すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【森保ジャパン】よくいえば個性重視、悪くいえば「選手まかせ」はいつまで続くのか?

2018-10-19 07:01:01 | サッカー戦術論
監督が「自分」を出すのは3-4-2-1導入時だ

 森保監督は、ハリルジャパンから西野ジャパンへと続いた道程に強く影響を受けている。ハリルジャパンからは縦への速さやデュエル、カウンター志向を受け継ぎ、かたや西野ジャパンからは選手の個性重視や攻撃志向、セントラルMFを両CB間に落とすビルドアップ等を継承している。頭がよく、柔軟な指揮官だ。

 フォーメーションに関しても、おそらく森保氏は当初、監督就任と同時に3-4-2-1への着手を前提にしていたはずだ。だが西野ジャパン的スタイルの継承を望む世論の動向を見て、柔軟に対応しているのだろう。国民が支持するスタイルこそが、ナショナルチームの力になると考えているのではないか? その意味ではきわめて民主的だ。

 その点、選手を集める前から自身のフィロソフィ(サッカー哲学)をチームコンセプトに色濃く反映させていたハリルとは対照的だ。民主的な森保氏と対比させれば、ハリルはさしづめ「独裁者」と映るだろうか。むろんどちらがいい悪いの問題でなく、方法論のちがいである。

 そしてこの点が今後、森保ジャパンの浮沈を握っているように見える。

選手まかせゆえの無原則

 森保ジャパンが現状うまく行っている理由は、西野ジャパン同様、選手の個性を生かして監督がでしゃばりすぎてない点だ。森保監督は自分の考える戦術で選手を縛ってない。むしろ西野ジャパンのように選手がアイディアを出し合い、個を生かし合っているのだろう。

 だから中島や堂安ら若い2列目が伸び伸びとプレイできている。

 ただしこの点はよし悪しだ。あくまでチーム作りの初期段階である「いま」ならOK、というお話である。なぜなら森保ジャパンのゲームを仔細に見れば、基本的なプレー原則が一貫しておらず明らかに監督の手が入ってない部分が垣間見えるからだ。

 例えば厳しい目で見れば、ビルドアップやボールを失った場合のネガティブ・トランジション時に取るべき挙動など、チームとしての約束事が判然としないケースが散見される。

 状況に応じて対応を変えているのではなく、そのとき対応する選手が誰か? という属人的な要素によって「そのケースにどう対応するか?」が左右されてしまっている印象がある。

 おそらく監督がプレー原則を選手に明示してないからだ。

 そして森保ジャパンでは4バックが続く限り、この状態が継続する可能性が高い。よくいえば民主的、悪くいえば「選手まかせ」ゆえプレーに一貫性がなく、無原則だ。

 親善試合ならともかく、このままではハイレベルな場、例えばW杯の決勝トーナメントではとても戦えない。

 だが個人的には、悲観はしていない。おそらく森保監督は将来フォーメーションを3-4-2-1に移行させた段階で自身のフィロソフィを明確に打ち出し、選手まかせをやめて、わかりやすくいえば「ハリル的なチーム運営」に入るだろうからだ。

 いまはその移行期であり、選手に自由にやらせて観察している初期段階なのだろう。なお個人的には3-4-2-1の採用には反対だが、今回のお題はそこではない。あしからず。

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【サッカー戦術論】プレー原則をハッキリさせろ

2018-08-08 08:01:46 | サッカー戦術論
カギはトランジションにある

 サッカーでは、ボールの専有権がAチームからBチームへ移った瞬間の状況判断がすべてを決める。カギはトランジション(攻守の切り替え)にある。そのとき例えば以下のような原則をチームがもっていればわかりやすい。

1. ボールを奪ったとき、相手の守備陣形が崩れているなら速く攻める。

2. ボールを奪ったとき、相手がしっかりブロックを作っていれば、まずポゼッションを確立させる。

 1の場合は初めから相手にほころびがあるから、敵が立て直す前にそこを速く攻める。一方、2の場合は、じっくりポゼッションしながら相手にゆさぶりをかけることでほころびを作る。

 例えば選手が中央に集まりショートパスを交換することで敵の守備者をピッチの真ん中に引きつけ、サイドにスペースを作る。で、そこを使う。あるいは同じ要領で敵を片サイドに寄せておいて、サイドチェンジを入れて一気に崩す。

 つまり最初から穴があったら、敵がそこをふさぐ前に攻める。穴がなければ、ボールと人を動かしてゆさぶることで穴を作る。合理的に考えればそういうことだ。実にカンタンである。

 相手の陣形が崩れてもいないのに強引に速く攻めるのはカウンター原理教だし、相手の守備隊形がせっかく崩れているのにムダに時間をかけてポゼッションするのは単なるポゼッション原理教だ。要は状況を読み、状況に合わせたサッカーをすることが大事なのだ。

そのときプランBを出されたら?

