令和4年9月19日(月)
芭蕉と曽良は、
元禄2年(1689) 5月3日に
田村神社の甲冑堂を拝観。
虎の石
『奥の細道』の、
「二人の嫁がしるし、先哀也。
女なれどもかひがひしき名の世に
聞こえつる物かなと
袂をぬらしぬ。」
という二文が、碑に刻印されている。
また、桃隣の句碑が残っている。
また、桃隣の句碑が残っている。
桃隣とは芭蕉の弟子で、
本名は、天野勘兵衛。
芭蕉の(支考代筆)口述遺書中、
「桃隣へ申し候。再会かなはず。
芭蕉の(支考代筆)口述遺書中、
「桃隣へ申し候。再会かなはず。
力落さるべく候。
いよいよ杉風・子冊・八草子
よろず御投げかけ、
ともかくも一日暮しと存ずべく候」
と書かれた人物である。
碑には元禄9年(1696年)に詠んだ句。
「戦めく
碑には元禄9年(1696年)に詠んだ句。
「戦めく
二人の嫁や
花あやめ」 。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます