すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【コパ・アメリカ総括】中島という怪物をどう手なずけるか?

2019-06-28 07:04:27 | サッカー戦術論
森保ジャパンのプレー原則のなさが生んだ鬼っ子

 コパ・アメリカを戦った五輪代表チーム(+α)には非常に好感を持った。コパ・アメリカという大舞台にビビることなく、また格上の南米代表チームにまるで怯むこともなく、真っ向勝負を挑んで攻撃的に戦った。

 上田や前田、安部、三好、板倉、大迫など将来性のある魅力的なダイヤモンドの原石がキラ星のように光を放つ。垂涎ものの楽しみなチームだ。これに加えて久保や冨安がいるのだから、ロジカルな戦術さえ仕込めばどこまで伸びるかワクワクする。

 だが同時に出た課題に目を転じれば、どうしても「中島問題」に行き着いてしまう。森保ジャパンという集団にはゲームモデルもなければプレー原則もなく、であるがゆえに中島は「自由に思うがまま」プレーしてしまうのだ。

 持ち場の左サイドから中へ、中へと絞り、より中央でボールに関わろうとする。これがセンターレーンに渋滞を引き起こす。そしてボールを失い相手ボールになれば攻め残り、プレスバックもせず守備ブロックに穴を開ける。ボールを持つと「まずドリブル」が第一選択であるため、南米のズル賢い手練れに見破られ集団守備で潰されてしまう。

 中島のこの傾向は第一戦のチリ戦でハッキリ出た。次のウルグアイ戦ではやや修正されたが、第三戦のエクアドル戦ではまたぞろ復活した。

 もし森保ジャパンにプレー原則があれば「なぜ原則を逸脱するのか?」と本人に問えば済む話だが、あいにく森保監督は「柔軟に」「自由に」という極楽頭だ。このチームには中島のプレイスタイルを規制する縛りがない。

 ふつうのサッカーチームなら監督が直接話して修正するが、「自由にやらせて化学反応を見る」という森保監督が果たしてそんな機能を発揮するだろうか?

 中島という武器は正しく使えば敵を木っ端みじんに粉砕する力がある。だが使い方をまちがえればチームの内部から腹を食い破って自爆する。

 果たして森保監督は、中島の首に鈴をつけられるのか? 森保ジャパンを死に至らしめるのは案外、「内なる敵」かもしれない。

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【コパ・アメリカ】攻撃的に戦うところに意味がある

2019-06-22 08:34:36 | サッカー戦術論
「5バックで守備的に」に陥らない

 今回のコパ・アメリカにおける森保ジャパンの戦い方は毀誉褒貶だが、ひとつだけ、認めてやりたいところがある。それは敵におびえ、勝ち点1を狙って守備的にやったりしない点だ。若い衆を集めて「おまえら、好きなように攻めてこい」って、えらく潔いじゃないか。

 日本サッカー界ではもう長い間、「結果を求めるなら守備的サッカーで」がスタンダードになっていた。実際、私も『日本が世界で勝つには? 結論なら出ている』という記事で、守備的サッカーのススメを説いたこともある。

 だが日本の状況は変わってきた。第一に、久保という若者が出てきた。そして森保ジャパンでは中島、堂安、南野という若手三銃士が結果を出している。先日もコパ・アメリカで、若い三好が胸のすくようなゴールを決めた。

 現にあのウルグアイ戦で日本は一歩も引かず、すんでのところでジャイアント・キリングを起こすところだった。

 ならばこの流れに乗り若手を盛り立て、そろそろ日本も攻撃的なパスサッカーで世界を目指すべきではないか? そんな機運が高まってきた。自然なことである。

ただし骨格になる戦術は必要だ

 ただし本能の赴くまま、自由に攻めればいいわけじゃない。

 まず森保ジャパンには、ヨーロッパ最前線の戦術を研究してほしい。例えばポジショナルプレイやトランジションを重視することだ。

 ボールを失ったら即時奪回を狙い、攻守の切り替えを速くしてリトリートせずその場でゲーゲンプレッシングをかける。これによりなるべく高い位置でボールを奪い、速いショートカウンターをかける。ヨーロッパの最前線ではスタンダードな戦い方だ。

 くれぐれもチリ戦のようにサイドハーフが攻め残りして守備の穴を開けるのではなく、もし第一プレッシャーラインを突破されたらSHがプレスバックしてスペースを埋め数的優位を作る。また同時に敵のカウンター攻撃に備えて偽SBを取り入れ、バイタルエリアを埋めておく。

 こんなふうにロジカルな戦術を備えた上で攻撃的に戦う。

 森保ジャパンには、ぜひそれを期待している。

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【コパ・アメリカ/チリ戦検証】当たり前のことを、当たり前にやる

2019-06-19 06:08:05 | サッカー戦術論
平凡であることの大切さ

 0-4で負けた昨日のチリ戦を振り返れば、日本は随所で当たり前のプレイで負けていた事実が浮かび上がる。もちろん技術や経験の差によってもちがうが、当たり前のことを当たり前にやることの大切さを思い知らされた一戦だった。