 と、ここまではわかりやすい。だがサッカーには相手がいる。だからややこしい。実は上記の論理は、ボールを奪ったチームの側の視点でしか見ていないからだ。

 例えば逆にボールを失ったチームの側に立って考えてみよう。自分たちは敵陣に攻め込み、高い位置でボールを失った。まさにネガティブトランジション(攻→守の切り替え)の時だ。

 ならばこのまま高いゾーンで怒涛のように激しくプレスをかけ、一気にボールを奪い返してしまえば相変わらず敵のゴールに近い位置で攻め続けられるーー。ゲーゲンプレッシングによる即時奪回を狙うのだ。つまりプランAで攻め、ボールを失えば即時プランBに切り替えるわけである。

 こうなるとボールを保持する側はむずかしくなる。なにしろボールロストした側が瞬時に攻勢をかけてくるのだ。冒頭にあげたプレー原則1、原則2を外される。今度はプランCが必要だ。

 ならばゲーゲンプレッシングをかわすためにいったんロングボールを入れるのか? それとも敵の第一プレッシャーラインをうまく逃れて攻め続けるのか? そのときプレスをどう外すのか?

 とまあ、タヌキとキツネの化かし合いが続く。そうカンタンに一方だけが有利にならない。これだからサッカーはおもしろいのである。

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【森保ジャパン】まず選手の個性ありきのシステムであるべきだ

2018-08-04 06:58:34 | サッカー戦術論
3-4-2-1は既定路線なのか?

 森保ジャパンではあたかも3-4-2-1が既定路線であるかのように言われている。また日本人は「選手をシステムに当てはめる」失敗を繰り返すのだろうか?

 いったいハリルジャパンで日本人は何を学んだのか? 監督が考える戦術やシステムという鋳型にハメ込むように、選手の個性と異なるプレイスタイルを強いるゲームモデル作りの限界を我々はハリルに見たのではなかったか?

 例えばヨーロッパの最前線では、相手チームのビルドアップをいかに制限するか? が焦点になっている。とすればロシアW杯で香川がやっていたような中間ポジションを取りながらの前からのプレッシングが不可欠になる。

 では3-4-2-1でそれをどう実現するのか? なんだか順番が逆になっているような感じがする。前からのプレッシングが前提ならどんなシステムがいいのか? と考えるのが正しい順番だろう。

代表監督はセレクター型が望ましい

 監督という生き物は2種類いる。フィロソフィ型とセレクター型だ。

 前者は監督の頭の中にあるフィロソフィ(サッカー哲学)を体現する戦術やシステムがまず先にあり、それに合う選手をあとから選んで行く(または育てる)。

 他方、後者は上から順に能力の優れた選手をまずセレクトし(選び)、集めた彼らに合う戦術やシステムは何か? をあとから考えるタイプだ。

 そもそも代表チームはクラブチームと違い、選手を育てる場ではない。監督の頭の中に存在するフィロソフィに合う選手をじっくり育てる、などということはできない。

 同時に代表チームで監督のフィロソフィに当てはまる選手ばかりを選んでしまうと、「この選手の能力は日本でトップだが監督の戦術に合わないから選ばない」などという矛盾が起きる。

 せっかく日本人という広い範囲から自由に選手を選べるのに、監督のフィロソフィに合わないから選ばないなどというのは大きな機会損失だ。

 となれば代表チームはすでに完成されているベストな選手をセレクトし、あくまで彼らを組み合わせる場だということになる。

 ならば代表監督は自分が理想とする戦術やシステムに選手を無理やり当てはめるフィロソフィ型でなく、優れた選手をまず選び、じゃあ彼らを生かす戦術やシステムは何なのか? を考えるセレクター型の監督が望ましいのではないか?

 とはいえ監督はすでに決まっている以上、いま在任する監督にセレクター型のチーム作りをしてもらう以外にない。

 そんなわけで森保ジャパンでは3-4-2-1がすでに決まったことであるかのような今の世論は、議論が逆立ちしていると言わざるを得ない。また日本は同じあやまちを繰り返すのか? という感じがしてならない。

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【サッカー日本代表】4つの「距離感」を変えろ

2018-08-02 07:25:31 | サッカー戦術論
ロングパスが苦手な弊害の大きさ

 日本人は正確なロングパスを蹴る・止めるのが苦手だ。プロの選手でもボールが長くなればなるほど蹴る・止める精度が極端に低くなる。そこで日本人はこの欠点をカバーするため、日本人独特の「距離感」を意識し、味方から近い距離にポジショニングし合ってパスを交換するクセがついている。つまり日本的な「小さいサッカー」だ。

 そのためこの「近い距離感」を大切にする感覚がすべてのプレイに影響を及ぼし、自分で自分のプレイスタイルを狭めてしまったり、ミスの原因を作り出している。とすれば日本人は、ガラパゴス化したこの距離感を全面的に変えるべきだ。

 具体例を4つだけあげれば、(1)味方がどれだけ離れた位置にポジショニングするか?(2)パスをどれだけ遠いゾーンにつけるか?(3)相手ゴールからどれだけ離れた場所からシュートするか?(4)敵は味方ゴールからどれくらい離れた場所からシュートしてくるか? という4つの距離感を根本的に変える必要がある。4つすべてを「もっと遠くから」にしなければならない。

