令和5年11月8日(水)
「粟稗に
とぼしくもあらず
艸の庵」 。
と刻まれた芭蕉句碑が
と刻まれた芭蕉句碑が
左から2番目にある。
解脱寺が再建される以前の薬師堂を
貞享5年(1688)7月20日、
芭蕉が訪れ、
薬師堂の主人、長虹(ちようこう)を
名古屋の俳人荷兮と尋ね、
歌仙を巻く。
<芭蕉句碑>
粟稗の豊かな実りが眺められる
この草庵は貧しい風情ではない、
静かないい住まいである
という意の句である。
<芭蕉がこの句を詠んだ句会の説明?>
<岡本柳南の句碑>
解脱寺に代々、
封鎖されている本尊がある。
五(ご)劫(こう)思惟
(阿弥陀仏が誓願を成就するために
五劫の長い間、思いを懲らしたこと)
の弥陀像である。
本尊が封鎖されている扉を開くと、
たちまちに盲目になると
言い伝えられ、
長く秘仏になっていた。
白林寺から解脱寺へ移ってきた
白林寺から解脱寺へ移ってきた
何代目かの住職が、この話を聞いて
「仏像は人に拝ませて、
始めて利益があるものである。
扉を閉じて、人に見せない像は
あってはならない。
これを開いて盲目となる
道理はない」
と言って、扉を開いた。
目もくらやむ程の弥陀像であったが、
扉を開いて盲目になることは
なかったという。
住職の奥様が
住職の奥様が
お客様相手にお話しされておられる。
たくさんの座布団や衣料が
日干し陰干しされている。
参拝をし、芭蕉句碑をそっと撮影。
失礼する。