芭蕉を変えた師匠達 ①荘子
令和3年2月26日(金)
いなづまや
かほのところが
薄の穂
ところで、本間主馬の家の舞台には、
骸骨達が笛を吹き、鼓を打って、
能を演じている絵がかかっている。
この絵の表現しているところは、
人生と云っても結局は、
この骸骨の遊びのようなもの。
その時、一瞬稲妻が走ったところ、
骸骨の眼から薄の穂が生えている
ように見えた。
美女として青春を送った小野小町も
死後は屍を野に晒し、その骸骨から
薄の穂が生えて出たという、
人間の生前の営みが全て、
そのように儚いものだと、
芭蕉は言いたくて、この句を作った
のであろう。
これも荘子の考えが影響している
よう。