属人性の是非はケースによってちがう
前回の記事で「属人的」という言葉を使った。で、今回のお題は、その属人的な要素によって左右されるサッカーって果たしていいのか? 悪いのか? がテーマである。まず、あいまいな言葉なので意味を説明しておこう。
属人的という言葉は、ビジネスの現場などでよく使われるキーワードだ。意味は以下のような感じである。
1. 業務が特定の人物のスキルに依存してしまうこと
2. ゆえに、その人物にしか(その業務の)やり方が分からなくなってしまうこと
3. 業務が標準化(マニュアル化)されていないため、担当者の経験や勘に頼らざるをえないこと
ビルドアップやネガティブ・トランジションの場合は?
一方、前回の記事でこの「属人的」なる言葉を、森保ジャパンに対して使ったのは以下の部分だ。引用しておく。
--------------引用開始-----------------
例えば厳しい目で見れば、ビルドアップやボールを失った場合のネガティブ・トランジション時に取るべき挙動など、チームとしての約束事が判然としないケースが散見される。状況に応じて対応を変えているのではなく、そのとき対応する選手が誰か? という属人的な要素によって「そのケースにどう対応するか?」が左右されてしまっている印象がある。
おそらく監督がプレー原則を選手に明示してないからだ。
------------引用はここまで--------------
私が書いた記事では、ビルドアップとボールを失った場合の対応の2つを例にあげ、それらに関しチームとしての約束事が判然としない点について「属人的だ」と書いた。どういう意味か? 具体的に説明しよう。
例えば2人のCBがボールを保持し、ビルドアップしようとしている。ここに敵の2人のFWがプレッシャーをかけてきた。局面は2対2だ。数的優位がない。そこでセントラルMFのA選手が両CBの間に下り、3バックを形成してビルドアップした。だが別のときには、同じ状況でセントラルMFのB選手は最終ラインに下りずスルーした。で、2CBは敵の2人のFWにプレスをかけられボールを失ったーー。
この例では「ビルドアップ時には数的優位を確保する」というプレー原則を監督が示さず、それがチームの約束事として標準化されていないため、セントラルMFのA選手とB選手ではやり方が違ってしまった。つまりA選手の経験や知識に頼らざるをえなかった。これでは非効率であり、「属人的だよね」というお話だ。
共通理解がないと守備はできない
一方、ボールを失った場合の対応についても具体例をあげよう。
例えば自チームがボールを保持し、敵陣に攻め込んだところでボールをロストした。このときA選手は「いまゲーゲンプレッシングをかけてボールを奪回すれば、敵ゴールに近い位置でショートカウンターをかけられる」と考えた。で、前に突っ込みプレスをかけた。
ところがB選手は逆だった。「ボールを失ったのでブロック守備に移行しよう」と考え、前に突っ込んだA選手とは逆にミドルサードまでリトリートしてブロックを作ろうとしたーー。
まあこんな極端な例は珍しいとは思うが、この例では「アタッキングサードでボールを失ったとき、どう対応するか?」というチームの約束事が共有されてない(標準化されてない)のでA選手とB選手はちがう対応をしてしまった。で、「こんな属人的な対応ではダメだよね」ということだ。
攻撃は属人的なほうがいい?
だが話はまだ終わらない。ケースによっては属人的なプレイがOKになるのだ。
例えばA選手がボールを保持しているとき、敵の守備者が寄せてきた。で、A選手はドリブルでマーカーを1人かわしてシュートした。一方、まったく同じ状況のとき。B選手は自分をサポートしにきた選手Cを壁に使ってワンツーをし、それによりマーカーを振り切ってシュートしたーー。
このケースではドリブルを使ったA選手とワンツーを使ったB選手ではやり方がちがうので属人的だといえるが、この場合はOKである。というよりむしろ、そこでA選手とB選手が同じ手法を使ったのでは、敵に読まれてマーカーをかわせない可能性さえある。つまり属人性、バンザイだ。
こんなふうにサッカーでは、属人的であることがダメなときとOKなときがある。つまりケースバイケースなのだ。ざっくりいえば、おそらく守備に関しては属人的ではダメで、約束事を標準化し選手間で共有して組織的に動けるようにしておく必要があるケースが多いだろう。
一方、攻撃に関してはむしろ「属人的であること」が武器になるケースが多い。特に1対1ではそうだ。「選手Aにしかできないフェイント」なんてふつうにあるし、むしろ選手Aにとってはそれが切り札になる。ほかにも瞬間的なひらめき、イマジネーションは攻撃時に非常に有効だ。
とはいえ攻撃に関しても、組織プレーになればなるほど選手間で共通理解がなければできない場合が出てくるので、やはりケースバイケースといわざるをえない。
【結論】「何に関して属人的か?」を明示しないと議論にならない
こんなふうに「属人的であることは是か、非か?」を論じるときには、「それはどんな局面における何の話なのか?」を明示しないと議論が噛み合わない。
「個か? 組織か?」とか、「リアクションサッカーか? アクションサッカーか?」みたいな不毛な二元論で終わるお題と同じになってしまう。
サッカーの世界ではこういうことって多いので、気をつけておきたいものだ。
前回の記事で「属人的」という言葉を使った。で、今回のお題は、その属人的な要素によって左右されるサッカーって果たしていいのか? 悪いのか? がテーマである。まず、あいまいな言葉なので意味を説明しておこう。
属人的という言葉は、ビジネスの現場などでよく使われるキーワードだ。意味は以下のような感じである。
1. 業務が特定の人物のスキルに依存してしまうこと
2. ゆえに、その人物にしか(その業務の)やり方が分からなくなってしまうこと
3. 業務が標準化(マニュアル化)されていないため、担当者の経験や勘に頼らざるをえないこと
ビルドアップやネガティブ・トランジションの場合は?
