先週の月曜、あの大雨警報がでた日から、仕事に追いまくられていました。特に、週の後半はもうたいへんで、嫌いな数字とのにらめっこが続きました。プライベートでも岡山に宿泊しようかということもあったり…。そんな中、日曜日には、大阪なんばで大学以来の先輩をお会いしたり、まあ楽しんでいることもあったり…。そんなこんなでばたばたしてまして、先週はやっと日曜日に一回の更新にとどまってしまいました。
そんなわけで、気を取り直して?、今回はモーツァルト。もう今から25年くらいになるでしょうかねえ。そのころはまだ熱心にFM放送を聴いてまして、日曜日の朝は、吉田秀和氏の『名曲の楽しみ』が、たしか9時からでしたね。そのあとかに『名演奏家を聴く』というのがあって、「今は亡きピアノの巨匠、ワルター・ギーゼキング」という特集をしてました。その番組で、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番を放送してました。ギーゼキングとクィード・カンテルリ指揮ローザンヌ室内管弦楽団による1948年のライブ録音でした。これがまた至極よかったんですね・虚飾を取り払ったギーゼキングのピアノが、このモーツァルトの最後のピアノ協奏曲の美しさを余すところなく伝えていると思ったのであります。この演奏は、その後もCDでは見つけることができず、カセッテープに録音したものでしか聴けないのですが、いい演奏です。(HMVには、M&Aからの2枚組のCDで、同年の同管弦楽団の演奏として見えるのですが、指揮者がカンテルリではなくデザルセンスとなっています。どちらかが間違っているのでしょうかねえ)
それ以来、ギーゼキングのモーツァルトは、好きな演奏のひとつでした。その後のモーツァルトのピアノ・ソナタなどを買いまして、モノラルの必ずしも良くない音でしたが、気に入ってきいておりました。今回は、そのギーゼキングのモーツァルトのピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330第11番イ長調K.331、第12番ヘ長調、第13番変ロ長調K.333であります。1953年にギーゼキングはモーツァルトのピアノ・ソナタを全曲録音していますが、それは以前にEMIから4枚に分かれて発売れていました。10~13番までが第三集に収められています。これらのソナタは、パリ旅行中のものと考えられていましたが、近年ではもう少し以前、1783年の作曲とされるようになりました。四曲ともモーツァルトの素晴らしさを満喫できる曲ですね。
さて、このギーゼキングのモーツァルトなんですが、いわゆるノイエザッハリヒカイト、新即物主義と言われるのであります。過度な主観的な演奏ではない客観性を重視し、テンポも不変。正しいリズム、そして楽譜に忠実。そんな演奏なんでしょうか。モーツァルトをどう演奏するかは、難しいです。ピアノ・ソナタでも、単に演奏することは技術的にもそんなに難しくはない。でも聴かせる演奏となれば、かなりたいへんですよねえ。そんな中、ギーゼキングのピアノは、実に淡々としたタッチで、声高に主張するのでもなく、デフォルメされた表現は見えず、過度な感情表現も聴かれず、とにかくほんとに簡素とでもいうのでしょうか。そんなピアノです。しかし、それがよろしくないのか、というと、決してそうではないのです。モーツアルトの演奏では、このようなピアノがいいんですね。少なくとも私は好きです。こんな演奏を展開していくなかにも、ギーゼキングのピアノの音は、モノラルなので、少々つらいところはありますが、いい音を聴かせてくれます。ダイナミックレンジの広さ。しっかりした存在感のあるフォルテ、その強靱なタッチは豪快です。そしてきれいな弱音のピアニッシモ。その優しさは。うーん、この対比はなかなか聴かせてくれます。これらの中から1曲となれば、なかなか難しいですが、強いてあげれば13番でしょうか。この曲が一番好きだからかもしれません。第1楽章の明るく愛らしい愉悦感。テンポのよさの中にも、美しい旋律が聴かれますね。ギーゼキングのピアノは実に粒が揃っています。第2楽章、美しい楽章ですが、淡々とした表の中で、これほど豊かなピアノの表情が聴けるとは。繰り返し聴くことで味わいが溢れてきます。第3楽章、ロンド楽章。後半のカデンツァ風のところがいい。出だしは押さ気味。次第に高揚。淡々とした中にも豪快なピアノであります。
