芭蕉を変えた師匠達 ①荘子
令和3年2月25日(木)
閃々(ひらひら)と
挙(あぐ)るあふぎや
くものみね
本間主(しゆ)馬(め)という役者の舞台を
観に行った途中に、高い雲の峰を見た
という意。
さて、彼の家に入って、
演能を観ていると、扇が上になって、
舞が行われると扇の先に白い峰が
見えたような見事な演じ方であった。
太夫の芸を絶賛している句。
元禄七年の句で、 『笈日記』に、
「本間氏主馬が亭にまねかれしに
太夫が家名を称して吟草二句」
と前書きして、この句と併記する。
本間氏主馬とは、大津の能太夫。
俳号は丹野。
太夫が手に扇を高くかざして舞う。
ひらひらと高く翻るその扇は、
舞台の軒端に聳える雲の峰に達する
ほど、高く高く上ってゆくように見える。
太夫の芸を称えて、同時の扇の如く、
雲の上まで家名を挙げよと祝った。
そして、二句め。
いなづまや
かほのところが
薄の穂
つづく。