 たとえば競り合いになったらカラダを入れ、ガッチリ1対1に勝つ。サッカーはその積み重ねだ。チリ戦ではこのインテンシティの高さで日本とチリの間に大きな差があった。また次のプレイに移行しやすい最善の位置にボールを正確にしっかり止め、しっかりと正確に蹴る。これも日本はできてなかった。

 ルーズボールには相手より素速く反応し、予測を速くし相手より先にマイボールにする。そしてイージーミスを絶対にしない。基本に忠実にプレイする。この点でも日本は劣った。

 また戦術的には、チリは(チリから見て)右サイドに開いてポイントを作り、サイドからクロスを入れてくるフィニッシュが多かった。日本はそれに対応してポジショニングを修正する必要があった。

 具体的には、中島が攻め残らず、しっかりプレスバックしてスペースを埋めると同時に数的優位を作るべきだった。試合の流れの中で読みを利かせて選手自身にそれができればベスト。でなければハーフタイムに監督が具体的に本人へ指示すべきだった。

 フィニッシュについては、日本はきれいに崩し、きれいにゴールすることにこだわりすぎる。そうではなく、例えばスピードのある前田の前に広がる広大なライン裏に、多少アバウトでもいいからスルーパスを放り込んで走らせる。これでマーカーと競らせて強引にシュートへ行く。そんな割り切りも必要だった。

 21日のウルグアイ戦では、これら「当たり前のこと」をしっかりやりたい。

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【サッカー戦術論】なぜトランジションが重要なのか?

2019-04-27 08:58:59 | サッカー戦術論
誤解されているポゼッション

 速いトランジション(攻守の切り替え)が重視されるようになってきた現代フットボールでは、正確で鋭い縦パスの重要性がますます重みを増してきた。

 ボールを失っても高い位置でゲーゲンプレッシングをかけ、即時奪回して速いカウンターをめざすゲームモデルの有効性が認められてきたからだ。

 もちろんトランジションの重要性は、高い位置でなくても同じだ。例えば前にかかった敵からディフェンディング・サードで首尾よくボールを奪った。いま攻めに傾いている敵は守備のバランスを崩している。そこで素早く攻守を切り替え、縦への速いカウンター攻撃が決まればビッグチャンスになるーー。

 ショートパスを意味もなく横につなぐグダグダのポゼッションサッカーがよしとされるここ日本では、この点で大きな意識のギャップがある。

 せっかく敵からボールを回収しても、いったんバックパスして一休み。そこからチンタラ横にパスを繋ぎながら、じわじわ全体を押し上げて行く。その間に敵はすっかり守備の態勢を立て直し、ゆえにボールを保持したチームは攻撃をいちからやり直す。

 チャレンジしない横パスが多いため、パスの本数だけはよく繋がる。「これこそがポゼッションサッカーだ」と勘違いしている日本人が本当に多い。

 そんな彼らはチャレンジする縦パスが通らないと、「あのチームは『放り込み』ばかりだ」、「縦ぽんサッカーだな」と皮肉交じりで苦笑する。

 ポゼッション率こそがすべてを決めると考えている彼らにとって、横や後ろへの安全なパスを繰り返すことこそ至上命題であり、トランジションの意味や効力など考えようともしない。

 確かにマイボールにした場合、いったん安全にパスを繋いでしっかりポゼッションを確立させるのはひとつのスタイルだ。だが必然的に遅攻になりがちなそのやり方で、(その間に)守備組織をガッチリ固め終えた格上のチームに日本は勝てるのか?

 これでは強豪揃いのワールドカップで、格下の日本が決勝トーナメントの常連になるなど夢のまた夢だ。意識改革が必要ではないだろうか?

【参考記事】

【サッカー戦術論】「ロストフの悲劇」なんてなかった ~トランジションの重要性

【森保ジャパン】日本にトランジション・フットボール以外の選択肢はない

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【サッカー戦術論】ポゼッションとカウンターはどちらが優れているか?

2019-04-14 06:23:30 | サッカー戦術論
サッカーに「絶対」はない

 もし試合中に一度のミスもなくボールをキープし続けられるチームがいるとすれば、ポゼッション全能主義者たちの言が強まる。

「90分間、ボールをポゼッションできれば失点しない。つまり負けることはない」と。

 だがサッカーにミスはつきものだ。で、にわかにカウンター原理主義者たちが勢いづく。

「奴らは自ら守備のバランスを崩して攻めてくる。そこでボールを奪えばカウンター攻撃のチャンスだ。態勢が崩れた相手の守備のスキを突き、少ない手数で得点できる。だから奴らにわざとボールを持たせるのだ」

 守備に重心を置き、相手にボールを持たせてプレッシングすれば必ずチャンスはくるという。だが一度のミスもなく90分間、守備をし続けられるチームはいない。ほころびは必ずやってくる。とすれば、相手にボールを持たせることは逆に自殺行為ではないか?

