先日、とある中古やさんで、ロッシーニの『セビリアの理髪師』を買いました。マリナー指揮でトーマス・アレンとアグネス・バルツアの共演のもの。680円で安かったのですが、帰宅して開封してみると、例のスポンジが劣化して粉々になっていました。そう言えばスポンジ云々と書いてあったなあ、と。CDにも付着したあとがあって、これは再生出来るか?と心配でしたが、それは無事でした。しかし、少しは掃除して売り物にしてよ、と思ったのでありました。中は見ているし、CDも検品しているはずですからねえ。ほんと頼みますよ。
そのCDは、歌うアレンとバルツァの顔がジャケットに使われていて、それを見て、アグネス・バルツァって最近、聞かないなあ、と思いました。それで少し調べてみると、現在79才なんですね。1980-90年代あたりが年齢的にも全盛期だったなんだなあ、ということ。カラヤンのオペラにも、よく出演されてましたねえ。『カルメン』のカルメン、『ばらの騎士』のオクラヴィアン、『ドン・カルロ』のエポリ公女、『ドン・ジョヴァンニ』のドンナ・エルヴィーナなどなど。
そんなこんなで、アグネス・バルツァを聴いてみよう!と思って、取り出して見たのがマーラーの交響曲『大地の歌』でありました(『セビリアの理髪師』を聴けばよかったんですが…)。これは、クラウス・テンシュテット指揮ロンドンPOの演奏。バルツァとクラウス・ケーニヒの独唱。1982年12月、84年8月ロンドンでの録音です。テンシュテットは言うまでもなくマーラーを得意とした指揮者で、交響曲全集は高い評価を受けていることは、改めて言うまでもありません。
全集以外にも、ライブ録音などで、マーラーの交響曲の録音は多く残っているのですが、大地の歌はこれが唯一の録音。そして、この大地の歌は、録音から10年近く経過した1992年に発売されています。聞くところによると、テンシュテットはこの録音が気に入っていなかったとか。また、『大地の歌』に、バルツァの歌唱が合うのか、ということも少々気になるところでありますね。バルツァの声質は、言わば非常に強靱、豪華で派手なんですねえ。
しかし、この『大地の歌』は実にいいですねえ。まずテンシュテット。私はこの人の演奏、けっこう好みですね。実に彫りの深い演奏を聴かせてくれる。全体的にはゆったりめのテンポで、非常に丁寧な印象を持ちます。六つのそれぞれの楽章の特徴を明確に表現して、それを確認しつつ聴いていくといろいろなものが見えてきますねえ。ゆったりとした気持ちで、この演奏に耳を傾けると、マーラーの表現とその意図するところ浮かび上がってくるようですね。よくテンシュテットが喉頭癌発病後の録音なら一層深い表情の演奏に云々、と言われますが、この演奏でも十二分ではないかと思います。そして声楽陣ですが、まずケーニヒ。少し非力かな、と思いましたが、テンシュテットの雄弁な演奏を支えるような歌声。しっかり耳を傾けると、真摯で堅実。かなりの好感を持てますね。そしてバルツァですが、アルトにしては高めの声ですかねえ。美声で全編申し分ない歌唱。オペラなどではもっと艶やかで派手な歌声のように思いますが、ここではテンシュテットの演奏に合わせての、渋く枯れた表情も見せるあたりはさすがです、フェリアーやルードヴィッヒに匹敵するような歌唱と言っても過言はないでしょう。
「大地の哀愁に寄せる酒なの歌」ではケーニヒは多少押さえ気味の歌唱。それに対してテンシュテットは深い表情と感情で曲を掘り下る。「秋に寂しき者」は、バルツァの歌声は実に美しくまっすぐで、秋の寂しげ表情を歌う。そしてオケもそれに従うよう。「青春について」は、ケーニヒは軽快に東洋的な情感を歌う。「美について」では、バルツァは明るく明瞭に歌う。細部まで明確であり、テンシュテットも同様に丁寧に歌う。「春に酔える者」は、オケが軽快でそれにケーニヒが付随するよう。多少声の小ささも気になるが、それだけオケが雄弁か。そして「告別」。テンシュテットもバルツァも実に鮮明であり、曲の細部まで見通せる演奏でわかりやすい。それでいて深い情感にあふれている。加えて、歌唱もオケも切々と美しい響きで聴いていて心地よいですねえ。しかし、バルツァは素晴らしい。『大地の歌』には立派過ぎるのかもしれないですね。
