義父がチョウとスミレが好きで、蒐集したチョウの標本は今も妻が受け継いで保管しており、本ブログでも時々利用しているのであるが、スミレは関連の書籍が残るだけで、実物はもう何も残っていない。
そのスミレに関する蔵書の一つに、「原色日本のスミレ」(浜 栄助著、1975年 誠文堂新光社発行)という立派な本がある。この本は、長野県生まれで、長野県で高等学校の教員を務めた著者が、およそ20年の歳月をかけて採集し、生品から原色図を描写したものを採録したものである。
この本の巻頭に、著者は「日本の中でも、諏訪は、また信州は、個体数においても種数においても、最もスミレに恵まれた土地である・・・」と記している。
諏訪地方には及ばないと思うが、春、軽井沢の山地やその周辺の別荘地を歩いていると、スミレの姿を見かける。そうしたスミレを紹介していこうと思う。
最初は、私の最も好きなエイザンスミレ。葉の形が一般的なスミレとは大きく異なり、深い切れ込みがある種で、花の色はピンクで大型の花弁が美しい。
10年ほど前、東京に住んでいた頃、近くの画廊で買い求めた数種の山野草の版画の中にこの「エイザンスミレ」が含まれていた。次の様であり、花や葉の特徴がよくあらわされている。
エイザンスミレを描いた版画(10cm x 14.7cm)
上記の「原色日本のスミレ」のエイザンスミレの項を見ると、その花期や分布については次のように記されている。
「花期:3月中旬~4月下旬、分布:青森県相馬村が北限として知られているが、北陸までの日本海側は非常に少ない。岩手県北部の太平洋側から、関東の北中部、中部の中央部から南部、近畿、中国、四国から九州の霧島山まで分布する日本特産のスミレである。・・・中部では標高300~2,400mにかけて、山地の小川沿いや、路傍の傾斜地、石垣、樹陰の腐植土の所などに生え、崩れる土砂が、地上に伸び上がった地下茎を自然に埋めるような所に特に多い。・・・」
日本産スミレ属の分布に関しては、この本の中で12の分布系列に分けていて、今後順次このブログでも紹介していこうと思うが、その中のひとつに「エイザンスミレ型」があり、日本海側に少ない種がこれにあたる。この仲間にはマルバスミレ、フモトスミレ、ヒゴスミレなどがある。
また、花の色はこれまで見た経験からピンク色と上で書いたが、この本によると「淡紅紫色のものが多いが、紅色に近いものや白色に近いものまで変異があり、芳香を持つものもある。」として、純白のものは「シロバナエゾスミレ」の名前がつけられている。私も花色の白っぽいものを見たことはあるが、まだこの純白種は見たことがない。
若い頃は関西に住んでいたこともあり、このエイザンスミレを山野で見た記憶はない。もっとも、その頃はまだスミレにそれほど関心があったわけではないので、見過ごしていたのかもしれない。初めてこのエイザンスミレを見たのは、就職して神奈川県に住むようになってからで、高尾山の山道を登っている時、左側の崖地に花をつけた株を発見し、とても嬉しかったことを覚えている。この時写真を撮影したように思うが、捜してみても見つからない。その少し後になるが、西沢渓谷に出かけた時のプリント写真の中に、エイザンスミレを写したものが見つかった。しかし、この時のことはあまり覚えていない。
西沢渓谷で見かけたエイザンスミレ(1990年頃撮影)
軽井沢に来てから、別荘地内を散歩していると、時々渓流沿いの場所にこのエイザンスミレを見かけることがあった。また、旧中山道を歩いてみようと思い、碓氷峠から坂本宿に下ったことがあったが、その途中の道の脇にもこのエイザンスミレの大きな株があり、たくさんの花が咲いていた。
南軽井沢に義父の建てた山荘がある。義父がここに通っていた頃には、この山荘の周辺にはエイザンスミレは咲いておらず、やはりこの種が好きであった義父が残念がっていたと妻はいうが、この山荘から少し離れた、まだ建物の建っていない区画の道路沿いに、2015年頃エイザンスミレが咲いているのを見つけた。数えてみると10株ほどが生えていた。
翌年の春、山荘のアプローチから建物の周辺にエイザンスミレが何株も小さな芽を出しているのが見つかった。種を持ち帰り播いたわけでもなく、突然の出現に妻は驚いていたが、近くに生育しているエイザンスミレを花期が終わってからも何度となく見に行っていたので、靴底に種子が付いてきたものかもしれないと話し合った。
勝手にこうして生えてくるエイザンスミレではあるが、種子を持ち帰り、自宅のロックガーデンに直接播いてみても、一向に発芽する気配が無い。スミレ全般に見られることであるが、気難しさを感じるのである。また、前年生えていた場所に行ってみると、見つからなかったり、株数が減っていたりすることもしばしばである。こちらは、堀り採られているからかもしれない。