 ここで再びポゼッション全能主義者たちが盛り返し、そして議論はひと回りして無限ループする。

 それがサッカーである。

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【森保ジャパン】日本にトランジション・フットボール以外の選択肢はない

2019-04-03 09:57:55 | サッカー戦術論
「三銃士」を軸にするならコンセプトは自動的に決まる

 キリンチャレンジカップ・コロンビア戦、ボリビア戦について過去何回か書いてきたが、今回は結論めいたものを書こう。

 あの2試合を見ただけでも、日本の軸は中島、堂安、南野の「三銃士」であることは誰の目にも明らかだ。とすれば森保ジャパンは今後も彼らをメインディッシュにした料理を提供し続けるしかない。

 ならばあの3人のプレイスタイルからすれば、森保ジャパンのコンセプトはすなわち、前からプレスをかけて素早い切り替えからショートカウンターを狙うトランジション・フットボール以外にはなり得ない。彼らを主軸に使う限り、必然的にそうなるだろう。

 とすればチームコンセプトは自動的に決まる。ならば代表選手の選考も、このスタイルに合う選手を中心に招集すればいい。そう割り切れば話は非常にわかりやすくなる。強化のコンセプトもはっきりする。

日本のポゼッションサッカーは世界に通用しない

 反対に「日本はポゼッションサッカーで行くべきだ」との声も多いが、現実に代表でポゼッションサッカーをすると、結局、ボリビア戦の前半みたいな停滞したサッカーにしかならない。

 あのボリビア戦の前半では、全員が間受けを狙い突っ立ったままボールを待ち、必然的にパスが足元、足元、になり誰も裏抜けを狙わない沈滞したサッカーになった。日本人がポゼッションを志向するとああなることが非常に多い。

 パスをつなぐことばかりが自己目的化し、結果、「ゴールを狙わないサッカー」になってしまうのだ。

 森保監督は、めざすサッカーのコンセプトをあまり語らない。だが森保監督が「三銃士」をメインユニットにする限り、必然的にそこで展開されるのは縦に速く仕掛けるトランジション・フットボールになる。

 まちがってもパスを意味もなく横につないでタメを作るような、日本的なポゼッションサッカーにはならないだろう。

 ならば今後の強化もその路線で行くべきだし、森保監督はハッキリと言葉でこのゲームモデルをメディアに語るべきだ。

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【森保ジャパン】香川と「三銃士」はなぜ噛み合わないのか?

2019-03-28 09:06:04 | サッカー戦術論
遅攻志向と速攻志向のちがい

 森保ジャパンには世代交代ではなく「融合」が必要だ、との論調がある。つまり香川や乾らロシアW杯組が、中島、堂安、南野ら「三銃士」とそっくり入れ替わるのでなく、両者を融合させて相互補完の関係を作るべきだ、との趣旨である。

 なるほどもっともな意見だ。一理ある。実際、香川や乾の能力は依然高く、代表引退するには早すぎるように感じる。だが両者の融合を考える場合、乗り越えるべき大きな壁がある。それはプレイスタイルのちがいである。

 例えば先日のキリンチャレンジカップ、コロンビア戦で途中出場した香川は、短い時間だったが「三銃士」と共演した。この試合、香川のデキは悪くなかった。だが残念ながら「三銃士」との連携はギクシャクし、とても噛み合っているようには見えなかった。それは主に遅攻志向と速攻志向のちがいからくるものだ。

ポジティブ・トランジションを重視する「三銃士」

 例えば敵チームからボールを奪った場合、「三銃士」はすばやいポジティブ・トランジション(守→攻の切り替え)から、速いタイミングで縦に仕掛けて攻め切ってしまおうとする。つまりボールを失った敵チームがまだ守備の態勢を整える前に、速攻で仕留めようとする発想だ。

 直前までボールを保持し攻めていた敵チームは、自らバランスを崩して攻め込んできている。ならば、敵が守備のバランスを崩しているうちに速い切り替えから速攻を成就しようという狙いである。

 一方、コロンビア戦での香川のスタイルを見ていると、敵からボールを奪ったら、まずパスをつないでポゼッションをしっかり確立させようとする。もちろんこれはこれで、ひとつのスタイルだ。両者は単にスタイルがちがうだけで、どっちがいい悪いの問題ではない。

ならば監督が「プレー原則」を示せ

 だが両者の融合を果たすには、このスタイルのちがいを乗り越え、ある局面では片方がもう片方のリズムに合わせる必要がある。しかし選手にとって、長い選手生活で身についたカラダのリズムを変えるのはそう簡単ではない。

 そこで監督の出番だ。

 もし融合させるとすれば、監督が率先してリーダーシップを取り、「前からプレスをかけて高い位置で相手からボールを奪った局面では、切り替えを速くして速攻を仕掛けよう」などと、局面ごとにチームとしての「プレー原則」を選手に徹底させる必要がある。

 だが、よくいえば選手の自主性を尊重する、悪くいえば選手まかせの森保監督に、最も欠けているのはこのプレー原則の徹底なのだ。さて、果たして森保監督はリーダーシップを発揮し、選手たちにしかるべきプレー原則を植え付けることができるのか? 森保ジャパンの浮沈は、ここにかかっている。

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【森保ジャパン】プレー原則がない烏合の衆

2019-02-05 09:17:30 | サッカー戦術論
監督が機能していない?

