両者の違いは情報の「確度」と「スクープ性」だ
最近よく話題になる新聞やテレビなどのオールドメディア(マスコミ)と、ネットメディア(=SNS)の違いって、なんだろう?
まず大手マスコミは基本的にニュースの裏を取り、ソースに忠実な事実確認を行うノウハウや技術、確度が高い。そこはプロならではだ。自前のセオリーも確立している。
最近よく話題になる新聞やテレビなどのオールドメディア(マスコミ)と、ネットメディア(=SNS)の違いって、なんだろう?
まず大手マスコミは基本的にニュースの裏を取り、ソースに忠実な事実確認を行うノウハウや技術、確度が高い。そこはプロならではだ。自前のセオリーも確立している。
この点でアマチュア主体のネットメディアと大きく違う。だからいわゆるあからさまで単純な「誤報」は少ない。
だがそのぶん(広告主や絶対的な社会権力のような)既得権益に過剰反応し、自分の身を守るため本当に重要なことは伝えず隠す。
うまく立ち回ろうとする。
一方、ネットは玉石混交でデマも多い。セオリーにしても、例えば「引用の仕方」さえ知らない人だっている。
だがそのぶん(広告主や絶対的な社会権力のような)既得権益に過剰反応し、自分の身を守るため本当に重要なことは伝えず隠す。
うまく立ち回ろうとする。
一方、ネットは玉石混交でデマも多い。セオリーにしても、例えば「引用の仕方」さえ知らない人だっている。
だがそのぶんネットユーザは既得権益や既成概念に左右されない。だからネットには(一部に)オールドメディアでは絶対に得られない、超ド級の「語られない真実」が混在しているケースもある。
そんな砂に埋もれた宝石を探し出せれば、収穫はデカい。
社会正義を気取りながら広告で食う詭弁
いや、一方のネット(=SNS)も、広告で経営が成り立っている点ではまったく同じだ。ただしこっちはオールドメディアみたいに「俺たちは社会正義だ」なんて顔はしていない。
例えばマスコミみたいに正義を気取っていながら、実は「裏で広告」=既得権益とナアナア、なら確かにやましい。
そんな砂に埋もれた宝石を探し出せれば、収穫はデカい。
社会正義を気取りながら広告で食う詭弁
いや、一方のネット(=SNS)も、広告で経営が成り立っている点ではまったく同じだ。ただしこっちはオールドメディアみたいに「俺たちは社会正義だ」なんて顔はしていない。
例えばマスコミみたいに正義を気取っていながら、実は「裏で広告」=既得権益とナアナア、なら確かにやましい。
だがネット(=SNS)は特定の既成概念や価値観に縛られるところがない。マスコミみたいに正面切って、正義など気取っていない。
だからネットメディアの場合、別にそれが広告で成り立っていよういまいが、誰に文句を言われる筋合いもない。
加えてネトにおいては情報の送り手側の正確性は、よく言われる通り確かに「あいまい」だ。正確じゃない。
だからネットメディアの場合、別にそれが広告で成り立っていよういまいが、誰に文句を言われる筋合いもない。
加えてネトにおいては情報の送り手側の正確性は、よく言われる通り確かに「あいまい」だ。正確じゃない。
それが意図的か? 無意識か? を問わず、自分でよく確認もせずテキトーなことを発信するネットユーザも確かに多い。そこはもう、自己責任の世界だ。
あとは情報の受け手の側が、自己規制して自分なりに判断するしかない。ネット上ではオールドメディアが標榜するような、ある種の「保証」なんてない。
だからそのぶんSNSは、マスコミが絶対にやらない凡ミスをすることもあれば、彼らが決して報じないきわどい真実も伝える。だが一方でヘンなデマや陰謀論も入り混じる。それが実態だ。
だからそのぶんSNSは、マスコミが絶対にやらない凡ミスをすることもあれば、彼らが決して報じないきわどい真実も伝える。だが一方でヘンなデマや陰謀論も入り混じる。それが実態だ。
初期のネットは「課金システム」が議論されたが最後は「広告方式」に
おまけに昔のネットには、マスコミみたいな「広告タブー」なんて少なかった。いや、というよりネットにはそもそも「広告モデル」そのものがなかった。
つまり初期のネットでは今のように広告で収益をあげ採算を取るスタイルではなく、ユーザに対する課金方式がもっぱら取り沙汰された。新聞でいえば「購読料」、いわば「サービスの利用料」だ。
で、確か90年代だったかには、「一体どうやってネットメディアで課金するか?」がしきりに議論されたりした。
だが今や例えばYouTuberなんて、まさに企業からもらう広告料で成り立っている。いわゆるタイアップ方式だ。
だが今や例えばYouTuberなんて、まさに企業からもらう広告料で成り立っている。いわゆるタイアップ方式だ。
むろん日夜、配信するYouTuberたちも、それを「悪いことだ」なんてツユほども思ってない。逆に「おいしい案件だ」と考えている。
だからマスコミと同様、ネット上にも今では立派に「広告タブー」がある。
「メディア・リテラシー」が重要だ
こうしたネットメディアの広告タブーは、ある種、致命的ではある。
なぜなら本来、「報じるべき正しいこと」が、報じられなくなるからだ。例えば新型コロナワクチン問題の功罪などは典型である。
結論としては、今やどっちもどっち。
だったらネット情報の受け手の側は、しっかり自衛するだけだ。
結論としては、今やどっちもどっち。
だったらネット情報の受け手の側は、しっかり自衛するだけだ。
ひたすら情報を自分の目で見て確かめる。その都度、真贋を自分で見極めるしかない。
現代のネット上では、ユーザ個人個人がめいめいそんな「メディア・リテラシー」を持ち、自分の頭で考えて自衛しなければ生きていけない時代になっている。
でなければたちまちヘンな陰謀論に足元をすくわれ、取り返しのつかないことになってしまうかもしれないーー。
現代は、そんなむずかしい時代に差し掛かっている。
でなければたちまちヘンな陰謀論に足元をすくわれ、取り返しのつかないことになってしまうかもしれないーー。
現代は、そんなむずかしい時代に差し掛かっている。