令和5年4月14日(金)
南北朝時代に、
戦乱に巻き込まれ荒廃する。
近世に入って
近世に入って
加賀藩藩主前田利常が再建。
この時の大工は、
気多大社拝殿を建てたのと同じ
山上善右衛門である。
前田利常は、
前田利常は、
江沼郡の大半を支藩の大聖寺藩に
分置したが、
この那谷寺がある那谷村付近は
自身の隠居領としたため、
その死後も加賀藩領となる。
(後に領地交換で大聖寺藩領に)
芭蕉は、
芭蕉は、
分かりやすく、的確に奥の細道に著し、
大津の石山寺の奇岩を引き合いに出し、
句を編む。
<芭蕉翁塚>
私は石山寺の山門近くに
下宿したことがあるので、
本当に縁深き先人という感触が増幅。
翁塚として、
翁塚として、
奥の細道の記載と句碑を整え、
尊崇していることは
「自然」の理に適っている。
<芭蕉句碑>
石山の
石より白し
秋の風
前回は、
景勝の奇岩にまで這うようにしていき、
参拝し、紅葉を堪能する。
しかし、
しかし、
今回はわが身の安全を優先し、
胎内くぐりに留める。