 チーム立ち上げ時のご祝儀相場の意味もあり、当初、森保監督の「選手まかせ」をある種好意的に見ていたところがある。

 最初の1年は選手に好きにやらせて化学反応を見る。1年間はラボとするーー。

 そういうことなら話はわかる。だが、その場合でも「うちのチームはこうする」という基本原則は必要だ。最低限の原則は示し、「あとは自由にやれ。ラボだ」。これならうなずける。だが森保ジャパンはどうもそうじゃない。監督が示しておくべきごく基本的な原則があいまいなままプレーしている感じがするのだ。

 森保ジャパンについてはこの記事でも似たようなことを書いたが、当該記事の時点では前者(ラボ)であることを前提で書いた。だがもし後者なら問題だ。

 例えば敵のビルドアップを制限するセオリーや、ダブルボランチのバランスを見る(バイタルを空けない)ポジショニングの約束事などは基本的なことだ。だがこういうトレーニング時に監督が選手にプレー原則さえ示しておけばスムーズにできるはずのことが、試合というド本番でできない、という現象が森保ジャパンでは頻発している。

 直近では、アジア杯の決勝戦でカタールは5-3-2でくる、などというのは巷間予想されていた。敵が3バックでビルドアップしてくるなら、それをどう制限するのか? そんなことはマニュアル化されている。

 またカタールがボールを保持すれば3-1-4-2(3-5-1-1)になり、日本の守備時4-4-2と中盤の噛み合わせが悪いーー。そんなことは事前に予想し対策しておくべきことだ。

 これがカタール戦の敗因だったか、そうじゃないか? そんな些末なことはどうでもいい話だ。問題は、監督がプレー原則をチームに示していないことである。

 じゃあサッカーの監督って何する人なんですか? という話だ。

 繰り返しになるが、まだチーム立ち上げから間もないから、選手には自由にやらせて化学変化を見たいーー。それなら話はわかる。ただしその場合も、「この局面では、ウチのチームはこうプレーせよ」という最低限の原則は必要だ。でないとサッカーにならない。監督はそれを提示すべきである。

 逆に自由にやらせてラボ化する、という意図などなく、ただ漫然と「なんとなく」やってるだけなら監督などいらない。これも繰り返しになるが、「サッカーの監督って何する人なんですか?」という話である。
コメント (2)
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【アジア杯決勝展望】カタールは5レーン理論を操るカウンターの使い手だ

2019-01-30 10:35:42 | サッカー戦術論
スペイン人監督がモダンな戦術を注入

 準決勝でカタールがUAEに4-0で勝ち、アジアカップ2019の決勝は日本とカタールの組み合わせになった。ではカタールとはどんなチームなのか? 決勝の展望も併せて見て行こう。

 カタールの監督は、スペイン・カタルーニャ出身のフェリックス・サンチェス氏だ。元スペイン代表のシャビがコーチング・スタッフ入りしている点も見逃せない。つまりカタールの戦術には、ヨーロッパサッカー最先端のエッセンスが盛り込まれているのだ。

 カタールは対戦相手や相手の戦術に応じて4バックや3バックを使い分ける。例えばフォーメーションが4-2-3-1の場合のビルドアップでは、SBが偽SB化して1列上がって内側に絞り、2-3-4-1に変化(下図)して5レーンすべてを埋める。これで相手の4バックを攻める。またゲームの流れを読み、試合中にシステムを変えてくることもある。

     〇FW

〇WG 〇MF 〇CMF 〇WG

  〇SB 〇CMF 〇SB

    〇 〇←CB

日本戦は5バックか?

 では肝心の決勝で当たる日本戦は、どんな布陣でくるのだろうか?

 力関係やたがいのスタイルの兼ね合いから行って、おそらくカタールは5-3-2のフォーメーションでくる可能性が高い。ゾーンを低く構えて守備を固め、日本が前がかりになったところを得意のカウンターで仕留めようとするだろう。

 彼らのカウンターはポジティブ・トランジション(守→攻の切り替え)が速く、日本は逆にネガティブ・トランジション(攻→守の切り替え)を速くして守備対応する必要がある。

 必然的に日本がポゼッションし、カタールが受けに回る試合展開が予想される。ただし日本は敵陣に押し込んでいる最中も、敵のカウンターを警戒しておく必要がある。

例えば(森保監督はやらないだろうが)日本も偽SBを取り入れてバイタルを埋め、敵のカウンターに対し予防的なカバーリングをしておくことも一案だ。

 決勝は「引いた相手を崩すには?」という、アジア相手での日本代表の永遠のテーマと直面することになる。日本はサイドを使って敵のSBを釣り出し、空いたニアゾーンを狙って攻めたい。

