朝から除雪車が通ったと見え、きれいになっているが、両脇の歩道部分は、通学路になっている片方は除雪されているものの、反対側は手つかずの状態になっていて、その上に道路から排雪された雪が積もっていて、長靴を履いていても、靴の中に雪が入り込んでくるので、歩道を歩くのを諦めて車道の端を歩いていった。

 雲場池に着いて見ると、入り口の小池は真っ白になっていた。この池は、もうだいぶ前から氷が張っていて、その上に小石や枯れ枝などが投げ込まれ、散乱していたのであったが、今は雪が降り積もったのですっかり隠れてしまい、真っ白くきれいになっていた。


全面が結氷した上に雪が降り積もった雲場池入り口の小池(2024.2.6 撮影)

 雲場池の傍には観光客らしい5人の若者がいて記念写真の撮影中であった。一人がカメラマンとなり4人が並んで写真を撮ってもらっている。中の一人が足元の雪を両手で掬い上げて、これを上空に向けて放り投げた瞬間を撮影していた。言葉の様子から中国系の観光客らしかった。

 彼らが横に移動したので、私はいつもの定点に立って雲場池の写真を撮ろうと柵に近寄ったところ、雲場池の表面は真っ白な雪で覆われているが、ところどころに雪が溶けた黒いサークルがたくさん目に入った。

雲場池に現れた不思議なサークル 1/10(2024.2.6, a.m.7:33 撮影)
 
 いつもこの場所では、スマホで先ず通常の撮影を行い、続いてパノラマ撮影をするのがルーチンである。

雲場池に現れた不思議なサークル 2/10(2024.2.6 撮影)

雲場池に現れた不思議なサークル 3/10(2024.2.6 パノラマモードで撮影)

 この後、池の周辺を歩きながら、水鳥などの撮影を行うのであるが、この日は、このサークルのことが気になり、池を1周しながら様々な角度からの撮影を行った。以下の様である。

雲場池に現れた不思議なサークル 4/10(2024.2.6 撮影)


雲場池に現れた不思議なサークル 5/10(2024.2.6 撮影)


雲場池に現れた不思議なサークル 6/10(2024.2.6 撮影)


雲場池に現れた不思議なサークル 7/10(2024.2.6 撮影)

雲場池に現れた不思議なサークル 8/10(2024.2.6 撮影)


雲場池に現れた不思議なサークル 9/10(2024.2.6 撮影)


雲場池に現れた不思議なサークル 10/10(2024.2.6 撮影)

 これまで、5年ほど雲場池の周辺を散歩しながら撮影を行ってきた。冬季期間も水鳥が増えるので、同様であったが、このように多くのサークルが出来ているところに出会った記憶はない。

 なぜ、こうしたサークルができるのだろうか、池の底からの湧水が影響しているのだろうか、あるいは時々見かけていたが、池の底から立ち上る泡が原因となっているのだろうか、それとも池底に棲息している生物が関係しているのだろうかなどと、池周辺を歩きながら考えてみたが、うまく考えがまとまらない。

 帰宅後、ネット検索で類似の画像を探したところ、よく似た円形のものや、放射状のものが見つかった。それによると、この種のパターンは「氷紋」と呼ばれていることが分かった。

 この話を、我が家の検索エンジンである妻にしたところ、早速いろいろと調べて、10年前の日本雪氷学会誌「雪氷」に関連論文が掲載されていることを見つけてくれた。次のようである。

解説:
結氷した湖面などに形成される氷紋
ー放射状紋、同心円氷紋、懸濁氷紋の生成過程ー
東海林明雄(とうかいりん あきお 北海道教育大学名誉教授)
日本雪氷学会誌「雪氷」、76巻5号(2014年9月)355-363 頁

要旨:
 「結氷湖面や池の氷面に降雪後、放射状氷紋、同心氷紋、懸濁氷紋と呼ぶ 3 種類の氷紋が現れる。こ れらの氷紋の形成メカニズムの研究は 20 世紀の初頭以来、世界中で行われ、多数の論文が発表されてきていたが、何れも推測された根拠に基づく理論ばかりで、確実なことは解っていなかった。筆者は 結氷湖面における観測と、その結果に基づく結氷湖面と低温室での氷紋人工生成実験により、その形 成の基本原理を解明した。つまり、氷紋は結氷面上に積雪がある時に氷に孔があき、氷の下の水が噴出することによって形成されるのである。放射状氷紋は、氷板上の積雪中を噴出水が雪を融かし、ヒトデ状または蜘蛛ヒトデ状の水路を作りながら拡散する時に形成される。同心円氷紋は、放射状氷紋のヒトデ状模様に多重の同心円が積み重なってできる氷紋で、この同心円は積雪板の陥没によってで きる。懸濁氷紋の形成原理は放射状氷紋と同じであるが、噴出水が懸濁粒子を含むことが生成条件で ある。これらの発見は、それまでに一世紀近く世界中で続いていた論争への解答となった。」

