雨の夜と下弦の月

毎日を静かに、穏やかに生きていきたいと思う日々。
そのわりにはジタバタと暮らすワタクシの毎日を綴っております。

だから読書はやめられない。

2011-05-21 15:00:28 | books&magazine
実はワタクシ、未だに橋本治センセイの「小林秀雄の恵み」を読了できないままになっております。自分でも、読了するのにこんなに時間がかかる本は珍しいかもしれないと思いつつ、さりとて放り出すのも悔しいので、暇を見つけては牛歩のような歩みで読み進めております。9割ぐらいは読んだのですが、理解できているのはそのうちの1割ぐらいかもしれません。おのれの頭の悪さを呪いつつも、悪路を行くバスの乗客気分を延々と味わっているわけです。これを読了しないことには、その後に買った海堂尊「極北クレイマー」や石田衣良「逝年」は文字どおりの積読状態のままで放り出されているのです。「逝年」などは3時間もあれば読了できるとは思うのですが、「小林秀雄の恵み」にケリをつけないと、何となく橋本センセイに敗北したようで落ち着かないのです。そもそも闘っているわけではありませんが。

「小林秀雄の恵み」の後には、ペーパーバックなので持ち運ぶのが面倒だという理由だけで途中で放り出したままの、村上春樹「雑文集」もあります。積読状況に置かれる可愛そうな本をあまり増やしたくはないのでなるべく本屋さんには近寄らないようにしているのですが、たまにふらっと立ち寄ると文庫の新刊が出ており、とりあえず買ってしまうというのはワタクシの悪癖でもあります。先日お亡くなりになられた児玉清さんは、家じゅうが本だらけになるぐらいの読書家でもありました。もちろん、児玉さんとおのれを比べられるわけではありませんが、ワタクシの自宅の狭いアパートの中にも、そこらじゅうに文庫本が転がっております。大半は読了しているにも拘らず本だけは絶対に捨てられないワタクシの性分により、次の引っ越しの時に実家に送り込まれることになるはずの本たちではあります。

とにかく、橋本センセイの策略(?)にまんまと引っかかって七転八倒している昨今。本を読むのにこんなに根性を入れたのは、30年以上前に大学の友人に馬鹿にされて悔しくて読み始めた埴谷雄高の「死霊」以来かもしれません。「死霊」は、結局最後まで何が何だか分からなかったな…などと当時を思い起こして懐かしくもなります。だから、読書はやめられないわけですね。