今年の冬は、それほど寒くないみたいですが、でもやはり冬は寒いです。今週半ばは寒波が襲来するらしいです。走るのも寒いでしょうねえ。
(EMI CDC 7 54603 2 1992年 輸入盤)
そのCDは、歌うアレンとバルツァの顔がジャケットに使われていて、それを見て、アグネス・バルツァって最近、聞かないなあ、と思いました。それで少し調べてみると、現在79才なんですね。1980-90年代あたりが年齢的にも全盛期だったなんだなあ、ということ。カラヤンのオペラにも、よく出演されてましたねえ。『カルメン』のカルメン、『ばらの騎士』のオクラヴィアン、『ドン・カルロ』のエポリ公女、『ドン・ジョヴァンニ』のドンナ・エルヴィーナなどなど。
そんなこんなで、アグネス・バルツァを聴いてみよう!と思って、取り出して見たのがマーラーの交響曲『大地の歌』でありました(『セビリアの理髪師』を聴けばよかったんですが…)。これは、クラウス・テンシュテット指揮ロンドンPOの演奏。バルツァとクラウス・ケーニヒの独唱。1982年12月、84年8月ロンドンでの録音です。テンシュテットは言うまでもなくマーラーを得意とした指揮者で、交響曲全集は高い評価を受けていることは、改めて言うまでもありません。
全集以外にも、ライブ録音などで、マーラーの交響曲の録音は多く残っているのですが、大地の歌はこれが唯一の録音。そして、この大地の歌は、録音から10年近く経過した1992年に発売されています。聞くところによると、テンシュテットはこの録音が気に入っていなかったとか。また、『大地の歌』に、バルツァの歌唱が合うのか、ということも少々気になるところでありますね。バルツァの声質は、言わば非常に強靱、豪華で派手なんですねえ。
しかし、この『大地の歌』は実にいいですねえ。まずテンシュテット。私はこの人の演奏、けっこう好みですね。実に彫りの深い演奏を聴かせてくれる。全体的にはゆったりめのテンポで、非常に丁寧な印象を持ちます。六つのそれぞれの楽章の特徴を明確に表現して、それを確認しつつ聴いていくといろいろなものが見えてきますねえ。ゆったりとした気持ちで、この演奏に耳を傾けると、マーラーの表現とその意図するところ浮かび上がってくるようですね。よくテンシュテットが喉頭癌発病後の録音なら一層深い表情の演奏に云々、と言われますが、この演奏でも十二分ではないかと思います。そして声楽陣ですが、まずケーニヒ。少し非力かな、と思いましたが、テンシュテットの雄弁な演奏を支えるような歌声。しっかり耳を傾けると、真摯で堅実。かなりの好感を持てますね。そしてバルツァですが、アルトにしては高めの声ですかねえ。美声で全編申し分ない歌唱。オペラなどではもっと艶やかで派手な歌声のように思いますが、ここではテンシュテットの演奏に合わせての、渋く枯れた表情も見せるあたりはさすがです、フェリアーやルードヴィッヒに匹敵するような歌唱と言っても過言はないでしょう。
「大地の哀愁に寄せる酒なの歌」ではケーニヒは多少押さえ気味の歌唱。それに対してテンシュテットは深い表情と感情で曲を掘り下る。「秋に寂しき者」は、バルツァの歌声は実に美しくまっすぐで、秋の寂しげ表情を歌う。そしてオケもそれに従うよう。「青春について」は、ケーニヒは軽快に東洋的な情感を歌う。「美について」では、バルツァは明るく明瞭に歌う。細部まで明確であり、テンシュテットも同様に丁寧に歌う。「春に酔える者」は、オケが軽快でそれにケーニヒが付随するよう。多少声の小ささも気になるが、それだけオケが雄弁か。そして「告別」。テンシュテットもバルツァも実に鮮明であり、曲の細部まで見通せる演奏でわかりやすい。それでいて深い情感にあふれている。加えて、歌唱もオケも切々と美しい響きで聴いていて心地よいですねえ。しかし、バルツァは素晴らしい。『大地の歌』には立派過ぎるのかもしれないですね。
今年の冬は、それほど寒くないみたいですが、でもやはり冬は寒いです。今週半ばは寒波が襲来するらしいです。走るのも寒いでしょうねえ。
(EMI CDC 7 54603 2 1992年 輸入盤)
コメント、ありがとうございます。私も久々に聞いて今回のことになりました。ご指摘のように、交響曲なんですねえ。8番もそうですが、マーラーの中では、これらの異形の交響曲も、交響曲なんでしょうねえ。また、ご教示ください。