 当該論文によると、私が雲場池で撮影したサークルは、円形浸水斑とされるものによく似ており、形成メカニズムから、上記の3種の氷紋分類の中の、放射状氷紋の一種として説明されている。論文中の次の図にこうした氷紋の生成メカニズムと分類が示されている。

 
氷紋が生成されるメカニズムを示す図(日本雪氷学会誌「雪氷」、76巻5号 p361より)

 要旨と重複するが、この論文では、氷紋の生成プロセスを本文中で次のように説明している。

 「氷紋形成の条件は、・・・整理すれば次のようになる。 結氷の上に雪が積もり、氷が雪の重みで水中に押されて、水位が結氷の表面を越しているとき、 何らかの原因による孔が結氷板にできると、この 孔から氷板の下の水が噴出する。噴出水の温度 は、一般に摂氏プラス数度の比較的高い温度であ る。従って、噴出水は噴出口付近の雪を融かす。噴出水は雪を融かして氷板上の積雪中に水路を形成しながら放射状に流れて、(上図の下左端に示すような)模様が でき上がる。・・・」

 なるほどと、よく理解できる説明である。では、池に張った氷に孔ができるのはどのような理由によるのだろうか。論文には、この氷紋噴出孔についての説明もなされている。

 「氷紋噴出孔の生成原因として、まず、結晶の三叉境界の融解があげられる。氷板の氷は多結晶なので、三つの単結晶が接する三叉境界が存在する。氷板を零度に保つならこの三叉境界で氷が融解し、孔ができることが解っている。・・・
 この他に、氷紋の噴出孔には、氷板の割れ目、湧水や湖底からのガスの噴出による、湖水の対流等の原因によるものがある。・・・」

 私が、散歩中にぼんやりと考えていた湧水や泡なども理由の一つとして考えられているようである。雲場池に現れた氷紋の場合、こうした理由のどれに該当していたのだろうか。

 普段、水温が高く結氷することのまれな雲場池の様子を見ている私には、もう一つ別の可能性も思い浮かんでいる。それは、「結氷」➡「降雪」➡「噴出孔形成」の順序ではなく、「降雪」➡「部分結氷」という順序の可能性はないだろうかということである。

 先に雲場池が全面結氷しているところに雪が降り積もったのではなく、大量の雪が降ってきたために、池表面に雪が層状に浮かび、これが凍り始めたのではないか。その時、池の底から泡などが上り、微小な対流が起きることで、池表面にやや温度の高いスポットがあるとすれば、この部分に降った雪はすぐに溶けてしまうので、氷が張ることはない。従って噴出孔形成というプロセスを考える必要もない・・・。 

 そんなことを考えているうちに、この日の雪は6日午後には止んで、それ以上積もることはなかった。翌朝は青空も広がり、道路の雪もだいぶ解けて、黒い地面も見えるようになってきた。

 前日見た雲場池の不思議なサークル「氷紋」は、どうなっているだろうかと思いながらいつもの朝散歩に出かけたところ、雲場池は普段通りの景色にもどっていて、池の氷は完全に溶け、氷紋も跡形もなく消えてしまっていた。

氷が解けていつもの状態に戻った雲場池(2024.2.7 撮影)

 氷紋のその後の変化の様子が見られるかもしれないとの期待は残念ながら外れてしまった。
 
 次回、もし同じような現象が見られたら、その時はもう少しこまめに観察してみたいものと思う。

 尚、参考までに氷紋が出現する前日朝の雲場池の様子を示しておくと、次の様である。池に氷は張っていなかった。


氷紋が発生する前日の雲場池(2024.2.5 撮影)



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ウインターフェスティバルと氷彫フェスティバル

2024-02-02 00:00:00 | 軽井沢
 軽井沢町では、昨年11月25日からウインターフェスティバル2024が開催されていて、最終日の今年2月29日までの間、様々なイベントが催されているところである。

