すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

母が逝った。すばらしい女性だった

2021-09-27 08:06:50 | エッセイ
100年早すぎたスーパーウーマン

 9月20日、母が亡くなった。89歳だった。

 夜、眠っているうちに亡くなったから、きっと安らかな最後だったのだろう。

 母の思い出は数え上げればキリがない。

 和裁、洋裁、茶道、日本舞踊、阿波踊り、切り絵ができて、犬のしつけの名人だった。

 家にはいつも犬や猫、ニワトリ、金魚、カメなどがいて賑やかだった。

 とても専業主婦で終わるような平凡な人じゃなかったが、時代がそうさせなかったのかもしれない。

「本当は演劇がやりたかったが、親が許してくれなかった」と言っていた。

 ユーモアのセンスがあり、感性が豊かでハイセンス。どう見ても「ふつうの人」じゃなかった。そんな母が誇らしかった。

偏食の私を公園に連れ出し……

 子供のころからわがままだった私は、そんな才人に面倒ばかりかけていた。

 私は超がつくほど偏食で何も食べられなかった。学校の給食の時間は地獄だった。(今から思えば一種の摂食障害だったのかもしれない)

 そんな私を母は公園に連れ出し、楽しい演出をした上で弁当箱からソーセージを食べさせ、「息子がソーセージを食べた!」とうれし泣きしながらお祖母ちゃんに電話していた。

 一事が万事この通りで、子育ての面で私が母にかけさせた手間は想像を絶する。

 いっさい家庭を顧みない父を横目に、母は早朝から深夜までせっせと一人で家事をしていた。

 そんな女性を見て育ったので、てっきり女性とはそういうものだと思っていた。なんなら「女性の生きがいは家事なのだろう」などと考えていた。

(そんな妄想はいまの妻と出会って木っ端みじんに打ち砕かれたが。妻は「男は家庭でどうあるべきか?」を教えてくれた貴重な先生である)

自分の頭で考えろ

 そんな母にことあるごとに言われたことがある。

「私は家庭に入ったから、やりたいことができなかった。だからお前は将来やりたいことを思った通りにやれ」

 そう言われて育った(だから私はこんなグータラなのかもしれないが)

 もうひとつ子供のころから言われたのは、「自分の頭で考えろ」ということだ。「勉強しろ」なんて言われたことなどなかったが、これだけは本当にうるさく言われた。

 たとえば、他人は「こう言って」いる。世の中の常識もその通りだ。メディアも同じことを報道している。

「だが、それは果たして客観的事実なのか?」

 こんなふうに常に疑い、「自分の頭」で考えるクセがついたのは母のおかげだ。

まるで友達みたいだった母

 こうして挙げればキリがないが、「まるで友達みたいだった母」には本当に感謝している。

 生まれてくるのがもう100年遅かったら母は芸術家にでもなっていたかもしれないが、しかしそれでも母は「人間を育てる」という大仕事をまっとうして、いま天国にいる。

 あと何十年かして私もあちらへ行ったら、ちょっとは親孝行でもしようかなと思っている。

 ありがとう、お袋。

 あなたはすばらしい女性でした。

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