台風12号は、凄まじい爪痕を残しました。和歌山県から奈良県にかけての被害は、目を覆うばかりのものですねえ。被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
さて先日、中川右介著『二十世紀の十大ピアニスト』(幻冬堂新書)を読みました。新書にしては400頁を越す著作です。中川氏の著書は、カラヤンやフルトヴェングラーに関するものなどをいくつか読んでいますが、それぞれ私にとっては知らないエピソードなどもたくさん読むことができます。それは非常に興味深いのです。ただ、中川氏がそれぞれの記述の根拠となっているものがよくわからないので、どこまでが史実なのか、はたまたすべてが史実なのが、少々困惑しています。「膨大な資料を収集し。比較対照作業から見逃されていた事実を再構築する独自のスタイル」らしいです。この書の記述が、登場する音楽家の残した日記とか手紙とか、発言などの一次史料を根拠にされているのか、評伝などの類の二次史料が根拠となっているのか、そのあたりがよくわからないので、少々不安であります。しかし、読み物としてたいそうおもしろく、はいつも楽しんで拝読させていただいております。
この書は、アルトゥール・ルービンシュタインの記述がけっこう多いのですが、その中で、ルービンシュタインがトスカニーニと初めて共演したときのお話が非常に興味深かったのです。その共演とは、1944年10月29日。曲目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番なのです。このとき、トスカニーニとリハーサルでは、最初まったくテンポが合わなかったことにルービンシュタインは困惑してしまう。彼にはトスカニーニの意図がまったくわかなかったのですね。しかし、二度目のリハーサルでは、トスカニ-ニは、ルービンシュタインのピアノに寸分の狂いもなくあわせて、コンサートも大成功に終わったというのです。このお話、有名なことかも知れないのですが、私は初めて知りました。巨匠というのは、こんな風なんでしょうねえ。
そして、このときのベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の演奏は、NBCによって全米に放送され、RCAもライブ録音したそうです。ほうほう!と思い、ごそごそとしたら、ありました。かなり前ですが、この演奏のCDを買っていたのです。これを買ったときには、ルービンシュタインとトスカニーニの共演なんて、まあ同じ時代を生きた人なんだから…、と何も思わなかったのですが、いやー、いろんな逸話があるのですねえ。で、そんなことを思いながら、この演奏、襟を正して拝聴させていただきました。
なんといってもこの演奏、ふたりの火花が飛び散るといった緊張感に満ちています。だいだいトスカニーニの指揮は、いつもぶち切れるような演奏なんですよね。それに対するかのようにルービンシュタインのピアノも背筋のピンと張り詰めたような厳しい演奏であります。いつも思うのですが、一昔前の演奏には、現在の演奏には感じられないもの、それは凄まじい緊張感であり、聴き手に訴えかける何かがあるように思ってしまいます。この演奏に比べると、現代のデジタル録音の演奏は、音は限りなくよいのですが、どうもゆるい、と感じてしまうのです。第1楽章、冒頭からオケの響きには腰の座った心地よさと強靱さがあります。そのあとのピアノも、オケに負けないようのい力強いタッチでの演奏が聴かれます。カデンツアも限りなく華やかな展開で、爽快感すら感じます。第2楽章、ピアノのタッチも明快で、非常に美しい。それがこの楽章の美しさを一層際立たせている、オケもピアノの寄り添うようでありながら、また対抗する姿勢も示しながらの展開であるが、両者によってこの楽章がこれまで聴いたものとは、別の美しさを湛えている。叙情的な表現も随所で聴かせてくれているところも、この演奏の特筆すべきことですね。そして、第3楽章、ここにいたって両者のはげしいぶつかりあいは最高潮に達する。音の輪郭が明確で、はっきりしている両者の演奏は、実に心地よい。また時折聴ける劇的な表現は、この協奏曲の印象を一層確かなものにしてくれていますし、新たな感動を覚えます。
もし可能なら、現代のデジタル録音で聴けたら、ずいぶん違った感動があるのでしょうねえ。またデジタルリマスターでSACDとなれば、と思ってしまいます。