 期間中、町内各所でイルミネーション装飾が行われる他、白糸の滝ではライトアップが行われている(2月12日まで)。スポーツでは、少年アイスホッケー大会(12月9日、10日)やスケート競技会(12月24日、1月20日、21日)がすでに開催されており、今後オープンカーリング大会(2月17日、18日)も予定されている。

 大賀ホールでは12月17日にクリスマスコンサートが行われた。

 
軽井沢ウインターフェスティバル2024のパンフレット表紙

 そうした中、松本市では氷彫フェスティバル2024が行われることをTVニュースで知り、写真撮影も兼ねて出かけてきた。軽井沢でも、かつては氷彫刻国際展が行われていたと聞くが、いつの間にか中止されているので、少し離れているが久々に松本城を見たかったこともあり出かけたのであった。

 軽井沢から松本まで行くには、上信越自動車道・長野自動車道を経由するルートと、国道18号と254号を通るルートがあるが、所要時間はそれぞれ1時間51分と1時間53分であり大差がない。一方キロ数ではそれぞれ112㎞と74㎞ということなので、迷うことなく一般道を通るルートを選択した。

 このルートは、軽井沢と松本とを、ほぼ最短距離で結ぶもので、三才山トンネルが無料開放されたこともあり、とても便利に使うことができるようになっている。また、冬の今の季節でも安心して通行できる。

 この氷彫フェスティバルは正式には国宝松本城氷彫フェスティバル2024となっていて、主に松本城公園内堀沿いに氷彫刻が展示されるが、他に松本市美術館、大手門枡形跡広場、中町蔵シック館、松本駅前広場にも展示される。松本市に入ってから、妻と私は松本城を目指し駐車場を探したが、城北側の駐車場は12時時点ですでに満車の赤い表示が出ていた。仕方なく、城の西側に回り込むと、幸いにもここに小さめの新しい駐車場があって、1台分だけ空きスペースがあり、停めることができた。


メインの会場となった松本城(2024.1.28 撮影)

 目指す氷彫刻は堀の南側に沿って配置されていた。今回は3D撮影が主目的であり、早速、全国氷彫コンクールチャンピオンシップ参加作品を松本城を背景に入れながら撮影していった。これらの作品は、氷彫師が夜を徹して午前5時までに制作したものというが、いずれも2mほどの高さのある立派なもので、次のようであった。
  


  
松本城と氷彫刻作品の3D写真 1/13・鶴〈夜明け〉(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)
 



松本城と氷彫刻作品の3D写真 2/13・天下の大将軍(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)



松本城と氷彫刻作品の3D写真 3/13・優美【銅賞】(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)


松本城と氷彫刻作品の3D写真 4/13・闘鶏(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)




松本城と氷彫刻作品の3D写真 5/13・天空(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)




松本城と氷彫刻作品の3D写真 6/13・人魚姫と海の仲間達(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)



松本城と氷彫刻作品の3D写真 7/13・深海のうたげ【金賞】(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)




松本城と氷彫刻作品の3D写真 8/13・まだ見ぬ世界へ【銀賞】(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)




松本城と氷彫刻作品の3D写真 9/13・その先へ(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)




松本城と氷彫刻作品の3D写真 10/13・炎翔【特別賞】(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)




松本城と氷彫刻作品の3D写真 11/13・アスクレピオスの杖(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)




松本城と氷彫刻作品の3D写真 12/13・未来に向かって(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)



松本城と氷彫刻作品の3D写真 13/13・ASTERISK(上:平行法、下:交差法 2024.1.28 撮影)

 作品中、No.2の「天下の大将軍」は軽井沢からの参加で、「軽井沢プリンス・万平ホテルチーム」によるものであった。 

 今年のテーマは「未来」「躍動」とされ、金賞に選ばれた作品「No.7 深海のうたげ」はクラゲを彫ったもので、たくさんの細い触手が見事に彫られているものであった。次に再掲する。


チャンピオンシップ金賞作品【深海のうたげ】(2024.1.28 撮影)

 夜間、完成後は赤や青にライトアップされ、プロジェクションマッピングで飾られた松本城と合わせ、さぞかし美しい光景が楽しめたものと思われるが、私たちは2時間ほど鑑賞・撮影の後、昼食をして帰宅した。期間中の松本の最低気温は氷点下6~7度台で、出場者は「良いコンディションだった」と話していたという。

