サッカーに「絶対」はない
もし試合中に一度のミスもなくボールをキープし続けられるチームがいるとすれば、ポゼッション全能主義者たちの言が強まる。
「90分間、ボールをポゼッションできれば失点しない。つまり負けることはない」と。
だがサッカーにミスはつきものだ。で、にわかにカウンター原理主義者たちが勢いづく。
「奴らは自ら守備のバランスを崩して攻めてくる。そこでボールを奪えばカウンター攻撃のチャンスだ。態勢が崩れた相手の守備のスキを突き、少ない手数で得点できる。だから奴らにわざとボールを持たせるのだ」
守備に重心を置き、相手にボールを持たせてプレッシングすれば必ずチャンスはくるという。だが一度のミスもなく90分間、守備をし続けられるチームはいない。ほころびは必ずやってくる。とすれば、相手にボールを持たせることは逆に自殺行為ではないか?
ここで再びポゼッション全能主義者たちが盛り返し、そして議論はひと回りして無限ループする。
それがサッカーである。
もし試合中に一度のミスもなくボールをキープし続けられるチームがいるとすれば、ポゼッション全能主義者たちの言が強まる。
「90分間、ボールをポゼッションできれば失点しない。つまり負けることはない」と。
だがサッカーにミスはつきものだ。で、にわかにカウンター原理主義者たちが勢いづく。
「奴らは自ら守備のバランスを崩して攻めてくる。そこでボールを奪えばカウンター攻撃のチャンスだ。態勢が崩れた相手の守備のスキを突き、少ない手数で得点できる。だから奴らにわざとボールを持たせるのだ」
守備に重心を置き、相手にボールを持たせてプレッシングすれば必ずチャンスはくるという。だが一度のミスもなく90分間、守備をし続けられるチームはいない。ほころびは必ずやってくる。とすれば、相手にボールを持たせることは逆に自殺行為ではないか?
ここで再びポゼッション全能主義者たちが盛り返し、そして議論はひと回りして無限ループする。
それがサッカーである。