さて、これまでに撮影したエイザンスミレの写真は以下のようである。
最初は南軽井沢の別荘地内で見かけたもの。
南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 1/3(2017.5.4 撮影)
南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 2/3(2017.5.4 撮影)
南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 3/3(2017.5.4 撮影)
次は碓氷峠から坂本宿に下る旧中山道の道沿いで見かけたもの。
旧中山道のエイザンスミレ 1/3(2016.5.3 撮影)
旧中山道のエイザンスミレ 2/3(2016.5.3 撮影)
旧中山道のエイザンスミレ 3/3(2016.5.3 撮影)
写真で分かるように、エイザンスミレの葉は、通常スミレの葉として思い浮かべるハート形や、鉾形のものとはまるで違っていて、とてもスミレの葉のように見えない。特に春に花が咲くころには、細かく分裂している。そして、その後に出てくる葉は、幅が広くなり分裂の仕方も弱くなってくる。夏に出る葉には、分裂がなくなり、他のスミレのような長いハート形になることもあって驚かされる。
こうした特徴(複葉性という)を持つスミレには、ほかにヒゴスミレとナンザンスミレという種がある。「日本のスミレ」(山渓ハンディ図鑑 1996年 山と渓谷社発行)にはこの「複葉性スミレの見分け方」として次のように示されている。ヒゴスミレを育てたことがあるが、確かに葉の切れ込みの程度はエイザンスミレよりも細かいので、一見して区別がつく。
複葉性スミレの見分け方(「日本のスミレ」の表に一部追記)
手元にある田中澄江さんの「花の百名山」(1980年 文藝春秋発行)を見てみると、エイザンスミレが5つの山で紹介されている。筆頭はスミレで有名な「高尾山」(東京都)の項で採りあげられているが、続いて「大岳山」(東京都)、「高水山」(東京都)、「武州御嶽」(東京都)、「藤原岳」(三重県)の項で紹介されている。やはり東の方に多いようである。
義父は一時期多くのスミレを鉢植えにして栽培していたという。私も30代に一時期試みたことがあるが、なかなかうまく育てられず、途中でやめてしまった。その頃読んだ本に、「日本のスミレ」(橋本 保著 1967年誠文堂新光社発行)や、「原色すみれ」(鈴木 進著 1980年家の光協会発行)があり、ここにスミレ類の栽培方法が示されていたのだが・・。
スミレは花の後にできる種子のほかに、花期が終わってからも次々と閉鎖花という種子を作る特徴がある。野外でこの閉鎖花から種子を採取するタイミング、種をまく床に用いる用土、鉢の種類などをこれらの本から学んだのであったが、うまく育てて花を咲かせることはなかなか難しかった。
軽井沢ではもっぱら庭の一角に作ったミニロックガーデンで山野草を育てていて、その中に店で買い求めた数種のスミレ類も混じりこませているが、エイザンスミレは種を直播きしても、なかなかうまく育ってくれない。今後ももう少し続けて何とか花を咲かせてみたいものと思っている。
【追記】 2020.4.29
コロナ騒動で外出も思うようにできないということで、久しぶりに南軽井沢にスミレを見に出かけた。
上記写真を撮影した場所に行ってみると、今年も数株のエイザンスミレが健在で以下のような大型で美しい花を咲かせていた。
南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 1/4(2020.4.29 撮影)
南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 2/4(2020.4.29 撮影)
南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 3/4(2020.4.29 撮影)
南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 4/4(2020.4.29 撮影)
また、別な場所ではエイザンスミレの白花が咲いていた。初めて見るもので、近くにマルバスミレの白い花が咲いているので見間違いではないかと思ったが、出始めた葉の様子からやはりエイザンスミレであると思える。エイザンスミレの白花にはシロバナエゾスミレという名が付けられている。
南軽井沢で見た白花エイザンスミレ 1/3(2020.4.29 撮影)
南軽井沢で見た白花エイザンスミレ 2/3(2020.4.29 撮影)
南軽井沢で見た白花エイザンスミレ 3/3(2020.4.29 撮影)