 この祭りは、1980年頃に始まり、今回が37回目である。回数がやや合わないのは、途中で一旦終了が決まったり、コロナ禍で中止になったりしたことがあったためと思われるが詳しいことはわからない。

  ところで、軽井沢ではこの松本市の氷彫祭りに先立つこと十数年、昭和44(1969)年に軽井沢スケートセンターを会場に、第1回氷まつりを開催し、ここで氷像を制作し、人気コンクール投票を行っている。

 次の写真は第2回の軽井沢氷まつりのものであるが、大きな氷像が制作されていたことがわかる。観客数は第1回が3万5千人余、第2回が5万3千人余と記録されている(軽井沢町HP)。


第2回軽井沢氷まつり(幅 北光編「思い出のアルバム軽井沢」1979年 郷土出版発行より)

 この後も氷像制作は続けられ、昭和59(1984)年の開催時には、団体臨時列車「軽井沢氷まつり号」が上野ー軽井沢間に運行されている。

 翌、昭和60(1985 )年の第17回には「第1回氷彫刻」が開催され、第29回では軽井沢氷彫刻国際大会’97として国外13名・国内37名の氷彫刻家が参加、第30回には軽井沢氷彫刻国際大会’98として国外9か国35名・国内50名が参加するイベントに成長している。

 平成10-11(1998-1999)年に、「軽井沢氷まつり(第31回)」から現在まで続く「軽井沢ウィンターフェスティバル(第1回)」へ名称が変更されたが、氷彫刻大会は3本柱の1つとして継続され、平成14-15(2002-2003)年には「軽井沢氷彫刻(国際)大会」から「軽井沢氷彫刻国際展」に名称変更され、この年には町民有志による団体戦も行われた。

 ところが、平成19‐20(2007-2008)年の第10回では「氷彫刻国際展」の開催が見合わせられ、これ以降現在まで氷彫刻祭りも国際展も開催されていない。前年の第9回では、アメリカからナショナルアイスカービングアソシエーション会長のグレン・モトリー氏を招待し、海外選手アメリカ5名、ロシア2名、マレーシア2名、イタリア1名の参加で行われているので、休止には唐突な感じがする。

 理由は温暖化との説があるが、詳しくは判らない。実際、今回の松本城氷彫フェスティバル2024では、1月28日の1日限りの氷彫刻の展示であり、前夜から制作した氷彫刻は午後には一部溶けて崩れるものも出始めていたから、そうした可能性もあり得る話である。

 軽井沢は冬の寒さでは定評があるのだが、実際のところどのように気温が変化してきているのか、データを見ておこうと思う。

 次の図は気象庁のHPに記載されている軽井沢の1983年から2023年までの、10年ごとの年間の気温変化データである。




1983年から2023年までの軽井沢の気温(気象庁HPより) 

 このデータをもとに、8月、12月、1月、2月の10年ごとの平均気温の経年変化を図示すると次の様である。地球温暖化が叫ばれる中、確かに真夏の軽井沢の気温は上昇してきていると体感しているし、実際に8月の気温の上昇はデータからも読み取れるのであるが、冬季の気温はというと1983年から2023年までの40年間の変化は真夏ほどではなく、特に軽井沢で「氷彫刻国際展」の開催が見合わせられた2007年から2008年にかけての12月から2月の気温は、それ以前と比べて上昇は見られないと言えるのではないか。

 仮に温暖化が中止の主な理由でないとすれば、再び軽井沢ウインターフェスティバルで氷彫刻展が復活する可能性はあるのだろうか。期待したいところである。

1983年から2023年までの8月の軽井沢の気温(気象庁HPのデータから筆者作成)


1983年から2023年までの12月の軽井沢の気温(気象庁HPのデータから筆者作成)


1983年から2023年までの1月の軽井沢の気温(気象庁HPのデータから筆者作成)

 
1983年から2023年までの2月の軽井沢の気温(気象庁HPのデータから筆者作成) 

 
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今月の雲場池(12月) 最終回

2023-12-29 00:00:00 | 軽井沢
 先ず12月に入ってからの雲場池の様子から。周囲の木々はすっかり冬景色になり、外気温もマイナスになる日が多くなったが、池はまだ凍ることはない。ただ、入り口にある小池には下旬に氷が張りうっすらと雪が降り積もっていた。

12月2日撮影

12月7日撮影

12月14日撮影

12月21日撮影


12月27日撮影


結氷した小池(2023.12.23 撮影)

