令和6年4月19日(金)
不破郡関ヶ原町: 不破の関守址 ①
不(ふ)破(わ)関(のせき)は、
不(ふ)破(わ)関(のせき)は、
古代東山道の関所の一つ。
<不破の関守址>
672年に
発生した壬申の乱の際、
大海人皇子(後の天武天皇)の命
により美濃国の多品治によって
「不破の道」が閉鎖される。
この近辺が激戦地となっている。
<不破の関守だった一族の合祀碑>
翌年、
天武天皇は、都(飛鳥浄御原宮)
を守る為に、
不破関、鈴鹿関、愛発関
の3つの関所を設置。
東海道の鈴鹿関、
東海道の鈴鹿関、
北陸道の愛発関(後には逢坂関)
とともに三関と呼ばれ、
壬申の乱後およそ百年の間、
治安維持のため
畿内と東国との間の通行を
厳重に監視。
三関から東は東国または関東
と呼ばれるようになる。
芭蕉は、
芭蕉は、
関ヶ原を4度訪れている。
一度訪問訪問。
<芭蕉像>
① 野ざらし紀行で、
近江から関ヶ原へ。
「秋風や
「秋風や
藪も畑も
不破関」
~つづく。
~つづく。