令和5年4月11日(火)
実盛は出陣前から
ここを最期の地と覚悟を決めており、
老いを侮られないようにと
白髪を黒く染めて出陣する。
時に実盛73歳の高齢だったという。
後に、
後に、
義仲が戦勝祈願のお礼と
実盛の供養のために、
多太神社に兜を奉納したのである。
この兜にまつわる実盛と義仲の話は、
『平家物語』巻第七に「実盛」として
語られている。
それからずっと後
それからずっと後
元禄2年(1689)、
松尾芭蕉が「奥の細道」の途次、
この地を訪れる。
<芭蕉句碑>
兜を見た芭蕉は実盛を偲び、
「むざんやな
甲の下の
きりぎりす」
と一首詠む。
と一首詠む。
それが、上の句碑である。
その句碑のそばに
「松尾神社」という神社があるが、
これは松尾芭蕉とは関係ないので
「俳句がうまくなりますように…」等と
お参りしてもご利益は期待できない
という。
松尾さんはお酒の神様!
第二次大戦中に金物などが
第二次大戦中に金物などが
没収されていった中、
当時の宮司が兜だけはと
土の中に埋めて守ったという。
現在の兜は修復後のものなので、
現在の兜は修復後のものなので、
正確には芭蕉が見た兜ではない。
芭蕉が見たのは修復前の兜で、
その絵が神社の宝物館に
納められている。
宝物館には、
兜や多数の宝物も納められており、
事前連絡すれば見る事ができる。
<木佳の句碑>
<木佳の句碑>