一方、前回の記事でこの「属人的」なる言葉を、森保ジャパンに対して使ったのは以下の部分だ。引用しておく。
--------------引用開始-----------------
例えば厳しい目で見れば、ビルドアップやボールを失った場合のネガティブ・トランジション時に取るべき挙動など、チームとしての約束事が判然としないケースが散見される。状況に応じて対応を変えているのではなく、そのとき対応する選手が誰か? という属人的な要素によって「そのケースにどう対応するか?」が左右されてしまっている印象がある。
おそらく監督がプレー原則を選手に明示してないからだ。
------------引用はここまで--------------
私が書いた記事では、ビルドアップとボールを失った場合の対応の2つを例にあげ、それらに関しチームとしての約束事が判然としない点について「属人的だ」と書いた。どういう意味か? 具体的に説明しよう。
例えば2人のCBがボールを保持し、ビルドアップしようとしている。ここに敵の2人のFWがプレッシャーをかけてきた。局面は2対2だ。数的優位がない。そこでセントラルMFのA選手が両CBの間に下り、3バックを形成してビルドアップした。だが別のときには、同じ状況でセントラルMFのB選手は最終ラインに下りずスルーした。で、2CBは敵の2人のFWにプレスをかけられボールを失ったーー。
この例では「ビルドアップ時には数的優位を確保する」というプレー原則を監督が示さず、それがチームの約束事として標準化されていないため、セントラルMFのA選手とB選手ではやり方が違ってしまった。つまりA選手の経験や知識に頼らざるをえなかった。これでは非効率であり、「属人的だよね」というお話だ。
共通理解がないと守備はできない
一方、ボールを失った場合の対応についても具体例をあげよう。
例えば自チームがボールを保持し、敵陣に攻め込んだところでボールをロストした。このときA選手は「いまゲーゲンプレッシングをかけてボールを奪回すれば、敵ゴールに近い位置でショートカウンターをかけられる」と考えた。で、前に突っ込みプレスをかけた。
ところがB選手は逆だった。「ボールを失ったのでブロック守備に移行しよう」と考え、前に突っ込んだA選手とは逆にミドルサードまでリトリートしてブロックを作ろうとしたーー。
まあこんな極端な例は珍しいとは思うが、この例では「アタッキングサードでボールを失ったとき、どう対応するか?」というチームの約束事が共有されてない(標準化されてない)のでA選手とB選手はちがう対応をしてしまった。で、「こんな属人的な対応ではダメだよね」ということだ。
攻撃は属人的なほうがいい?
だが話はまだ終わらない。ケースによっては属人的なプレイがOKになるのだ。
例えばA選手がボールを保持しているとき、敵の守備者が寄せてきた。で、A選手はドリブルでマーカーを1人かわしてシュートした。一方、まったく同じ状況のとき。B選手は自分をサポートしにきた選手Cを壁に使ってワンツーをし、それによりマーカーを振り切ってシュートしたーー。
このケースではドリブルを使ったA選手とワンツーを使ったB選手ではやり方がちがうので属人的だといえるが、この場合はOKである。というよりむしろ、そこでA選手とB選手が同じ手法を使ったのでは、敵に読まれてマーカーをかわせない可能性さえある。つまり属人性、バンザイだ。
こんなふうにサッカーでは、属人的であることがダメなときとOKなときがある。つまりケースバイケースなのだ。ざっくりいえば、おそらく守備に関しては属人的ではダメで、約束事を標準化し選手間で共有して組織的に動けるようにしておく必要があるケースが多いだろう。
一方、攻撃に関してはむしろ「属人的であること」が武器になるケースが多い。特に1対1ではそうだ。「選手Aにしかできないフェイント」なんてふつうにあるし、むしろ選手Aにとってはそれが切り札になる。ほかにも瞬間的なひらめき、イマジネーションは攻撃時に非常に有効だ。
とはいえ攻撃に関しても、組織プレーになればなるほど選手間で共通理解がなければできない場合が出てくるので、やはりケースバイケースといわざるをえない。
【結論】「何に関して属人的か?」を明示しないと議論にならない
こんなふうに「属人的であることは是か、非か?」を論じるときには、「それはどんな局面における何の話なのか?」を明示しないと議論が噛み合わない。
「個か? 組織か?」とか、「リアクションサッカーか? アクションサッカーか?」みたいな不毛な二元論で終わるお題と同じになってしまう。
サッカーの世界ではこういうことって多いので、気をつけておきたいものだ。