ソーシャルブックマーク(SBM)はプライベートな空間か? それともオフィシャルな場なのか? あなたはどう思いますか?
筆者のhejihoguさんは、ソーシャルブックマークのコメント欄をオープンな場と考える人のようだ。私もそうである。ただ、そうなんだけど、「そうじゃないような感じ」に囚われる瞬間がよくあるのも事実だ。
ブクマ・コメントを書いてる最中にふと、あたかもそれが自分のプライベートなスペースであるかのような錯覚に陥るのである。
すると、どうなるか?
こうなるのである。
ソーシャルブックマークは「自分の領域」=マイスペースじゃなく、実は情報共有サービスであること、つまりネット上に公開されているオープンな場であることを忘れがちになる。するとオレ流がより強まるって話だ。
そしてソーシャルブックマークの場合、かなりネット慣れしているユーザでも上記の点をうっかり忘れる。これはおもしろい現象である。
■「自分の領域」気分になるのはインターネットの個室化が原因だ
で、この論点を少し拡大して考えてみよう。
ソーシャルブックマークに限らず、ネット上に文章を公開した時点で「万人がそれを読む可能性がある」ってことなのに、「それに気づいてない」、または「それがイヤだ」(特定の人にしか読んでほしくない=みんなに読まれたくない/リンクされたくない)という人がけっこういる、ってのもおもしろい。
まあ正確には、たぶん昔はそういうネットユーザはいなかったんだろうけど、そんな人が増えたね、って話だ。たとえば見知らぬ人の足あとを見て気味悪がるmixiユーザとかは、その典型だろう。
いや別に私はそれがダメだって言ってるんじゃない。インターネットの個室化が進んでるんだから、ごく自然な成り行きなのである。
■オープンな場だけど、個室気分でいたほうが世の中的にはおもしろい
まとめよう。
じゃあいったいソーシャルブックマークは自分の領域なのか? それとも公的空間なのか?
答えはこうだ。
ソーシャルブックマークは情報共有サービスである。ゆえに機能としてはオープンな場であるはずだ。だけど実は「自分の領域」だと考えてふるまったほうが、ネット界全体としては公共の利益にかなう。
どういうことか?
「ここは公的空間だ」と意識すると、人間の言動はよそ行きになる。周囲に配慮し、自分を出すことを控えたりする。よく言えばマナー意識が高い、悪く言えば没個性な状態だ。
ところが反対に「自分の領域」と認識してモノを書いたり発言すると、当然その人独自のパーソナリティが出る。「オレはこう思う」と自分ならではの思考を開陳するなど、発言の独自性や個性が強くなる。
で、こういうパーソナルな情報発信がふえればふえるほど、ネット界全体として見た場合にはメリットが大きい。世界全体が活性化するし、集合知としての有益性も高まる。
似たようなものがたくさんあるより、ひとつひとつがすごくニッチで光り輝いていたほうが世の中はおもしろい。
ひとつひとつが他者に影響されず、独立性を保っていたほうが、多様でエキサイティングな世の中になる。
【本日の結論】
ソーシャルブックマークは機能としてはオープンな場なんだけど、「自分の領域」としてふるまったほうが世の中的にはおもしろい。
【関連エントリ】
『インターネットをホントに「個室」だと思い込んだ人騒がせな実例』
『個室文化圏はネット上で成立するか?』
『みんなの意見(集合知)が正しい場合と、そうでない場合』
『SBMはブログのコメント欄を滅ぼす』
『SBMのブクマ・コメントはまさに集合知だった(前回エントリのまとめ)』
人によってはソーシャルブックマークのコメント欄をオープンな場と考えて、人の目に映ることを考慮したコメントをする人もいるけど(私はこっち)、素直に自分の思いをぶちまける人も多い。
●北の大地から送る物欲日記『ブログとSBMに見るコメント欄の違い』
(以下、次の引用も同エントリから)
筆者のhejihoguさんは、ソーシャルブックマークのコメント欄をオープンな場と考える人のようだ。私もそうである。ただ、そうなんだけど、「そうじゃないような感じ」に囚われる瞬間がよくあるのも事実だ。
ブクマ・コメントを書いてる最中にふと、あたかもそれが自分のプライベートなスペースであるかのような錯覚に陥るのである。
すると、どうなるか?
よくソーシャルブックマークのコメント欄は酷いという指摘があって、確かに見るに耐えないコメントがついてることが多いんだけど、あれはブックマーカーが思ってることをストレートに書いてるだけなんだと思う。影に隠れて野次を飛ばしてるってんじゃなくて、自分の領域にコメントを書いているから思ってることがストレートに出てるってだけ。
こうなるのである。
ソーシャルブックマークは「自分の領域」=マイスペースじゃなく、実は情報共有サービスであること、つまりネット上に公開されているオープンな場であることを忘れがちになる。するとオレ流がより強まるって話だ。
そしてソーシャルブックマークの場合、かなりネット慣れしているユーザでも上記の点をうっかり忘れる。これはおもしろい現象である。
■「自分の領域」気分になるのはインターネットの個室化が原因だ
で、この論点を少し拡大して考えてみよう。
ソーシャルブックマークに限らず、ネット上に文章を公開した時点で「万人がそれを読む可能性がある」ってことなのに、「それに気づいてない」、または「それがイヤだ」(特定の人にしか読んでほしくない=みんなに読まれたくない/リンクされたくない)という人がけっこういる、ってのもおもしろい。
まあ正確には、たぶん昔はそういうネットユーザはいなかったんだろうけど、そんな人が増えたね、って話だ。たとえば見知らぬ人の足あとを見て気味悪がるmixiユーザとかは、その典型だろう。
いや別に私はそれがダメだって言ってるんじゃない。インターネットの個室化が進んでるんだから、ごく自然な成り行きなのである。
■オープンな場だけど、個室気分でいたほうが世の中的にはおもしろい
まとめよう。
じゃあいったいソーシャルブックマークは自分の領域なのか? それとも公的空間なのか?
答えはこうだ。
ソーシャルブックマークは情報共有サービスである。ゆえに機能としてはオープンな場であるはずだ。だけど実は「自分の領域」だと考えてふるまったほうが、ネット界全体としては公共の利益にかなう。
どういうことか?
「ここは公的空間だ」と意識すると、人間の言動はよそ行きになる。周囲に配慮し、自分を出すことを控えたりする。よく言えばマナー意識が高い、悪く言えば没個性な状態だ。
ところが反対に「自分の領域」と認識してモノを書いたり発言すると、当然その人独自のパーソナリティが出る。「オレはこう思う」と自分ならではの思考を開陳するなど、発言の独自性や個性が強くなる。
で、こういうパーソナルな情報発信がふえればふえるほど、ネット界全体として見た場合にはメリットが大きい。世界全体が活性化するし、集合知としての有益性も高まる。
似たようなものがたくさんあるより、ひとつひとつがすごくニッチで光り輝いていたほうが世の中はおもしろい。
ひとつひとつが他者に影響されず、独立性を保っていたほうが、多様でエキサイティングな世の中になる。
【本日の結論】
ソーシャルブックマークは機能としてはオープンな場なんだけど、「自分の領域」としてふるまったほうが世の中的にはおもしろい。
【関連エントリ】
『インターネットをホントに「個室」だと思い込んだ人騒がせな実例』
『個室文化圏はネット上で成立するか?』
『みんなの意見(集合知)が正しい場合と、そうでない場合』
『SBMはブログのコメント欄を滅ぼす』
『SBMのブクマ・コメントはまさに集合知だった(前回エントリのまとめ)』