 そのためにはまず長いボールを蹴る・止める技術を身につける必要がある。そうすれば、(1)と(2)はカンタンに実現する。これで長いサイドチェンジを駆使できるようになるし、攻撃に不可欠な幅と深さをもたせることができる。

 また距離感が変わるということは、プレイの常識が変わるということだ。それが実現できれば、日本人に決定的に欠けている(3)の「ミドル・ロングシュートを狙おう」という感覚も身につく。

 同様に距離感に関する常識が変われば、(4)の「敵はこんな離れたゾーンからシュートしてこないだろう」と油断し、ミドル・ロングシュートを決められてしまうなどということもなくなる。

 日本人は日本サッカー協会の田嶋会長が言うように自分たちの「長所を伸ばす」だけでなく、こんなふうに同時に「欠点を修正する」ことが絶対に必要だ。でなければいつまでたってもプレイスタイルの幅を広げられないし、ミスは減らない。

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【サッカー日本代表】自分で自分のスタイルを狭める日本人

2018-07-31 08:55:58 | サッカー戦術論
特定のプレーに固執する悪いクセ

 日本人は、自分で自分のプレースタイルを狭めてばかりいる。

 よく、「日本人は身長がないのでサイドからのクロスはダメだ」といわれる。で、真ん中からのグラウンダーのスルーパスに過度にこだわる。ならばロシアW杯コロンビア戦で本田のCKから大迫が決めたヘッドはいったい何だ?

 要はクロスを入れれば「何が起きるかわからない」のだ。なのに「日本人は背が低いからクロスはダメ」と決めつけ、自分たちのプレースタイルを狭めてしまう。これに類することは数多い。

 ほかにも例えば「放り込み」などといってロングパスを異常に毛嫌いするのもそれだ。昔とくらべ日本人の技術レベルははるかに上がり、すでにCBからサイドに開いたWGの足元へ正確なロングパスをつけるレベルまで到達している。

 にもかかわらず、いくら精度が高くてもロングパスを過剰に敬遠する。で、「距離感が大事だ」などといって狭いエリアに複数の選手が集まりショートパスばかり交換する。オープンスペースに広がって中長距離のパスを活用しようとしない。要はティキタカ症候群だ。

 皮肉なことに、これが日本サッカー協会の田嶋会長が唱える「ジャパンズ・ウェイ」の実態である。田嶋会長は「日本人の長所を伸ばす」などというが、長所というのはすでに抜きん出ているのだから伸び代は小さい。

 逆に上であげたような「日本人がやろうとしないこと」をやり、「日本人ができないこと」をできるようにすれば、0点だったものがたちまち30点や40点に上がる。トータルでどっちがチーム力の向上になるか? といえば明白だ。

「日本人らしく」小さくまとまり、「長所を伸ばす」などといって短所に目をつぶり修正しないのでは、日本に明るい未来はない。

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【森保ジャパン】西野Jから継承してほしい4つのこと

2018-07-30 08:30:01 | サッカー戦術論
成果をその場限りで終わらせない

 ロシアW杯を戦った西野ジャパンは、速い攻守の切り替えや縦への意識、ワイドな展開でグループリーグを見事突破した。過去の日本代表は監督が変われば実績をすべてチャラにしてゼロからスタートしてきたが、あの西野ジャパンの成果を捨ててしまうのはあまりにも惜しい。

 そこで森保ジャパンには、西野ジャパンから引き継いでほしい4つのことがある。それはざっくり以下の通りだ。

1. 前からのプレッシングで敵のビルドアップを制限する。

2. 第一選択として縦パスを狙う強い意志をもつ(無理な局面では第二、第三選択を)

3. フィールドを斜めに横切る長いサイドチェンジでピッチを広く使ったワイドな展開を。

4. CBからサイドに開いたWGに放射状の正確なロングパスを入れる。

 2〜4は読んだ通りなので1についてだけ補足したい。西野ジャパンは敵のビルドアップ時、ミドルサードの敵陣側で前の選手が中間ポジションを取りながらプレッシングし、中へのパスコースを切って相手ボールを狭いサイドへ誘導した。これによりサイドでハメてボールが取れればよし。そうでなくボールが相手CBに戻されてもビルドアップ制限の目的は達せた。この約束事を森保ジャパンでも継承してほしい。

 仮に森保ジャパンは3-4-2-1だとしよう。で、森保監督の広島時代のようにボールを失えばスルスルとディフェディングサードまでリトリートし、5-4のブロック守備に移行するのも時間帯や点差によってはいいと思う。これによりボールを相手にもたせてカウンターを狙う戦術はアリだ。

 だが相手との力関係や時間帯、点差によっては積極的に上記1のやり方をしてほしい。常にボールを奪う位置が低いままでなく、可能ならより高いゾーンでボールを奪ってショートカウンターをかけたい。成果は適宜継承し、よりよい日本代表を作ってほしい。

