令和5年11月16日(木)
鈴鹿市: 緑 芳 寺
<山門>

浄土真宗大谷派。
ロシアからの生還を果たした
大黒屋光太夫の菩提寺である。
<本堂>

光太夫のお墓はここにはなく、
江戸本郷元町の興安寺にある。
大黒屋光(こう)太(だ)夫(ゆう)
大黒屋光(こう)太(だ)夫(ゆう)
とは?
宝暦元年(1751)~ 文政11年
(1828)、
江戸時代後期の伊勢国奄芸郡白子
(現三重県鈴鹿市)の港を拠点
とした回船(運輸船)の船頭である。
天明2年(1782)
嵐のため江戸へ向かう回船が
漂流し、
アリューシャン列島
(当時はロシア領アラスカの一部)
のアムチトカ島に漂着。
ロシア帝国の帝都
サンクトペテルブルクで
女帝エカチェリーナ2世に謁見
して帰国を願い出、
漂流から約9年半後の寛政4年
(1792)に根室港入りして帰国する。
老中・松平定信は
光太夫を利用してロシアとの交渉を
目論んだが失脚する。
<鐘楼>

その後は江戸で屋敷を与えられ、
数少ない異国見聞者として
桂川甫周や大槻玄沢ら蘭学者と交流し、
蘭学発展に寄与。
甫周による聞き取り『北槎聞略』
甫周による聞き取り『北槎聞略』
が資料として残され、
波乱に満ちたその人生史は
小説や映画などでたびたび採り
上げられている。
<芭蕉句碑>


芭蕉句碑の句は、
「鷹ゆくかたやしろ
子若松」 。
芭蕉句集をいろいろ探してみるが、
芭蕉句集をいろいろ探してみるが、
この句にふれたものが見つからず。
鈴鹿の西方寺にも
鈴鹿の西方寺にも
同じ句の碑があるという。