 紅葉が終り、訪問する人も少なくなってきた雲場池には、次第に水鳥の姿が増える。

 通年いるカルガモは数を減らしているが、入れ替わるようにマガモは30羽ほどに増え、このほかキンクロハジロとコガモも定着している。

 オカヨシガモとカイツブリは時々思い出したように姿を見せるが、今月はハシビロガモの姿を初めて見る機会があった。全国的には特に珍しい種ではないようであるが、雲場池に通い始めて4年になるのに、この種をこの池で見たのは初めてである。長く大きく先端部がへら状に広がるくちばしは異様でもある。

 今回、雲場池に現れたのは♂エクリプスで、まだ♀に近い羽色であるが、目が黄色いことと、胸と腹の一部がまだらに変化し始めているのでそれと判る。


マガモの群(2023.12.7 撮影)

マガモの群(2023.12.7 撮影)

マガモの群(2023.12.14 撮影)

マガモの群(2023.12.21 撮影)


マガモの群(2023.12.21 撮影)


羽ばたくマガモ♂(2023.12.3 撮影)


羽ばたくマガモ♂(2023.12.17 撮影)


羽ばたくマガモ♂(2023.12.21 撮影)

羽ばたくマガモ♀(2023.12.22 撮影)

キンクロハジロの群(2023.12.20 撮影)

 キンクロハジロは体をねじったり、仰向けになったりして羽繕いをするが、その様子はなかなかユーモラスである。

羽繕いするキンクロハジロ♂(2023.12.21 撮影)

羽繕いするキンクロハジロ♀(2023.12.21 撮影)

羽繕いするキンクロハジロ(2023.12.21 撮影)

 続いてコガモ。


コガモの群(2023.12.3 撮影)

眠るコガモ♂(2023.12.20 撮影)

 次はオカヨシガモ。

オカヨシガモのペア(左♀ 2023.12.3 撮影)

オカヨシガモのペア(左♀ 2023.12.3 撮影)

 次はカイツブリ。1羽だけ単独で姿を見せた。

カイツブリ(2023.12.21 撮影)

けあらしの中のカイツブリ(2023.12.25 撮影)

 水鳥の最後は雲場池で初めて見かけたハシビロガモの♂エクリプス。この個体も単独でやってきた。

ハシビロガモ♂エクリプス(2023.12.25 撮影)

ハシビロガモ♂エクリプス(2023.12.25 撮影)

ハシビロガモ♂エクリプス(2023.12.25 撮影)

ハシビロガモ♂エクリプス(2023.12.25 撮影)

 水鳥以外の野鳥も種類が増えていて、久々にノスリの姿を見た。他には、いつものカラの仲間のほか、ホオジロ、カシラダカ、シメ、キセキレイ、ヒヨドリ、コゲラ、アカゲラ、カケス、カワラヒワを撮影した。冬になると大群で飛来するアトリの姿も見もちらほら見られるようになった。

ノスリ(2023.12.8 撮影)

ノスリ(2023.12.8 撮影)

ホオジロ(2023.12.27 撮影)

カシラダカ(2023.12.27 撮影)

シメ(2023.12.23 撮影)

キセキレイ(2023.12.23 撮影)

ヒヨドリ(2023.12.23 撮影)

コゲラ(2023.12.12 撮影)

アカゲラ(2023.12.8 撮影)

アカゲラ(2023.12.27 撮影)

カケス(2023.12.27 撮影)

カケス(2023.12.8 撮影)

カワラヒワ(2023.12.22 撮影)


アトリ(2023.12.8 撮影)

アトリ(2023.12.22 撮影)

樹上に群れるアトリ(2023.12.14 撮影)

 次に紹介するのは、ヒヨドリが食べ残したイチイの赤い実を、器用に片足で木につかまって食べるエナガで、小さな群れで来ていた。

エナガ(2023.12.27 撮影)

エナガ(2023.12.27 撮影)

エナガ(2023.12.27 撮影)

エナガ(2023.12.27 撮影)

 今月の最後の写真はニホンリス。相変わらず元気に高い木の上まで登り、飛び、走り回る。時には地上でこうしてポーズをとってくれる。

ニホンリス(2023.12.20 撮影)

ニホンリス(2023.12.20 撮影)

月ごとの案内は、今回で最終回とします。



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今月の雲場池(11月)