(RCA GD60261 1990年 輸入盤 Artur Toscanini Collection)
さて先日、中川右介著『二十世紀の十大ピアニスト』(幻冬堂新書)を読みました。新書にしては400頁を越す著作です。中川氏の著書は、カラヤンやフルトヴェングラーに関するものなどをいくつか読んでいますが、それぞれ私にとっては知らないエピソードなどもたくさん読むことができます。それは非常に興味深いのです。ただ、中川氏がそれぞれの記述の根拠となっているものがよくわからないので、どこまでが史実なのか、はたまたすべてが史実なのが、少々困惑しています。「膨大な資料を収集し。比較対照作業から見逃されていた事実を再構築する独自のスタイル」らしいです。この書の記述が、登場する音楽家の残した日記とか手紙とか、発言などの一次史料を根拠にされているのか、評伝などの類の二次史料が根拠となっているのか、そのあたりがよくわからないので、少々不安であります。しかし、読み物としてたいそうおもしろく、はいつも楽しんで拝読させていただいております。
この書は、アルトゥール・ルービンシュタインの記述がけっこう多いのですが、その中で、ルービンシュタインがトスカニーニと初めて共演したときのお話が非常に興味深かったのです。その共演とは、1944年10月29日。曲目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番なのです。このとき、トスカニーニとリハーサルでは、最初まったくテンポが合わなかったことにルービンシュタインは困惑してしまう。彼にはトスカニーニの意図がまったくわかなかったのですね。しかし、二度目のリハーサルでは、トスカニ-ニは、ルービンシュタインのピアノに寸分の狂いもなくあわせて、コンサートも大成功に終わったというのです。このお話、有名なことかも知れないのですが、私は初めて知りました。巨匠というのは、こんな風なんでしょうねえ。
そして、このときのベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の演奏は、NBCによって全米に放送され、RCAもライブ録音したそうです。ほうほう!と思い、ごそごそとしたら、ありました。かなり前ですが、この演奏のCDを買っていたのです。これを買ったときには、ルービンシュタインとトスカニーニの共演なんて、まあ同じ時代を生きた人なんだから…、と何も思わなかったのですが、いやー、いろんな逸話があるのですねえ。で、そんなことを思いながら、この演奏、襟を正して拝聴させていただきました。
なんといってもこの演奏、ふたりの火花が飛び散るといった緊張感に満ちています。だいだいトスカニーニの指揮は、いつもぶち切れるような演奏なんですよね。それに対するかのようにルービンシュタインのピアノも背筋のピンと張り詰めたような厳しい演奏であります。いつも思うのですが、一昔前の演奏には、現在の演奏には感じられないもの、それは凄まじい緊張感であり、聴き手に訴えかける何かがあるように思ってしまいます。この演奏に比べると、現代のデジタル録音の演奏は、音は限りなくよいのですが、どうもゆるい、と感じてしまうのです。第1楽章、冒頭からオケの響きには腰の座った心地よさと強靱さがあります。そのあとのピアノも、オケに負けないようのい力強いタッチでの演奏が聴かれます。カデンツアも限りなく華やかな展開で、爽快感すら感じます。第2楽章、ピアノのタッチも明快で、非常に美しい。それがこの楽章の美しさを一層際立たせている、オケもピアノの寄り添うようでありながら、また対抗する姿勢も示しながらの展開であるが、両者によってこの楽章がこれまで聴いたものとは、別の美しさを湛えている。叙情的な表現も随所で聴かせてくれているところも、この演奏の特筆すべきことですね。そして、第3楽章、ここにいたって両者のはげしいぶつかりあいは最高潮に達する。音の輪郭が明確で、はっきりしている両者の演奏は、実に心地よい。また時折聴ける劇的な表現は、この協奏曲の印象を一層確かなものにしてくれていますし、新たな感動を覚えます。
もし可能なら、現代のデジタル録音で聴けたら、ずいぶん違った感動があるのでしょうねえ。またデジタルリマスターでSACDとなれば、と思ってしまいます。
(RCA GD60261 1990年 輸入盤 Artur Toscanini Collection)
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