令和5年4月5日(水)
小松市: 本折(もとおり)日吉神社
旧の北国街道筋にあたる
旧の北国街道筋にあたる
小松の本折町は、
江戸時代の文化5年(1808)に、
本折日吉神社の向かい側に
本光寺が移転してから発展した
門前町。
それから明治維新までの50年間は、
「出町」と呼ばれて賑わい、
明治初年に本折町と改められる。
町の中心にある、
破風付の朱色の鳥居が印象的な
山王宮・本折日吉神社は、
昔から「山王さん」「日吉さん」
と呼ばれ、親しまれている。
<社殿>
全国に約二千ある日吉神社
・日枝神社・山王神社の総本宮は、
滋賀県大津市の日吉大社。
大社は、
猿を神の使いとして崇拝、
平安京の鬼門に位置することから、
鬼門除け・災難除けの社として
崇敬されている。
<猿は神の使い>
日吉神社では
昔から神様のお遣いの猿を、
「真猿=まさる」
と呼んで尊ぶ。
「魔去る」
「勝る・優る・賢る」
「増さる」に通じ、
縁起の良いものとして大切にされる。
また、
猿は夫婦仲がよく
親子の愛情も深い動物。
犬と同様沢山の子供に恵まれる
ことから、家内安全・夫婦円満・
子授け・安産・子育ての守護神
となっている。
<安産守護の母子猿>
元禄2年(1689)の7月24日、
「奥の細道」の道中の松尾芭蕉は、
小松に入ると「近江屋」という旅宿に
泊まる。
翌25日に出立しようとしたところ
小松の人々に引き留められ、
本折日吉神社の神官で
俳人の藤村伊豆守章重、
俳号・鼓蟾(こせん)の館に一泊。
同夜、芭蕉はじめ曾良、
北枝、歓(かん)生(せい)、
塵(じん)生(せい)ら十人が、
有名な山王句会を催す。
<芭蕉句碑など>
その時の芭蕉の発句が、
「しほらしき
「しほらしき
名や小松ふく
萩すゝき」 。
~つづく。
~つづく。