2023-12-01 00:00:00 | 軽井沢
 11月上旬は雲場池の紅葉が見ごろを迎え、一番にぎわう時期である。まず、定点から見たこの紅葉の移り変わりの様子を、スライドショウで見ていただく。
 11月の雲場池(10月28日から11月29日の雲場池の様子をスライドショウにしています)

 この入り口付近の定点の他にも紅葉が映える場所が何か所もあり、また雲場池周辺の別荘地の庭のモミジも美しいので、これらをあわせて紹介する。

11月4日撮影

11月2日撮影

11月2日撮影

11月3日撮影

11月3日撮影

11月4日撮影

11月8日撮影

11月11日撮影

11月15日撮影

11月3日撮影

11月11日撮影

11月11日撮影

 雲場池には常に上流の水源地からの湧水が供給されていて、流れがあるが、それでも風のない日には水面が鏡のようになり、周囲の木々が美しく反射し、写真では上下が判らなくなることがある。

 次の写真は池周辺のモミジを撮影した写真を上下反転させたものだが、ごく自然に見えてしまう。群馬県の宝徳寺の「床もみじ」が有名だが、ここでは「池もみじ」になる。

雲場池の上下反転写真(2023.11.3 撮影)

 紅葉と共に北からマガモが渡ってきている。先月から徐々に数を増やしていて、今は20羽ほどが生息している。池に映り込むモミジの色と相まって、マガモの♂の羽色はなかなか美しい。

マガモ♂(2023.11.7 撮影)

マガモ♂(2023.11.8 撮影)

マガモ♂(2023.11.9 撮影)

マガモ♂(2023.11.11 撮影)

マガモ♂(右)とコガモ♂(2023.11.8 撮影)

マガモ♀(2023.11.8 撮影)

マガモ♂(2023.11.11 撮影)


マガモ♂(2023.11.11 撮影)

 キンクロハジロとコガモも数羽が定着している。数ではキンクロハジロが多い。


キンクロハジロの群(2023.11.11 撮影)

キンクロハジロ♀(2023.11.11 撮影)

キンクロハジロ♂(2023.11.22 撮影)

キンクロハジロ♀(右)とコガモ♂(2023.11.11 撮影)

コガモ♀(2023.11.11 撮影)

コガモ♂(2023.11.11 撮影)

コガモ♂(2023.11.20 撮影)


コガモ♂(2023.11.25 撮影)

コガモ♂(2023.11.15 撮影)

 コガモの♂の中には生殖羽に換羽中のエクリプスもいて、羽色はまだ♀に似ている。


コガモ♂エクリプス(2023.11.27 撮影)

 渡りの途中で立ち寄ったのか、一時オカヨシガモとヒドリガモを見かけたが、すぐにいなくなってしまった。

オカヨシガモのペア(2023.11.9 撮影)

オカヨシガモ♂(2023.11.24 撮影)

ヒドリガモ♀(左)とマガモ♂(2023.11.8 撮影)

 池ではしばしばマガモの求愛行動も見られ、雌雄が共に首を上下に振るしぐさをし、その後交尾に至る。

 雲場池では子育てするマガモの姿を見ることはなく、繁殖は来春北方に帰ってからになる。

 マガモのペアの求愛・交尾行動(2023.11.25 撮影)

 野鳥は、いつものカラの仲間のほかに、久々にキクイタダキに出会った。そのほかにはコゲラ、アカゲラ、アオゲラに出会い、特に大きな鳴き声と共にカケスを見かけることが多くなった。


キクイタダキ(2023.11.9 撮影)


ヤマガラ(2023.11.22 撮影)

コゲラ(2023.11.4 撮影)


アカゲラ(2023.11.12 撮影)


アオゲラ(2023.11.10 撮影)


カケス(2023.11.10 撮影)



カケス(2023.11.18 撮影)

 紅葉が終わってみると、突然ムラサキシキブやツルウメモドキのきれいな実が目に付くようになった。雲場池周辺のほか、別荘地の生垣にも植えられていることがある。これまで、モミジの赤い色に目を奪われていたためだと思うが、地味ながらもなかなか美しい。

ムラサキシキブのある生垣(2023.11.18 撮影)

ムラサキシキブ(2023.11.11 撮影)

ムラサキシキブ(2023.11.7 撮影)

ツルウメモドキ(2023.11.20 撮影)

 軽井沢はこれから冬に向かう。今年は今いる種に加え、どれくらいの水鳥がやって来るのだろうかと、楽しみである。


 

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