令和5年4月29日(土)
あわら市: 総持寺:雨世塚
<総持寺本殿>
<雨世塚入り口>
雨夜塚は、
寛延2年(1749)9月に、
旧金津の姫川吟社二世有隣庵我六が
芭蕉翁の遺徳を慕って、
美濃派四世(岐阜県)の田中五竹坊が
越前行脚の折、
金津に立ち寄った時に建てられる。
<雨世塚説明>
芭蕉が「奥の細道」
俳句行脚の途すがら、
吉崎から汐越の松をたずねて
金津に着いたのは、
元禄2年(1689)旧暦8月初旬。
にわか雨に逢って、
にわか雨に逢って、
総持寺の門前で雨宿り。
同志が集って旅情を慰めたが、
句会を開く間もなく
晴れ間を待って松岡へと向う。
雨夜塚の名も尊い。
雨夜塚の名も尊い。
<芭蕉翁の石塔>
芭蕉翁の石塔の側面には、
「野分して
盥に雨を
聞く夜かな」
とは、
とは、
故翁の遺吟なるが、
坂(野)我六のぬし風雅の冥慮を
仰がんと此碑下に埋めとどめて
雨夜塚と尊むなるべし」
との碑文と、
<芭蕉翁石塔右側面>
五竹坊の、
「その道も
「その道も
潤ふ秋や
雨夜塚」 。
及び我六の、
「恵みは
及び我六の、
「恵みは
広き野に
草の花」
という句が刻まれている。
~つづく。
という句が刻まれている。
~つづく。