貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

緑松千丈と松の風

2018-09-06 10:09:17 | 日記

緑松千丈と松の風

平成30年9月6日(木)

 やっと種まきをする。

 白菜と玉葱と大根。

 芽が出る時間は楽しみの時間。

 さて、私の好きな言葉は

私の造語「緑松千丈」。

 「春夏秋冬、いろいろな厳しい

気象条件にのめげず、いつも緑の

葉を茂らせ、毅然と節操を守って

きた「松」の印象と、この先未来

千丈のように開けていく世界が、

松の緑のように平安であるように!」

と、祈りと願いを込めて、13年前の

退職時に成文化した。

 「この生を楽しむために、『いどみ』、

『つたえ』、『つくって』きた。」

と、当時の生の歓びも記されている。

 思い起こして、今も続けられている

ことに感謝する朝だ。

出羽国分寺薬師堂縁起も一瞥。

 

 

 道の右手に「芭蕉塚」があった。

先ず芭蕉碑に着目。

誰の揮毫なのだろう?

 その右に芭蕉句碑。


「松風の 落葉か水の音 涼し」

 

 これは、松風の真蹟の由来碑だそう。

 ちょっと読み取るのがむずかしい!


涼し、松の風!

2018-09-05 08:48:44 | 日記

涼し、松の風!

平成30年9月5日(水)

 あっという間に去って行った、

今夏最大の台風21号。

 関空などそちこちで大きな被害を

もたらした。

 家でも今まで大丈夫だった

緑のカーテンがあと少しで倒れそうに

直立。ゴーヤと四角豆でできた緑の

カーテン。少しゴーヤを切っておいた

のが幸いしたか?

 強烈な風が吹いたようだ。

そのお蔭か、今朝の川の空気は

清澄そのもの!!

 

 今朝は、山形市へ。

山形市: 出羽国分寺薬師堂    

2017(平成29)年 7月17日 12:08~

 出羽国分寺は天平の頃、聖武天皇の命

を受けた行基によって開山され、

鎮守府将軍大野東人が伽藍を造営し、

さらに慈覚大師が再興して天台宗と

なったという。

 その後、源頼義や藤原秀衡、鎌倉時代

と寒河江近辺を領した大江広元、戦国

時代は山形城主)が出羽国按察使として

山形に入部するとやはり堂塔を修復し

最上義光など幾多の人たちの再興

などにより現在に至っている。

 毎年五月八日には薬師まつりが開かれ、

名物の植木市が出店し、賑わいを見せる。

 山形の植木市は「全国三大植木市」に

数えられる盛大なもので、四百年以上の

古い歴史を持つ。

 山形城主最上義光が大火で焼失した

山形城下の緑を取り戻すために農民に

呼びかけたのが始まりとされる。 

 現在は、「千歳公園」として公園の

中央に薬師堂がある。

 明治44年(1911)5月8日、市北大火に

よって薬師堂は焼失したので、

現在の本堂は、旧宝幢寺(現もみじ公園)

の本堂を移建したものだそう。

 道の右手に「芭蕉碑」があった。

 芭蕉は、この地に来て、赤松などの

間を吹き抜ける風を、涼しと体感!

 とにかく、国分寺の敷地はどこも広大

だ。

つづく。


セブンティーンシンフォニー

2018-09-04 08:25:53 | 日記

セブンティーンシンフォニー

平成30年9月4日(火)

 台風21号が四国から和歌山付近に

上陸しそう。今夏は台風サマー?

 山寺から、近くの山寺芭蕉記念館へ。

2017(平成29)年 7月17日 11:20~

 芭蕉が「奥の細道」の旅で山寺を

訪れてから三百年目、同時に山形市が

できてから百周年。

 その節目の、平成元年に建てられた

のが「山寺芭蕉記念館」。

 記念館では、芭蕉に関する文書や

映像などを観賞。

 芭蕉の真筆のものもあり。

 入口に三種類の芭蕉の句、

「閑かさや 
   岩にしみ入る 蟬の聲」

が飾られていた。

 

 句の味がちょっと薄れていく感じが

しないでもなかった。

 着物姿のボランティアの説明の婦人

が待機されていたが、ちょっとタイミ

ングを外し、説明を聞くことができな

かった。 

 外には、句碑が林立し、樹木と一緒に

並列していた。

 17文字のシンフォニー?

 可愛い句碑のシンフォニー!

 それらをのんびりゆったり味わい、

記念館を後にした。

 


抜若門より初出 仰天の神楽岩!

2018-09-03 08:56:53 | 日記

抜若門より初出 仰天の神楽岩!

平成30年9月3日(月)

 立石寺下山後、再度根本中堂参拝!

御朱印を戴く。

そして、布袋尊のお腹を祈念さすり。

こけし塚もある。

あと何回来れるかな?

初めての門で、無事参拝の御礼拝!

何と、この門「抜若門」。

左右の彫り物に魅了される。

左側が、「祈長命」

右側が「祈出世」。

左側の通路から出るしか・・・。

羅漢像かな?

 後方の方は?

 「えっ、こんな所に巨岩が?」

仰天。仰天!

降りていく人につづく。

駐車場も近し。

紅白のタチアオイにほっとし、巨岩にも

「ありがとう!」

参拝!

 半日の修行も満喫!!!!

 

 


おびんずる様

2018-09-02 08:46:46 | 日記

おびんずる様

平成30年9月2日(日)

 今朝は雨中歩行禅。

 小作の堰の中央付近に、烏が

四羽。親烏が手前20メートルの

堰の欄干で見張り。父親か?

そして、通路で二羽の子烏が何か

餌を啄んでいる。

 そのちょっと先の欄干に、母烏(?)

が見張り役?

 初の光景にちょっとびびるが、

数日前に、小作の堰付近で、以前どなたか

命を亡くされたのか、その供養に花束と

飲み物と菓子袋が二袋置いてあったのを

思い出す。

 子ガラスが、袋を破り朝食代わりに・・

ということを察知する。

 烏の家族の連携もさすがだが、

供養する人も供養だけの気持ちで、

生き物の生態も考慮して・・・・と

思う。

 半年に一度、必ず花や食べ物、飲み物

をただ供えておられる。

 花も缶も、放置すれば唯の塵と化す。

 片付けにも来られず、結局は管理者の

仕事となっているようだ。

 哀しいことの重なりか・・・・。

 そして、今朝は山寺下山。

 

  「おびんずる様」を撫でて、

 行在所からの下界の風景を堪能し、

修行の岩場を臨む。

 

「釈迦ヶ峰」と呼ばれ、危険極まりない

岩場を通り、お釈迦様の御許に至る行場。

出世や欲望のための修行者が岩場から

転落したことも多かったと伝えられて

いる。

 百丈岩の上に立つ開山堂は立石寺を

開かれた慈覚大師の御堂。

 この御堂が建つ崖下にある自然窟に

大師の御遺骸が金棺に入れられ埋葬さ

れている。

 御堂には大師の木造の尊像が安置さ

れており、朝夕、食飯と香が絶やさず

供えられ護られているという。


 向かって左、岩の上の赤い小さな堂は

写経を納める納経堂で、山内で最も古い

建物。

 またここより向かって右上には五大明王

を奉る五大堂。

 舞台造りのこの御堂からは山寺を一望

でき、絶景を楽しんだ。