このCD、聴いているには満足満足なんですが、やはりモノラル。少々残念が気持ちでいっぱいであります。しかし、モーツァルトのベストではないかなあ。
(EMI CC30-3775 1988年)
そんなわけで、気を取り直して?、今回はモーツァルト。もう今から25年くらいになるでしょうかねえ。そのころはまだ熱心にFM放送を聴いてまして、日曜日の朝は、吉田秀和氏の『名曲の楽しみ』が、たしか9時からでしたね。そのあとかに『名演奏家を聴く』というのがあって、「今は亡きピアノの巨匠、ワルター・ギーゼキング」という特集をしてました。その番組で、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番を放送してました。ギーゼキングとクィード・カンテルリ指揮ローザンヌ室内管弦楽団による1948年のライブ録音でした。これがまた至極よかったんですね・虚飾を取り払ったギーゼキングのピアノが、このモーツァルトの最後のピアノ協奏曲の美しさを余すところなく伝えていると思ったのであります。この演奏は、その後もCDでは見つけることができず、カセッテープに録音したものでしか聴けないのですが、いい演奏です。(HMVには、M&Aからの2枚組のCDで、同年の同管弦楽団の演奏として見えるのですが、指揮者がカンテルリではなくデザルセンスとなっています。どちらかが間違っているのでしょうかねえ)
それ以来、ギーゼキングのモーツァルトは、好きな演奏のひとつでした。その後のモーツァルトのピアノ・ソナタなどを買いまして、モノラルの必ずしも良くない音でしたが、気に入ってきいておりました。今回は、そのギーゼキングのモーツァルトのピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330第11番イ長調K.331、第12番ヘ長調、第13番変ロ長調K.333であります。1953年にギーゼキングはモーツァルトのピアノ・ソナタを全曲録音していますが、それは以前にEMIから4枚に分かれて発売れていました。10~13番までが第三集に収められています。これらのソナタは、パリ旅行中のものと考えられていましたが、近年ではもう少し以前、1783年の作曲とされるようになりました。四曲ともモーツァルトの素晴らしさを満喫できる曲ですね。
さて、このギーゼキングのモーツァルトなんですが、いわゆるノイエザッハリヒカイト、新即物主義と言われるのであります。過度な主観的な演奏ではない客観性を重視し、テンポも不変。正しいリズム、そして楽譜に忠実。そんな演奏なんでしょうか。モーツァルトをどう演奏するかは、難しいです。ピアノ・ソナタでも、単に演奏することは技術的にもそんなに難しくはない。でも聴かせる演奏となれば、かなりたいへんですよねえ。そんな中、ギーゼキングのピアノは、実に淡々としたタッチで、声高に主張するのでもなく、デフォルメされた表現は見えず、過度な感情表現も聴かれず、とにかくほんとに簡素とでもいうのでしょうか。そんなピアノです。しかし、それがよろしくないのか、というと、決してそうではないのです。モーツアルトの演奏では、このようなピアノがいいんですね。少なくとも私は好きです。こんな演奏を展開していくなかにも、ギーゼキングのピアノの音は、モノラルなので、少々つらいところはありますが、いい音を聴かせてくれます。ダイナミックレンジの広さ。しっかりした存在感のあるフォルテ、その強靱なタッチは豪快です。そしてきれいな弱音のピアニッシモ。その優しさは。うーん、この対比はなかなか聴かせてくれます。これらの中から1曲となれば、なかなか難しいですが、強いてあげれば13番でしょうか。この曲が一番好きだからかもしれません。第1楽章の明るく愛らしい愉悦感。テンポのよさの中にも、美しい旋律が聴かれますね。ギーゼキングのピアノは実に粒が揃っています。第2楽章、美しい楽章ですが、淡々とした表の中で、これほど豊かなピアノの表情が聴けるとは。繰り返し聴くことで味わいが溢れてきます。第3楽章、ロンド楽章。後半のカデンツァ風のところがいい。出だしは押さ気味。次第に高揚。淡々とした中にも豪快なピアノであります。
このCD、聴いているには満足満足なんですが、やはりモノラル。少々残念が気持ちでいっぱいであります。しかし、モーツァルトのベストではないかなあ。
(EMI CC30-3775 1988年)
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