昨日は「春の雨」などとのんきなことを言っていましたが、天気予報を見ると今日は夜に雪が降るとのこと。道理で寒いはずだと思いつつ、家のエアコンは全開にしてあります。ウェザーニュースによると、明日の朝は路面凍結に注意とのこと。今年は本当によく雪が降りますね。ここ何年間か東京にはほとんど雪が降らなかったので、それが当たり前みたいに思いそうになっていましたが。「春の雪」だと三島由紀夫になってしまいます。旧仮名遣いがネックになって、三島由紀夫も何となく敬遠しているのですが。昔、知人と森鴎外の現代語訳があってもおかしくないよねぇと話としたことがありますが、ワタクシの場合は、文語体の小説はおろか、旧仮名遣いの小説でも頭痛がしてきます。例えば、教養の一種として小林秀雄は読んでおいたほうがいいといわれますが、小林秀雄も旧仮名遣いなのでワタクシ的には読むのが辛い。
文語体の本はもはや古典に近いと思うので、古典が嫌いだったワタクシにはアレルギーがあるのです。漱石は何とか読めますが、鴎外になるとお手上げです。何で漱石は読めるのかというと、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」などが教科書に載っていたため、若干でも親しみが湧くのかもしれません。鴎外は「舞姫」を読もうとして最初の数ページで挫折して以来、どうにもこうにも読もうという気になれないのが実情です。誰か、鴎外の現代語訳をしようという人が現れるといいなぁと思います。ワタクシとて、一応、明治の文豪の小説がどんなものかという興味だけはあるわけです。あと、これは著作権その他の関係で難しいのは分かるのですが、三島とか小林秀雄を現代の仮名遣いにしていただけないものかと。若者の活字離れが問題視される昨今、名作のほうからの歩み寄りがあってもいいのではないかと思わないでもなく。でも、きっとご本人たちは「それは邪道だ」とお怒りになるんでしょうね。三島の「豊饒の海」4部作、何とか読んでみたいと思ってはいるのですが…。
文語体の本はもはや古典に近いと思うので、古典が嫌いだったワタクシにはアレルギーがあるのです。漱石は何とか読めますが、鴎外になるとお手上げです。何で漱石は読めるのかというと、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」などが教科書に載っていたため、若干でも親しみが湧くのかもしれません。鴎外は「舞姫」を読もうとして最初の数ページで挫折して以来、どうにもこうにも読もうという気になれないのが実情です。誰か、鴎外の現代語訳をしようという人が現れるといいなぁと思います。ワタクシとて、一応、明治の文豪の小説がどんなものかという興味だけはあるわけです。あと、これは著作権その他の関係で難しいのは分かるのですが、三島とか小林秀雄を現代の仮名遣いにしていただけないものかと。若者の活字離れが問題視される昨今、名作のほうからの歩み寄りがあってもいいのではないかと思わないでもなく。でも、きっとご本人たちは「それは邪道だ」とお怒りになるんでしょうね。三島の「豊饒の海」4部作、何とか読んでみたいと思ってはいるのですが…。