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【次期代表監督】ロシアW杯で実った果実を継承すべきだ

2018-07-25 10:48:49 | サッカー戦術論
日本人みんなで同じ方向を向く

 森保一・東京五輪監督がA代表監督を兼任するのではないかと噂されている。おそらく日本サッカー協会の関係者がメディアにリークし既成事実を作る手法で進んでいるのだろうが、非常に奇妙なのはその森保氏がA代表監督に就任した場合に「どんなサッカーをするのか?」が一切語られない点だ。

 本来ならロシアW杯を分析した上で「日本が世界で勝つにはこういうサッカーをすべきだ」との指針をまず協会が出し、「だから森保氏にやってもらおう」というのが筋だ。ところが森保氏が就任したらどんなサッカーをするのかは一向に語られず、これまでの監督選びと同様、「サッカーの中身やコンセプトは新監督に丸投げしよう」的ななし崩し感を漂わせながら事態は進んでいる。

 個人的には、日本はまだまだ外国人監督から学ぶべき点が多いと考えているので日本人監督には基本反対だが、ただ一点、ロシアW杯で日本が見せたあのサッカーが継承されるなら森保氏もアリだと考えている。

日本人みんなが共感するサッカー

 西野ジャパンの躍進と国民の熱狂を見て、やはり代表は国民性に合ったサッカーをすべきなんだなと感じた。無論それだけでなく、あのチームが世界で勝てる日本の進むべき道を示したのは事実である。ならばロシアW杯で日本代表が繰り広げたサッカーを日本のモデルにし、指導者や選手も含めサッカー関係者の志向性を同じあの方向で揃えるべきではないか?

 ロシアで日本が見せたのは、コンパクトで攻守の切り替えが速い軽快なパスサッカーだ。日本人のアジリティのよさを生かしてテンポよくボールをつなぎ、主導権を握りながらピッチを広く使ったワイドな展開をする。「前へ」の推進力がカギだ。

 ビルドアップは相手チームのファーストディフェンダーの枚数に応じ、適宜、セントラルMFが1列落ちて両SBを高く張り出させる。またボールを保持するCBやSBから、サイドに開いた両WGへ精度の高い放射状のロングパスをダイレクトに射し込む。フィールドを斜めに横切るダイアゴナルな長いサイドチェンジを織り交ぜながら、瞬間的な裏抜けやハーフスペースからのフィニッシュを積極的に狙う。そんなダイナミックなサッカーだ。

 同じ日本人といってもフットボールの好みはさまざま。だがロシアW杯で日本が演じたあの攻撃的で爽快なサッカーならば、みんながちょっとづつ自分の好みを譲り合い、あのスタイルを日本人共通の最大公約数にできるのではないか? そしてみんなが同じ方向を向いて力を結集させる。そうすれば意思統一の取れたムダのないスピーディーな強化ができるはずだ。ただし失点の原因を作った守備の強化は絶対だし、セットプレーから点が取れる形作りと被カウンター対策は上積みする必要があるが。

森保氏のスタイルとの整合性は?

 そこで浮上するのが、森保氏の志向性と「あのサッカー」とのギャップだ。森保氏が広島の監督時代にやっていたのは、スタート時は3-4-3だが相手ボールになればディフェンディングサードまで深くリトリートし、自陣に5-4のブロックを敷くサッカーだ。これでボールを奪えば最終ラインから丁寧にビルドアップし、コレクティブカウンターを狙うようなイメージだった。攻撃時にサイドを使ってワイドな展開をするのが特徴だ。

 西野ジャパンが前から守備をしボールを奪う位置が高いのとは真逆で、いったんリトリートし相手にボールを持たせてカウンターを狙うあたりはむしろハリルジャパンと共通している。

 さて森保氏が就任すれば、やはり上にあげた広島時代のようなサッカーをやるのだろうか? 広島時代のスタイルは非常にインテリジェンスがあり共感していたが、冒頭に書いたような、ロシアW杯が終わったこの機会に「日本の方向性を揃えたい」という意味ではギャップが生じる。もちろん両者のいいところ取りのハイブリッドで行く、というなら賛同するが。

 日本はせっかくロシアW杯でめざすべきスタイルを見つけた。あのサッカーなら日本人全体の共通理解も得られそうだ。ここは一気呵成に「ジャパン・スタイル」を作る千載一遇のチャンスである。関係者にはそこをよく考えてもらって話を進めてほしい。

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【サッカー日本代表】「試合を支配しないこと」は悪か?

2018-07-10 08:19:42 | サッカー戦術論
国技化するポゼッション率至上主義

 日本では専門のサッカー雑誌でさえ、「試合を支配できない時間帯」「押し込まれる時間帯」などという表現を使い、それが悪いことのように書いている。

 だが前者については、意図的に相手にボールを持たせてカウンターを狙う戦術はあるし、後者についてもわざとリトリートして低い位置にブロックを作って戦う戦術はある。

 にもかかわらず日本のメディアはいつまでたっても、「試合を支配する」「相手を押し込む」ことが絶対的な善であるかのような報道をしている。つまり彼らにとっては、いまだに「ポゼッションこそが正義」なのだ。

 だがポゼッションとカウンターは、どっちがいい悪いの問題ではない。どんな戦い方を選択するか? のポリシーの違いでしかない。しかも現代サッカーでは、同じチームが当然両者を兼備していなければいけない。

 とすれば日本人はこの相反する二元論に対する認識を変える必要があるが……西野ジャパンの攻撃サッカーが躍進したおかげで、またぞろ日本では相変わらずのポゼッション率至上主義がはびこるのだろう。

 やれやれ。

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【西野ジャパン】まず守備の「原則」を決めろ

2018-06-08 09:15:34 | サッカー戦術論
どこからプレスをかけるのか?