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【アジア杯】ロングボールの質を問う

2019-01-27 09:31:09 | サッカー戦術論
放り込みでなく「狙った長いパス」を

 今回のアジア杯で、日本は最終ラインからふんわりしたロングボールを入れることが多い。いわゆるアバウトな放り込みだ。

 だがどうせ深さを取るなら、前線の選手の足元かライン裏を正確に狙い、ビシッと強くて速い正確なロングパスを出してみてはどうだろう。ハリルジャパンの頃のように。

 ハリルの指導で当時、長谷部と吉田、森重、井手口はすばらしいロングボールを蹴れるようになっていた。彼らはフィールドを斜めに横切るサイドチェンジの正確なボールを出せたし、また前線にいる味方選手の足元に長いパスをぴったりつけることができた。

 日本代表はもうずっと、「監督が代わればすべてチャラにしてゼロから始める」というパターンを繰り返している。まるでこわい先生がいるうちはそれに従う子供のように。これじゃあ一向に進歩しない。

 監督が「タテに速く」と言ってるうちは、その通りやる。だが監督が代われば元の木阿弥になる。これでは何をやっているのかわからない。

 前監督の教えといえど、いいものは生かす。そういう前向きでポジティブな態度が必要なのではないだろうか?

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【ベトナム戦のコツ】カウンターを食わずに確実に勝つ

2019-01-24 08:04:10 | サッカー戦術論
予防的カバーリングが重要だ

 さあ、今夜はアジア杯準々決勝、ベトナム戦である。昨日の記事でも書いたが、ベトナムはおそらく5-4-1か5-3-2で引いて守ってくる。となれば、サウジ戦の攻守をひっくり返したような戦いになる。つまり日本が前がかりになって攻め、ベトナムが守る展開だ。

 とすれば日本はボールを失ったあとのカウンターに備え、バイタルエリアを予防的にカバーリングしておくことが重要になる。例えば4-2-3-1から攻めにかかるとき、以下の図のように変化する。2-2-4-1-1だ。

   〇大迫
    〇北川
〇SB 〇 〇柴崎 〇伊東

  〇遠藤〇SB

  〇 〇←CB

 ベトナムは5バックで引いてくるので、日本の後ろ半分は2-2でいい。ただし柴崎が攻撃時に1列上がる分、片方のSBが1列上がって中に絞り、偽SB化して中央をあらかじめカバーしておく。もし右SBに酒井が入るなら、守備の固い彼が適任だろう。

コンビネーションでサイドを崩す

 ベトナムの5-4、または5-3の守備ブロックを攻略するには、(昨日も書いたが)サイド攻撃が重要になる。もし左SBに長友が入れば、彼と左WG(乾とか)との連携で外から攻めることになる。

 この左サイド2枚のコンビネーションで外を攻め、敵の守備ブロックを横に引き伸ばして中央に「穴」を作る。また右サイドは伊東の香車のようなタテへの突破がカギだ。

 また中央では大迫のポストワークの落としから、北川がからんでフィニッシュへ行く。ダイレクトプレイで持ち味を出す北川は、大迫がサポートしてくれればやりやすいだろう。北川にはこれで結果を出してほしい。

 一方、柴崎はよりゴールに近い位置でラストパスやサイドに振るボールを出し、攻撃を活性化させる。彼はどう考えても守備より攻撃のほうが得意だから、バイタルエリアは偽SBに見させて柴崎が上がるほうが合理的だろう。

 これでベトナム戦の日本は攻めダルマになる。今大会、攻撃がいまいちピリッとしない日本にとっては、今夜はターニングポイントになるかもしれない。

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【森保ジャパン】メディアが積極論評しないのは監督に刺激がないからだ

2019-01-20 07:44:02 | サッカー戦術論
監督は積極的に戦術を語れ

 初めにお断りしておくが、今回書くことは悪口ではない。客観的な分析だ。

 なんでも森保監督がメディアに対し、「僕の発言を書くだけじゃなく、もっと積極的にサッカーについてあれこれ論評してほしい。それがその国のサッカーを発展させるのだから」みたいな異例のコメントをした、という記事を読んだ。

 ああ、こりゃ私が常々感じていたことを言語化してくれたな、と思った。

 というのも森保ジャパンについて書かれた記事って、起こった出来事をただ淡々と書いているだけのつまらないものが多いのだ。そこには斬新な発想だとか、斜めから見た個性的な視点のようなものがまったくない。まるでのっぺらぼうだ。で、ちょうどウンザリしていたところだった。

 だが、ではなぜそうなるのか? と考えると……それって実は監督のコメント自体に戦術的な刺激がなく、つまらないからではないか? これが今回のお題である。

ハリルのおっさんは刺激的だった

 例えばハリルジャパンの時代には、(私が個人的にハリルのサッカーを支持しているかどうかはまったく別にして)ものすごく刺激があった。このおっさんはいったい何を考えているのか? いっぺん頭の中をのぞいてみたい。そんな思いでいっぱいだった。

 ハリルのサッカーはひとことでいえば、『ポゼッション率が勝敗を決めないサッカーで勝て』というものだ。

「え? ポゼッション率の高いチームが勝つのが普通じゃないの? それってコペルニクス的な発想の転換じゃないか?」

 で、そんなハリルの(良くも悪くも)刺激的なコメントを見て、こっちも脳内が激しく活性化させられる。かくて『ポゼッション率が試合の優劣を決めないサッカーで勝つ』というひねった記事タイトルを思いつくや、ハリルをめぐるさまざまな発想が湯水のように頭の中に湧き出してくる。当時はそんな状態だった。

 また「相手のよさを消す」というテーマも同じだ。

 このおっさんは、なぜこんなに相手のストロングポイントを削ることばかり考えているのか? その理由が知りたいーー。

 自分たちのよさを出すのか? それとも相手のよさを消すのか? いったいどっちがサッカーにとっての正解なんだろう?

