令和4年1月23日(日)
等栽という人を訪ねる。
「いづれの年にか、江戸に来たりて、
予を訪ぬ。
はるか十(と)年(とせ)あまりなり。
いかに老いさらぼひてあるにや。
はた死にけるにや、
と人に尋ねはべれば、
いまだ存命して、「そこそこ」と教ゆ
(そこそこというのが面白い。)
市中ひそかに引き入りて、
あやしの(ふうがわりな)小家に
夕顔・へちまの延へかかりて、
鶏頭・帚木に戸ぼそを隠す。
さてはこのうちにこそ、
さてはこのうちにこそ、
と門をたたけば、
侘しげなる(こころぼそげな)女の出でて、
「いづくよりわたりたまふ道心の御坊
「いづくよりわたりたまふ道心の御坊
(修行中の坊さん)にや。
あるじはこのあたり何某といふ者の
かたに行きぬ。
もし用あらば訪ねたまへ。」
と言ふ。
かれが妻なるべしと知らる。
昔物語にこそ、かかる風情ははべれと、
やがて訪ね会ひて、
その家に二夜泊りて、
名月は敦賀の港に、
と旅立つ。
等栽も共に送らんと、
裾をかしからげて、道の枝折りと
浮かれ立つ。」
名文である。
名文である。
そのままで現代の文章として読める。
一風変わった等栽という人物が
彷彿と描き出されている。