 報道によれば、ロシアW杯をめざし合宿中の選手たちから、口々に「どこからプレスをかけるのか?」という言葉が発されているようだ。ジーコジャパンの時代からエンエンと繰り返される、日本にとっての永遠の課題である。

 だがこのお題は実は永遠でもなんでもない。守備の原則を知っていればカンタンに解決できる。まずザックリ2つのケースに大別して考えてみよう。

 ひとつは、自分たちがボールを失った瞬間にその場でかけるプレッシングだ。そしてもうひとつは、局面が落ち着いて敵が最終ラインからビルドアップしようとするときにかけるプレッシングである。

 前者の場合、ボールを失った場所はそのときによって違うのだから、当然、どこからプレスをかけるのか? もケースバイケースになる。

 例えばアタッキングサード(前線)でボールを失った場合、守備対応はこれまた2つに分類できる。ひとつはゾーンの高さを変えず、高い最終ラインを保ったままその場で前線からゲーゲンプレッシングするケースだ。いわば「攻撃的な守備」である。ただしラインが高く背後に広大なスペースを抱えているぶん、リスクはある。

 一方、もうひとつの対応は、ボールを失ったアタッキングサードでプレスをかけ始めるのでなく、縦へのパスコースを切りながら自分たちの守備ゾーンへとリトリート(後退)し、まず守備の隊形を整えるやり方だ。こうして守備組織を整えてから、組織的なプレッシングを開始する。

 この場合、ミドルサード(ピッチの真ん中)へ後退し守備ブロックを作るケースと、ディフェンディングサード(自陣ゴール前)までリトリートする2パターンがある。

敵のビルドアップへのプレスは?

 では局面が落ち着き、相手チームが最終ラインからビルドアップしようとしているときにかけるプレッシングの位置はどうか? ご推察のとおり、これはボールを失い守備に回った自分たちのチームが「どこまでリトリートしたか?」によって決まる。

 例えばミドルサードへ後退した場合、ボールを保持した敵CBに対し、自軍のFWがミドルサードの敵陣側からプレッシングを開始するのがふつうだ。このときFWとMF、DFが協力し組織的にプレスをかけ、自分たちがボールを奪いたいゾーンへ相手ボールを誘導してハメる。

 以上、ボールを失ったその場でプレスをかけ始めるのか? それともリトリートするのか? リトリートするならどのゾーンまでか? これらのプレー原則は監督が決めることだ。「うちのチームはこれで行く」。それがそのチームの守備のコンセプトになる。

 もちろんケースバイケースで選手が状況に合わせて臨機応変に対応すべき局面もあるが、基本的には以上の守備の原則は西野監督がきっちり決めておくべきだ。そこのオーガナイズがなければサッカーにならない。

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【西野ジャパン】本田&宇佐美の2シャドーに守備の不安はないか?

2018-05-27 08:58:25 | サッカー戦術論
宇佐美はどこまで守備をするか

 ロシアW杯をめざす西野ジャパンは26日、初のフォーメーション練習を行った。ベールを脱いだ形は、長谷部をリベロに据えた3バックを採用する1トップ2シャドーの3-4-2-1だ。大迫と岡崎が交代で1トップに入り、本田と宇佐美がレギュラー組の2シャドーを務めた。全体図は以下の通りだ。


               ◯大迫(岡崎)

         ◯宇佐美          ◯本田


      ◯長友   ◯山口蛍   ◯柴崎    ◯原口



          ◯槙野  ◯長谷部  ◯吉田


 なるほど攻撃に関してはわかりやすい。チームでいちばんシュートがうまい本田、宇佐美ら3人が決定的な仕事をするんだな、と察しがつく。だが問題は守備だ。

 いま日本がボールを失った。で、敵CBがボールを保持してビルドアップしようとしている場面をイメージしてみよう。

 このとき日本のワントップは、ミドルサードの敵陣側からプレッシングを始める設定だとする。この場合、敵の2人のCBが横パスをつなぐのは勝手にやらせておく。ただし日本のワントップは縦のパスコースを切り、相手のボランチを日本のシャドーかボランチが見て絶対に縦パスを通させないようにする。

 すると問題はサイドにボールが出た場合だ。

 そのときは日本の同サイドのウイングバックとシャドーがボールに圧力をかける。WBが縦を潰し、シャドーが横を切る。ワントップもプレスバックして後ろから囲い込む。せっかく敵のボールをサイドに誘導したのだから、サイドでボールを奪いたい。