 てなぐあいで、ハリルのフィロソフィをなぞればなぞるほど、どんどん哲学的な思考に自分が引きずり込まれて行く。そんな知的刺激でいっぱいだった。

監督は「旗印」を鮮明にしてコンセプトを語れ

 だが森保監督のコメントといったら、まったく当りさわりがない。「柔軟なサッカーを」とか何とか、ぜんぜん個性が感じられない。まるでマスコミに揚げ足を取られないよう警戒している政治家の無難なコメントみたいだ。

 で、監督のそういうごく普通のコメントを目の当たりにし続けると、こっちの脳内まで斬新な発想やらアイディアやらが消えてなくなって行く。自然と書く記事にはパンチが失われてしまう。

 つまりメディアの記事がつまらないのは、森保監督の「写し鏡」なのではないか? というお話なのだ。いやたぶん森保監督の脳内には、きっと戦術的なアイディアがぎっしり詰まっているのだろう。だが、だったらなぜ監督はそれを口にしないのか? 

 もしかして日本サッカー協会との軋轢の結果、失脚したハリルの失敗を見て何かを恐れているのか? 例えばサッカー協会会長を外からリモートコントロールしている「あのお方」のこととか? などと余計な余談が湧いてくる。

 いやそれはともかく。

 森保監督はメディアに刺激を求めるなら、もっとメディアの頭の中を活性化させるフックになるような言葉を吐いてほしい。例えば「現代フットボールでいちばん得点確率が高いのはゲーゲンプレッシングからのショートカウンターだ。だから我々はそれをめざす」とかなんとか。「ショートトランジションが命なんだよ」とか。

 いや別に宗旨は何だっていい。逆に森保監督が広島時代にやっていたような、相手にボールを持たせてカウンターを狙うサッカーでもいい。とにかく監督は旗印を鮮明にし、自身の内なるコンセプトについて具体的に語るべきじゃないだろうか? 

「敵にスカウティングされたら困る」みたいな深謀遠慮があるのかもしれないが、私はもっとエキサイティングな監督のコメントが読みたい。

 森保監督へのささやかなるお願いだ。

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【森保ジャパン】ポジショナルプレイとストーミングを兼ね備えた異端児

2018-11-27 09:30:40 | サッカー戦術論
森保ジャパンは2つの概念のいいとこ取りだ

 日本代表はもう長い間、攻撃的なアクションサッカーをするチームはポゼッション率が高く、守備的なリアクションサッカーをするチームはポゼッション率が低い、と相場が決まっていた。前者の例がジーコジャパンやザックジャパンであり、後者の例は岡田ジャパンやハリルジャパンである。

 で、そうした過去の例から日本では、「ポゼッション率が高いチームは攻撃的で強い」という命題が定着し、常識とされてきた。そのため日本人の間にはポゼッション原理主義が岩盤のように定着し、「ゴールをめざすのでなくポゼッション率自体を高めること」を重視するような、目的を忘れた愚かなポゼッション信仰が蔓延してきた。

 そんなゆがんだ日本の常識を吹っ飛ばしたのが森保ジャパンである。なぜなら彼らは、「ポゼッション率はそう高くないのに攻撃的で強い」からだ。ではなぜ森保ジャパンは、そんなサッカーができるのか? それは彼らがポジショナルプレイとストーミングのいいとこ取りをしたスタイルだからである。

中島と堂安はハーフスペースをうまく使う

 ポジショナルプレイとストーミングは、いまヨーロッパ最先端のフットボールを二分している対立した概念だ。つまりこの2つのコンセプトがサッカー界でせめぎ合っているわけだ。

 ポジショナルプレイという言葉は日本でもポピュラーになってきた。ポゼッションを大事にするこの概念を取り入れたチームとしては、プレミアリーグのマンチェスター・シティやチェルシーなどがあげられる。

 一方、例えば森保ジャパンでも、中島と堂安というサイドの2人が絞り気味のポジショニングをしてハーフスペースをうまく使っている。またセントラルMFがSBとCBの間に下りてビルドアップしたりする。このことから、森保ジャパンもポジショナルプレイを志向していることは明らかだ。

 だがそれだけでは話は終わらない。なんと彼らは、ポゼッション率を重視するポジショナルプレイとまったく相反する考え方であるはずのストーミングの影響も強く受けているのである。

嵐のように敵に襲いかかるストーミング

 ストーミングとは、ポゼッション率はそう高くないのに暴力的に点を取る「ストーム」=嵐のような激しいプレイスタイルのクラブを指す。ヨーロッパでいえばリバプールやローマ、RBライプツィヒのほか、森保ジャパンでトップ下をつとめる南野が所属するRBザルツブルクもこのカテゴリーに入る。

