令和7年1月7日(火)
黒川郡: 吉岡八幡神社
吉岡八幡神社の創建は不詳。
吉岡八幡神社の創建は不詳。
信夫地方(福島県福島市)を
治めていた飯坂氏の氏神
であったといわれている。
伊達政宗の三男宗清が
鶴巣下(しも)草(くさ)に配されると、
宗清の庇護のもと、
元和4年に
黒川郡の総鎮守として
現在地に移される。
<由緒>
境内に入って
真っ先に目を引くのは、
やはり 明和元年(1764)に
造営された朱塗りの随神門。
<随神門>
現在の社殿は
昭和63年の火災消失後、
平成元年9月14日に再建される。
<社殿>
当地の宗匠によって
建てられた芭蕉碑は、
高さ1.7mほど、
横からは達磨風に、
正面からは徳利風に見える
ちょっと意味ありげな
自然石である。
<芭蕉句碑>
碑面には、
「藤の実は
俳諧にせん
花のあと」
という句が刻まれ、
寛政11(1799)年
3月建碑と記されている。
木造校舎の向こうには、
3月建碑と記されている。
木造校舎の向こうには、
新しく造られた小学校があり、
職員や保護者の駐車場と
なっている。
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