監督は積極的に戦術を語れ
初めにお断りしておくが、今回書くことは悪口ではない。客観的な分析だ。
なんでも森保監督がメディアに対し、「僕の発言を書くだけじゃなく、もっと積極的にサッカーについてあれこれ論評してほしい。それがその国のサッカーを発展させるのだから」みたいな異例のコメントをした、という記事を読んだ。
ああ、こりゃ私が常々感じていたことを言語化してくれたな、と思った。
というのも森保ジャパンについて書かれた記事って、起こった出来事をただ淡々と書いているだけのつまらないものが多いのだ。そこには斬新な発想だとか、斜めから見た個性的な視点のようなものがまったくない。まるでのっぺらぼうだ。で、ちょうどウンザリしていたところだった。
だが、ではなぜそうなるのか? と考えると……それって実は監督のコメント自体に戦術的な刺激がなく、つまらないからではないか? これが今回のお題である。
ハリルのおっさんは刺激的だった
例えばハリルジャパンの時代には、(私が個人的にハリルのサッカーを支持しているかどうかはまったく別にして)ものすごく刺激があった。このおっさんはいったい何を考えているのか? いっぺん頭の中をのぞいてみたい。そんな思いでいっぱいだった。
ハリルのサッカーはひとことでいえば、『ポゼッション率が勝敗を決めないサッカーで勝て』というものだ。
「え? ポゼッション率の高いチームが勝つのが普通じゃないの? それってコペルニクス的な発想の転換じゃないか?」
で、そんなハリルの(良くも悪くも)刺激的なコメントを見て、こっちも脳内が激しく活性化させられる。かくて『ポゼッション率が試合の優劣を決めないサッカーで勝つ』というひねった記事タイトルを思いつくや、ハリルをめぐるさまざまな発想が湯水のように頭の中に湧き出してくる。当時はそんな状態だった。
また「相手のよさを消す」というテーマも同じだ。
このおっさんは、なぜこんなに相手のストロングポイントを削ることばかり考えているのか? その理由が知りたいーー。
自分たちのよさを出すのか? それとも相手のよさを消すのか? いったいどっちがサッカーにとっての正解なんだろう?
てなぐあいで、ハリルのフィロソフィをなぞればなぞるほど、どんどん哲学的な思考に自分が引きずり込まれて行く。そんな知的刺激でいっぱいだった。
監督は「旗印」を鮮明にしてコンセプトを語れ
だが森保監督のコメントといったら、まったく当りさわりがない。「柔軟なサッカーを」とか何とか、ぜんぜん個性が感じられない。まるでマスコミに揚げ足を取られないよう警戒している政治家の無難なコメントみたいだ。
で、監督のそういうごく普通のコメントを目の当たりにし続けると、こっちの脳内まで斬新な発想やらアイディアやらが消えてなくなって行く。自然と書く記事にはパンチが失われてしまう。
つまりメディアの記事がつまらないのは、森保監督の「写し鏡」なのではないか? というお話なのだ。いやたぶん森保監督の脳内には、きっと戦術的なアイディアがぎっしり詰まっているのだろう。だが、だったらなぜ監督はそれを口にしないのか?
もしかして日本サッカー協会との軋轢の結果、失脚したハリルの失敗を見て何かを恐れているのか? 例えばサッカー協会会長を外からリモートコントロールしている「あのお方」のこととか? などと余計な余談が湧いてくる。
いやそれはともかく。
森保監督はメディアに刺激を求めるなら、もっとメディアの頭の中を活性化させるフックになるような言葉を吐いてほしい。例えば「現代フットボールでいちばん得点確率が高いのはゲーゲンプレッシングからのショートカウンターだ。だから我々はそれをめざす」とかなんとか。「ショートトランジションが命なんだよ」とか。
いや別に宗旨は何だっていい。逆に森保監督が広島時代にやっていたような、相手にボールを持たせてカウンターを狙うサッカーでもいい。とにかく監督は旗印を鮮明にし、自身の内なるコンセプトについて具体的に語るべきじゃないだろうか?