 さてここで、(日本ボールのときでさえ)オフ・ザ・ボールの動きがダメな宇佐美が、足を止めずに守備のタスクをきっちりこなせるかどうか? 宇佐美のサイドから「水が漏れる」のでは守備が破綻し失点のリスクが高まる。対戦する3ヵ国すべてが格上であることを考えれば、日本が先に失点してしまっては苦しくなる。

岡崎がシャドーなら守備は万全だが

 一方、もしシャドーが岡崎なら、守備の仕事は完璧にこなせるだろう。とはいえ攻撃力なら宇佐美のほうが上回る。ならば宇佐美を使うことによる攻撃と守備のメリット・デメリットを秤にかけた場合、トータルでの収支決算をどう判断するか? だろう。つまり西野監督の決断は攻撃的なのだ。

 だが対戦相手との力関係から守備を重視せざるを得ない日本の立場を考えれば、スタメンは(宇佐美でなく)守備の得意な岡崎をシャドーで使い、まず守備から入って悪くても引き分けを視野に入れるというシナリオもありえる。

 そしてもし日本が先に失点してしまい、どうしても点がほしい局面になれば宇佐美を途中投入する、という考え方もできる。(宇佐美の守備がリスキーだと考える私が監督ならそうする)。というか、もし私が監督ならそもそも宇佐美は使わず、頭から武藤嘉紀を使う。

 このへんはガンバ大阪つながりな西野監督の「宇佐美愛」が強いのだろうが……さてこれが吉と出るか凶と出るか? いや、とはいえケガの乾が目下、別メニュー調整中で全体練習には加わってないので、まだ暫定的な人選なのだろうが。

 なお、このほか同日のフォーメーション練習から推察すれば、ボランチはまず山口蛍が当確。で、彼の相方は柴崎と大島の争いであることがわかる。ここのスタメン競争も非常に興味深い。

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【ポゼッション信仰】ボール保持率が上がれば本当に失点の確率は減るのか?

2018-05-16 08:53:41 | サッカー戦術論
ボールを持ってる限り失点しないのウソ

 サッカーでは、「ボールを保持している限り失点しない」とジョークまじりによく言われる。だが本当にそうだろうか? むしろ逆にポゼッションしているチームは、常にカウンターを受ける危険と隣り合わせにいる。サッカーに「絶対」なんてありえない。

 攻撃に必要なのは幅と奥行きだ。ゆえにボールを奪取し攻撃に移ったチームの選手は、ピッチいっぱいに広がり前がかりになる。これを守備側の選手から見れば、スペースがたっぷりできた状態に映る。特にライン裏にはおいしい空間が広がっている。トランジションの重要性が言われるのはそれゆえだ。

 すなわちサッカーにおける攻撃とは、いかに自らバランスを崩して攻めるか? 逆に守備とはいかにバランスを保って守るか? そのせめぎ合いである。

 とすれば攻めている状態というのは、刀を構えている敵の前に首をさらし「どうぞカウンター攻撃をしてください」と言ってるのと同じだ。

 ヨーロッパや南米の強豪国でさえそうなのだから、こと日本式パスサッカーの場合はなおさらである。

 長いパスを蹴る・止めるのが苦手な日本人は、狭いエリアに複数の選手が集まってショートパスを交換する。裏を返せばボールを奪われカウンターを受ければ、さっきまでボールに群がっていた3〜4人の日本人選手はまとめて置き去りにされる。つまりガラパゴス化した日本のパスサッカーは、強豪国と比べとりわけカウンターに弱いのだ。

 ワールドカップで日本が「ボールをつなぐサッカー」を志向する限り、カウンターの危険はついて回る。それを防ぐには日本人が長いパスをコントロールする技術を身につけるか、日本ならではの特殊なカウンター対策をひねり出すか。ふたつにひとつしかない。

 こと日本に限っては、「ボールを保持する限り失点しない」なんてジョークでは笑えないのである。

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【サッカー日本代表】日本化したサッカーで世界に勝てるか?

2018-05-12 08:08:44 | サッカー戦術論
「自分らしさ」をはき違えるな

「なんでも外国のマネをすればいいわけじゃない。もっと自分達らしさを出すべきだ」

 オシムが語った「サッカーを日本化する」というコンセプトには知的興奮を覚えたし、傾聴に価する部分もあった。自信をもっていいんだ、と勇気づけられもした。だが暗黒面もある。

「なーんだ。オレ達、ありのままでいいんじゃないか」

 日本が世界で勝てない方向へと堕落する、いわゆる日本サッカーのガラパゴス化に免罪符を与えてしまった一面があると思う。

 例えばいま、左のSBがボールを保持している。と、逆サイドで右前に開いた味方のWGがフリーで裏のスペースに走り込んだ。そこへフィールドを斜めに横切るロングパスを出し、ピンポイントでサイドチェンジすれば大チャンスになる。

 だが日本人は長いボールを蹴ったり止めたりするのが苦手だ。技術的にむずかしい。で、左SBはフィールドの真ん中にいる味方をいったん経由し、サイドチェンジしようと試みる。だがもちろん、それでは遅い。たちまち敵にポジショニングを修正され、右WGが裏を狙ったチャレンジは水泡と化すーー。