 ストーミングは、トランジション・フットボールとも呼ばれる。つまり攻守の切り替えの速さを重視するスタイルだ。ストーミングに分類されるチームは、(中島や堂安、南野がそうであるように)ボールを失うことを決して恐れない。「ボールを確実につなぐ」のでなく、失敗を恐れず成功率が50%以下のプレイにも積極的に挑む。

 そしてひとたびボールを失えば、リトリートして自陣にブロックを作ったりしない。ボールをロストした瞬間に素早く攻守を切り替え、相手ボールに対し複数の選手が次々に襲いかかる嵐のようなゲーゲンプレッシングをかける。で、ボールをその場で即時奪回し、ショートカウンターを見舞う。どうだろうか? そう、森保ジャパンのスタイルそのものである。

 一般にポジショナルプレーを重視するチームは、敵からボールを奪うといったんパスをつないでポゼッションを確立しようとする。森保ジャパンのようにポジショナルプレーを志向していながら、ボールを奪うと鋭い縦パスを入れて一気に速いショートカウンターを狙うチームはいわば異端児だ。

 その意味で森保ジャパンは既成概念を超えている。ポジショナルプレイとストーミングのいいとこ取りをしたこの極東の異端児は、はたして次のワールドカップでどんな成績を収めるのか? いまから楽しみである。 

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【マンC攻略法を考える】どうすれば強豪マンチェスター・シティに勝てるのか?

2018-10-24 06:43:46 | サッカー戦術論
引いて守る人海戦術では意味がない

 2018-19年シーズン、勝ち点20で首位を行くマンチェスター・シティが第9節で当たったのは、古き良きイングランド・スタイルを残すバーンリーだった。まさに往年のフットボールと、未来志向のフットボールとの対戦である。

 このゲーム、ポジショナルプレイの花を咲かせて圧倒的な攻撃力を誇るシティに対し、バーンリーは相手ボールになればディフェンディングサードまでリトリートし、「ゴール前にバスを停めて」ボックス内を選手で埋める人海戦術に出た。

 だが精密な技術力をもつシティによって、この古びた戦い方はあっさり無効化された。彼らは猫が歩くほんの一歩分のスペースさえあればすべてを可能にする。ボックス内を仮に11人で埋めても、わずかに残ったスペースを使いシティは余裕でゴールを生み出す。

 実際、この試合では後半9分の2点目のゴールが分水嶺になった。

 シティのサネがペナルティエリア内でバーンリーの選手と交錯し、「PKだ」とアピールしながら倒れた。このときバーンリーの選手たちはプレイを止めてしまったが、審判はファウルを宣してない。すかさずシティにセンタリングを入れられ、ベルナルド・シウバにシュートを決められた。

 前半のバーンリーは失点を1点に抑え、緊張感のある戦い方をしていただけに悔やまれる1点だった。これで緊張の糸が切れ、あとはシティが5点を奪うド派手なゴールショーが演じられた。

ハイプレスでシティのビルドアップを破壊する

 このゲームで実証されたように、シティに対し引いて守る戦い方は意味がない。彼らはほんのわずかなスペースさえあればすべてを可能にするからだ。

 とすれば考えられるのは、ハイプレスでシティの綿密なビルドアップを破壊する方法だ。最前線からマンツーマンでハメてシティにクリーンなビルドアップを許さず、できるだけ前でボールを刈り取ってしまう。で、あとはショートカウンターをかけて素早くゴールを仕留める。

 ただしこの方法とて、もしハイプレスを外されると非常に危険だ。重心が前に偏っているぶんピッチの後ろ半分にはたっぷりスペースがある。ハイプレスの網の目を抜け出したシティの選手に、この後ろのスペースを自由に使われたらひとたまりもない。

 しかもシティはビルドアップ時にアンカーのフェルナンジーニョが最終ラインに落ちたり、左SBを高く上げて残りのDFが中央にスライドして3バックを形成し、3-1-3-3で攻撃を組み立てるなど精密なビルドアップの構築に余念がない。

 おまけにSBが前に出て絞る偽SBのポジショニングをし、シティの4-1-2-3の構造的な弱点であるワンアンカーの両脇のスペースをSBが埋め、敵のカウンターにあらかじめ備える予防的カバーリングを行うなどカウンター対策にもぬかりがない。

 結論をいえば、ぶっちゃけ下位や中位のチームではシティにはとても勝てないだろう。彼らに土をつける可能性があるのはリバプールとチェルシーだけだ。あとはあえて挙げれば、好調時のマンチェスター・ユナイテッドかアーセナルくらいだろう。

 かくして、今季もマンチェスター・シティを中心にリーグが回って行く。いったい彼らを倒すのはどのチームなのか? そんな目でプレミアリーグを観るのもおもしろいかもしれない。

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【森保ジャパン】属人的なサッカーは善か、悪か?