「敵にスカウティングされたら困る」みたいな深謀遠慮があるのかもしれないが、私はもっとエキサイティングな監督のコメントが読みたい。
森保監督へのささやかなるお願いだ。
初めにお断りしておくが、今回書くことは悪口ではない。客観的な分析だ。
なんでも森保監督がメディアに対し、「僕の発言を書くだけじゃなく、もっと積極的にサッカーについてあれこれ論評してほしい。それがその国のサッカーを発展させるのだから」みたいな異例のコメントをした、という記事を読んだ。
ああ、こりゃ私が常々感じていたことを言語化してくれたな、と思った。
というのも森保ジャパンについて書かれた記事って、起こった出来事をただ淡々と書いているだけのつまらないものが多いのだ。そこには斬新な発想だとか、斜めから見た個性的な視点のようなものがまったくない。まるでのっぺらぼうだ。で、ちょうどウンザリしていたところだった。
だが、ではなぜそうなるのか? と考えると……それって実は監督のコメント自体に戦術的な刺激がなく、つまらないからではないか? これが今回のお題である。
ハリルのおっさんは刺激的だった
例えばハリルジャパンの時代には、(私が個人的にハリルのサッカーを支持しているかどうかはまったく別にして)ものすごく刺激があった。このおっさんはいったい何を考えているのか? いっぺん頭の中をのぞいてみたい。そんな思いでいっぱいだった。
ハリルのサッカーはひとことでいえば、『ポゼッション率が勝敗を決めないサッカーで勝て』というものだ。
「え? ポゼッション率の高いチームが勝つのが普通じゃないの? それってコペルニクス的な発想の転換じゃないか?」
で、そんなハリルの(良くも悪くも)刺激的なコメントを見て、こっちも脳内が激しく活性化させられる。かくて『ポゼッション率が試合の優劣を決めないサッカーで勝つ』というひねった記事タイトルを思いつくや、ハリルをめぐるさまざまな発想が湯水のように頭の中に湧き出してくる。当時はそんな状態だった。
また「相手のよさを消す」というテーマも同じだ。
このおっさんは、なぜこんなに相手のストロングポイントを削ることばかり考えているのか? その理由が知りたいーー。
自分たちのよさを出すのか? それとも相手のよさを消すのか? いったいどっちがサッカーにとっての正解なんだろう?
てなぐあいで、ハリルのフィロソフィをなぞればなぞるほど、どんどん哲学的な思考に自分が引きずり込まれて行く。そんな知的刺激でいっぱいだった。
監督は「旗印」を鮮明にしてコンセプトを語れ
だが森保監督のコメントといったら、まったく当りさわりがない。「柔軟なサッカーを」とか何とか、ぜんぜん個性が感じられない。まるでマスコミに揚げ足を取られないよう警戒している政治家の無難なコメントみたいだ。
で、監督のそういうごく普通のコメントを目の当たりにし続けると、こっちの脳内まで斬新な発想やらアイディアやらが消えてなくなって行く。自然と書く記事にはパンチが失われてしまう。
つまりメディアの記事がつまらないのは、森保監督の「写し鏡」なのではないか? というお話なのだ。いやたぶん森保監督の脳内には、きっと戦術的なアイディアがぎっしり詰まっているのだろう。だが、だったらなぜ監督はそれを口にしないのか?
もしかして日本サッカー協会との軋轢の結果、失脚したハリルの失敗を見て何かを恐れているのか? 例えばサッカー協会会長を外からリモートコントロールしている「あのお方」のこととか? などと余計な余談が湧いてくる。
いやそれはともかく。
森保監督はメディアに刺激を求めるなら、もっとメディアの頭の中を活性化させるフックになるような言葉を吐いてほしい。例えば「現代フットボールでいちばん得点確率が高いのはゲーゲンプレッシングからのショートカウンターだ。だから我々はそれをめざす」とかなんとか。「ショートトランジションが命なんだよ」とか。
いや別に宗旨は何だっていい。逆に森保監督が広島時代にやっていたような、相手にボールを持たせてカウンターを狙うサッカーでもいい。とにかく監督は旗印を鮮明にし、自身の内なるコンセプトについて具体的に語るべきじゃないだろうか?
「敵にスカウティングされたら困る」みたいな深謀遠慮があるのかもしれないが、私はもっとエキサイティングな監督のコメントが読みたい。
森保監督へのささやかなるお願いだ。