 つまりフィールドの真ん中にいる味方にいったんパスを出し、彼を経由して逆サイドにサイドを変えようという2段式の日本的サイドチェンジは効力が薄いわけだ。

 これに類する日本式プレイは山のようにある。例えばペナルティエリアに入らなければシュートを打たない、などというのもそれだ。このテの日本人が抱える修正すべき課題に対し、「サッカーを日本化する」論は「ありのままでいいんだ」というまちがった肯定感を与えてしまった。

「自分らしくあっていい」「個性を生かせばいい」「長所を伸ばそう」

 とても魅惑的な言葉だが、ことサッカーにおいては当てはまらない場合もある。

 そういうことである。

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【サッカー日本代表】「見たい」サッカーと「すべき」サッカーはちがう

2018-05-10 06:04:03 | サッカー戦術論
個人的願望とめざすべきスタイルを混同するな

 日本が世界で勝つにはどんなサッカーをやるべきか? そんなお題で熱く論じる人のうち、けっこう多くの人が「日本人の長所を生かしたサッカーをすべきだ」という。で、それってどんなサッカーなの? とさらに聞いているとこう言う。

「日本人の足元の技術の高さや敏捷性、組織性を生かし、グラウンダーのショートパスを使ってワンツーやダイレクトプレーを織り交ぜポゼッションし、主導権を握るサッカーをしたい。前が詰まったら何度でもバックパスしてやり直し、最終ラインから丁寧にビルドアップすべきだ」

 え? でもそれって一時のバルセロナじゃん、みたいな。

 つまりその人はバルセロナ教の信者であり、そんなスタイルを見たいと強く願ってる。で、日本代表にもそういうサッカーをやれと主張する。「長所を生かすべきだ」なんて論拠は単なる刺身のつまで、要は「俺はこういうサッカーが見たい。だからやれ」。そういう話なのだ。

 この場合、自分が「見たいサッカー」と、日本代表が「やるべきサッカー」がごっちゃになっている。前者は単なる個人の主観(好み)だが、後者はきちんと客観性のある論拠がベースにあるべきだ。つまり主観と客観を区別できてない。

 日本人は何かについて言及するとき、つい感情(主観)に引きずられて論理性(客観性)に欠けた主張をしてしまうことがよくある。なぜかこのテの人は「長所を生かせ」論の人に多く、その実、「自分の好みを言ってるだけ」だったりする。なんだか議論の仕方がおかしい。

欠点を長所で覆い隠せば勝てる?

 日本が世界で勝つにはどんなサッカーをやるべきか? を論じる以上、そのサッカーをすれば日本が世界で勝てる客観的な論拠を添えるべきだ。「俺はバルセロナが好きだからそういうサッカーが見たい」というのは、論拠にならない。

「長所を生かせば勝てる」というなら、「でも短所を突かれたらどうするの?」と強く思う。このテの論者は決まって「日本人はフィジカルがなく1対1や個が弱い。そこで勝負すると負ける。だから日本人の長所である組織性や敏捷性を武器にすべきだ」という。

 つまり欠点には目をつぶって放置し、短所を長所で覆い隠せば勝てるんだ、というわけ。いやストロングポイントで勝負するのは当然だけど、1対1や個の強さ、フィジカルなんてプロとして当然そなえておくべきだ。そこが弱いなら強くすべきだろう。

 長所を生かすのは当たり前だが、同時に欠点があれば修正すべきだ。なぜこういう議論にならないのか不思議でしようがない。要はこのテの論者は「フィジカルや個で勝つサッカーは好きじゃない。だから見たくない」というだけなのだ。ここでも個人的な好み(主観)と、やるべきサッカー(客観)を混同してしまっている。

 日本が世界で勝つにはどんなサッカーをすべきか? それを論じるなら、主観と客観をしっかり区別するべきだ。でないと「どんなサッカーを見たいのか?」という、単なる人気投票になってしまう。
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【サッカー日本代表】ハリルを「土台」にすべきだった

2018-05-09 07:29:29 | サッカー戦術論
長期計画のない日本サッカー協会

 日本サッカー協会には長期的な視点がない。あまりに行き当たりばったり。無謀で短兵急な結果主義だ。例えば田嶋会長は「(ロシアW杯で)1%でも2%でも勝つ確率を上げたい」などといってハリル監督解任という自爆をした。だが、こんなふうには考えられないのだろうか?

 まずロシアW杯はハリルで行き、大会終了後にいったんキッチリ総括する。例えば相手にボールをもたせ、まず守備から入ってカウンターを狙う戦い方はロシアW杯でどこまで通用したか? 日本にこの戦術は向いているか? 日本のデュエルと縦への速さ、裏抜けと裏を狙う長いスルーパスは有効だったか? ハリル起用で日本人の個の弱さはどの程度改善されたか? ロシアW杯では全体として日本のどこが通用し、どこが通用しなかったか? 伸ばすべき日本のストロングポイントと、修正すべき課題はどこか?