2018-10-21 10:17:31 | サッカー戦術論
属人性の是非はケースによってちがう

 前回の記事で「属人的」という言葉を使った。で、今回のお題は、その属人的な要素によって左右されるサッカーって果たしていいのか? 悪いのか? がテーマである。まず、あいまいな言葉なので意味を説明しておこう。

 属人的という言葉は、ビジネスの現場などでよく使われるキーワードだ。意味は以下のような感じである。

1. 業務が特定の人物のスキルに依存してしまうこと

2. ゆえに、その人物にしか(その業務の)やり方が分からなくなってしまうこと

3. 業務が標準化(マニュアル化)されていないため、担当者の経験や勘に頼らざるをえないこと

ビルドアップやネガティブ・トランジションの場合は?

 一方、前回の記事でこの「属人的」なる言葉を、森保ジャパンに対して使ったのは以下の部分だ。引用しておく。

--------------引用開始-----------------

 例えば厳しい目で見れば、ビルドアップやボールを失った場合のネガティブ・トランジション時に取るべき挙動など、チームとしての約束事が判然としないケースが散見される。状況に応じて対応を変えているのではなく、そのとき対応する選手が誰か? という属人的な要素によって「そのケースにどう対応するか?」が左右されてしまっている印象がある。

 おそらく監督がプレー原則を選手に明示してないからだ。

------------引用はここまで--------------

 私が書いた記事では、ビルドアップとボールを失った場合の対応の2つを例にあげ、それらに関しチームとしての約束事が判然としない点について「属人的だ」と書いた。どういう意味か? 具体的に説明しよう。

 例えば2人のCBがボールを保持し、ビルドアップしようとしている。ここに敵の2人のFWがプレッシャーをかけてきた。局面は2対2だ。数的優位がない。そこでセントラルMFのA選手が両CBの間に下り、3バックを形成してビルドアップした。だが別のときには、同じ状況でセントラルMFのB選手は最終ラインに下りずスルーした。で、2CBは敵の2人のFWにプレスをかけられボールを失ったーー。

 この例では「ビルドアップ時には数的優位を確保する」というプレー原則を監督が示さず、それがチームの約束事として標準化されていないため、セントラルMFのA選手とB選手ではやり方が違ってしまった。つまりA選手の経験や知識に頼らざるをえなかった。これでは非効率であり、「属人的だよね」というお話だ。

共通理解がないと守備はできない

 一方、ボールを失った場合の対応についても具体例をあげよう。

 例えば自チームがボールを保持し、敵陣に攻め込んだところでボールをロストした。このときA選手は「いまゲーゲンプレッシングをかけてボールを奪回すれば、敵ゴールに近い位置でショートカウンターをかけられる」と考えた。で、前に突っ込みプレスをかけた。

 ところがB選手は逆だった。「ボールを失ったのでブロック守備に移行しよう」と考え、前に突っ込んだA選手とは逆にミドルサードまでリトリートしてブロックを作ろうとしたーー。

 まあこんな極端な例は珍しいとは思うが、この例では「アタッキングサードでボールを失ったとき、どう対応するか?」というチームの約束事が共有されてない(標準化されてない)のでA選手とB選手はちがう対応をしてしまった。で、「こんな属人的な対応ではダメだよね」ということだ。

攻撃は属人的なほうがいい?

 だが話はまだ終わらない。ケースによっては属人的なプレイがOKになるのだ。

 例えばA選手がボールを保持しているとき、敵の守備者が寄せてきた。で、A選手はドリブルでマーカーを1人かわしてシュートした。一方、まったく同じ状況のとき。B選手は自分をサポートしにきた選手Cを壁に使ってワンツーをし、それによりマーカーを振り切ってシュートしたーー。

 このケースではドリブルを使ったA選手とワンツーを使ったB選手ではやり方がちがうので属人的だといえるが、この場合はOKである。というよりむしろ、そこでA選手とB選手が同じ手法を使ったのでは、敵に読まれてマーカーをかわせない可能性さえある。つまり属人性、バンザイだ。

 こんなふうにサッカーでは、属人的であることがダメなときとOKなときがある。つまりケースバイケースなのだ。ざっくりいえば、おそらく守備に関しては属人的ではダメで、約束事を標準化し選手間で共有して組織的に動けるようにしておく必要があるケースが多いだろう。

 一方、攻撃に関してはむしろ「属人的であること」が武器になるケースが多い。特に1対1ではそうだ。「選手Aにしかできないフェイント」なんてふつうにあるし、むしろ選手Aにとってはそれが切り札になる。ほかにも瞬間的なひらめき、イマジネーションは攻撃時に非常に有効だ。

 とはいえ攻撃に関しても、組織プレーになればなるほど選手間で共通理解がなければできない場合が出てくるので、やはりケースバイケースといわざるをえない。

【結論】「何に関して属人的か?」を明示しないと議論にならない

 こんなふうに「属人的であることは是か、非か?」を論じるときには、「それはどんな局面における何の話なのか?」を明示しないと議論が噛み合わない。

「個か? 組織か?」とか、「リアクションサッカーか? アクションサッカーか?」みたいな不毛な二元論で終わるお題と同じになってしまう。

 サッカーの世界ではこういうことって多いので、気をつけておきたいものだ。

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