雨の夜と下弦の月

毎日を静かに、穏やかに生きていきたいと思う日々。
そのわりにはジタバタと暮らすワタクシの毎日を綴っております。

「小林秀雄の恵み」の恵み。

2011-05-07 16:44:15 | books&magazine
今朝、用事があってちょっと出かけたのですが、タイミングが悪くて家を出る頃から雨が降ってきました。用事が済んでカフェでブランチのパンケーキを食べながら本を読んでいる間もずっと雨が降り続いておりました。震災直前ぐらいに買った橋本治センセイの「小林秀雄の恵み」という本を1か月以上かけてぼちぼち読んでいるところです。一体いつになったら読了するのか、ひょっとしたらこのまま放り出すのではないかという危機感を持ちながら、本当に牛歩のような歩みで読んでおります。小林秀雄自体が分かっていない人間に対する、橋本センセイによる小林秀雄入門書のような位置づけだとは思うのですが、これが非常に難しい。何とか読了したとしても、結局もう一度読み直さないと何が何だか分からないだろうなと思いながら、1か月近く悪戦苦闘しているわけです。

この本の中で、橋本センセイが「小林秀雄の『本居宣長』を読んでいると悪路を行くバスの乗客になった気分だ」と書いておられるのですが、ワタクシのように頭が悪い人間にとっては、この「小林秀雄の恵み」も、十分に悪路を行くバスの乗客になった気分にしていただけます。東大文学部国文学科をご卒業の橋本センセイの文章は、センセイ独特の言い回しが多いと思うのですが、それでもこんなに頭の中に入ってきづらい文章は初めてのような気もします。「三島由紀夫とはなにものだったのか」にしても、その他の橋本センセイの評論集にしても、こんなに難解だと思ったことはないかもしれません。小林秀雄が難解なのか本居宣長が難解なのか、とにかく日本語としては読めるけど意味が全く分からないといった状況が続いております。あるいは、単に年のせいかもしれませんが。

とにかく最後まで読んでから、改めてもう一度読み直そうと思うのは、ワタクシにしてはヒジョーに珍しいことではあります。それこそが「小林秀雄の恵み」の恵みなのかもしれませんが。