 ロシアW杯からこうしたデータを取る。で、ハリルジャパンをいったん総括する(これが重要だ)。そして、それをベースに次のステージへ進むべきだった。例えばハリル時代は粘り強い守備をみっちり積み上げ、それを土台に次はポゼッション系の攻撃的な監督を呼ぶのでもよかった。これにより点差や時間帯、選手の疲労度等に応じてカウンターとポゼッションを使い分けられるようになる。

「いまはカウンターか? それともポゼッションすべきか?」

 戦況による選手個人の判断能力や適応能力、応用力も上がるだろう。

 考え方としてはロシアW杯でまずハリルの指導により守備を7割ガッツリやる。と同時に、相手の戦術に応じた臨機応変なハリルの戦い方を学ぶ。で、その土台の上に次の監督でボールを握るポゼッション・スタイルを積み上げる。そして最終的には、状況に合わせて速攻と遅攻を使い分ける有機的なチームを作る。そういう長期計画でよかったのではないか?

 だが日本サッカー協会にはそんな長期的な視点がない。

 ハリルジャパンについての総括がまったくないまま(現にハリルによるロシアW杯は終わってないから総括のしようがない)、「ロシアW杯で1%でも結果を出さなければ」などと焦り、すべてを台無しにしてしまった。

 もちろんロシアW杯が盛り上がらなければ日本のサッカー熱が冷めてしまうとか、競技人口が減るのでは? とか、広告収入が落ちるとか、グッズの売り上げが、とか、そういう大人の事情はあるだろう。だがそれにしても「ハリル解任」というその場しのぎの対処はあまりに無謀だった。

 付け焼刃の西野ジャパンで、いったいどんな実りあるフィードバック(総括)が得られるのか? そう考えるとあまりに虚しい。

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【サッカー日本代表】日本人にとって「組織サッカー」とは何か?

2018-05-04 06:49:48 | サッカー戦術論
誰も責任を取らなくてすむ無責任体制

 日本人は「組織サッカー」なる言葉が大好きだ。いったいなぜか? たとえば負けても「組織で戦いました」と言えば、たちまち鵺のように責任の所在があいまいになる。つまり組織で戦えば個人の責任が問われなくなるわけだ。

 例えば1人の選手が決然とシュートを打てば、入るにしろ外れるにしろ個人が責任を引き受けることになる。外せば「あいつが悪い!」と激しくなじられる。日本人は極力それを避けたがる。そして自分でシュートを打てる場面でも、責任回避して他人にパスを出したがる。

 いかにもサッカーの目的が「点を取って勝つこと」ではなく、「パスをつなぐこと」に陥りがちな日本人らしい。ストライカーでなく10番タイプの選手が脚光を浴びる日本的なパス至上主義である。

 そこで何が起こるかといえば、いつまでたってもパスを回し続けることが自己目的化するのだ。誰も責任を取ってシュートを打たない無責任体制が出来上がる。まるでゴールそのものが存在しないボールキープゲームのようなサッカーである。組織によるパスサッカーでポゼッションを志向したジーコジャパンや、悪い時のザックジャパンはそれが顕著だった。

 個人が白黒ハッキリつけたがらない、日本ならではのあいまい文化。日本人特有の「忖度」や「空気を読む」という行動も、根は組織サッカーを祭り上げる無責任体制のメンタリティと同根であるような気がしてならない。

「組織野球」なる言葉が廃れた理由

「組織サッカー」という言葉ができたのは、日本人がまだ満足にトラップすらままならなかった時代のお話だ。「自分たちは個人技で戦えば外国に負ける。だから組織でカバーし合おう」。個でぶつかれば負けるから組織力で勝とう。裏を返せば、ミスの責任を個人が取らずにすむよう組織サッカーが生まれたことになる。

 一方、野球でもかつては組織野球、全員野球なる言葉が盛んに持て囃された。だがいまではあまり聞かれない。なぜだろうか? おそらく日本の野球選手の個人技術がアメリカに伍するほど向上し、個人が敗戦の責任を取らなくてすむ確率が高まったからだ。だからもう逃避としての組織野球なる呼称は必要ない。

 もちろんサッカーも昔とくらべ日本人選手の個人技術は飛躍的に伸びている。だがそれでも野球とくらべればまだまだ世界とは明らかな落差がある。野球とちがいサッカーでは、まだ日本人の個の力は十分ではない。であるがゆえに敗戦の責任が個人に回って来る可能性が高い。

 ゆえにそれを避けるため、いまだに組織サッカーという美名のもと、誰も責任を取らなくてすむよう集団による無責任体制が存在しているわけだ。しかもタチが悪いことに「無意識のうちに」そうなっているのである。これが日本独特のパス至上主義の正体だ。

 日本サッカーが個の力で世界に勝ち、個人が敗戦の責任を被らなくてすむ時代はいつやってくるのか? ひょっとしたら技術やフィジカルの問題以前に、日本人はまず「責任回避のメンタリティ」を変えなければ世界に勝てない。いや、もちろんポルティモネンセの中島翔哉やフローニンゲンの堂安律、ハンブルガーSVの伊藤達哉など、日本人が世界に個で勝つ雄々しい胎動はすでに始まっているのだが。

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