令和5年4月17日(月)
加賀市: 山中温泉:①芭蕉の館
道の駅「山中温泉湯けむり健康村」を
道の駅「山中温泉湯けむり健康村」を
7時40分発。
前回と同じ芭蕉の館の近くの駐車場へ。
芭蕉の館は、
芭蕉が山中温泉を訪れ逗留した
泉屋に隣接していた
「扇屋」の別荘を、
平成16年に再整備したもの。
明治38年の建築で、
明治38年の建築で、
広い庭園や庭園を望む雁行型の濡れ縁など、
和風情緒豊かな憩いの空間として
親しまれている。
今回、
今回、
ここでは、芭蕉と曾良の別れを偲ぶ。
元禄2年、
芭蕉は曾良を伴い、山中温泉に浴す。
「其功有馬に次と云ふ。
「山中や
菊は手折らぬ
湯の匂」 。
あるじとする物は、
あるじとする物は、
久米之助とて、いまだ小童也。
かれが父俳諧を好み、
洛の貞室若輩の昔爰に来りし比(ころ)、
風雅に辱しめられて、
洛に帰て
貞徳の門人となって世に知らる。
功名の後、
此一(いつ)村(そん)判(はん)詞(じ)の料を
請ずと云ふ。
今更むかし語とはなりぬ。
曾良は腹を病みて、
伊勢の国長島といふ所に
ゆかりあれば先立ちて・・・。」
と記すように、
と記すように、
4ヶ月にわたる二人旅は、
この山中温泉で終わりを告げることとなる。
「行きゆきて
倒れ伏すとも
萩の原」
という曾良の書き置き。
「行く者の悲しみ
残る者のうらみ、隻梟(せきふ)の別れて
雲に迷ふがごとし。
予も又、
「今日よりや
「今日よりや
書付消さん
笠の露」 」
と芭蕉。
苦楽を共にした二羽の鳥が
苦楽を共にした二羽の鳥が
今日から一羽一羽になって、
雲間に迷うように
笠に書いた「同行二人」の文字を、
落ちる涙で消すことにしようと、
芭蕉の寂しい気持ちが伝わってくる。
八泊九日の逗留は、
八泊九日の逗留は、
芭蕉の久米乃助という小童への
男色狂いという説もあるが・・・。
生真面目な曾良の気性と
生真面目な曾良の気性と
病気と旅の終着の間際など鑑みても
疑問の余地はある・・・?
山中温泉の観光案内と見所も
新に作成されている。