前回ブルックナーについて触れましたが、最近よくブルックナーを聴きます。昔から嫌いではなかったですが、とにかく関心や興味をもって、接しております。そのきっかけとなったのは、アーベントロートとクナッパーツブッシュだったと思っています。ブルックナーとクナッパーツブッシュはこの頃強く関心を持っています。加えて、チェリビダッケとアーノンクールもいいです。つまり、ブルックナーをクナッパーツブッシュやチェリビダッケ、アーノンクールの演奏で聴きたいってことなんです。とは言っても、これらのCDはけっこう入手が困難で、なかなか店頭では見ることができません。となれば、ネットでとなりますが、現在よく利用しているH○Vは少々使いにくいのです。なんとなれば8月下旬に、ベームとフェルカーの二種類のローエングリンを注文したのですが、今に至るまで品切れかなにかで届きません。前の注文が届いてないのに新たに注文することは、どうも躊躇しておるわけです。加えて、お店も三宮のタワーさんは10月4日まで移転休業で、これまた困ったことになっています。そんなわけで、CDは8月中旬に岡山のタワーさん以来、買っておりません。ただ、中古はいくつか買っています。BOOKOFFさんでね。
それで、25日月曜日いつもの仕事のときに関大前のBOOKOFFに寄りましたら、ブルックナーの交響曲第5番、インバル指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏のCDがありました。二枚組で1650円でした。インバルのブルックナーは、改訂癖のあったブルックナーの交響曲を初版で演奏したものでした。3番・4番・8番などは、現在のハース版やノヴァーク版とはかなり違うのが新鮮でした。3番などは初版のほうが好きですよ。そんな中で、5番は原典版が一般的で、複雑な改訂やそれに伴う異稿問題は存在しないので、インバル版にそれほど魅力を感じなかったので、持ってませんでした。ただ注目すべきは、二枚目に未完成で終わった9番の第4楽章のニコーラ・サマレとジュゼッペ・マッツカによるの復元版(1986)が収められていることでした。現在、このCDは廉価盤で再発売され、9番の最後にこの復元版が収められており、また現在は品切れになっているので、5番とのCDはけっこう貴重なものであります。
そんな9番の復元ですが、この版の他にキャラガンによるものもあります。ブルックナーは最期の日にも 、同曲の終楽章に取り組んでいた、と伝えられるほど、この曲の完成に努めました、しかし、第3楽章アダージョに続く第4楽章としては、ブルックナーの自筆が600小節以上残っており、その中で174小節は完全にオーケストレーションも終わっているので、単にスケッチを寄せ集めではなくかなり曲の雰囲気はつかむことができると言われています。9番は独特の雰囲気の曲で神々しささえ感じます。特に第3楽章は魂が昇華されて終わっていくといった印象をもつために、これに続く第4楽章はいったいどんな曲だったのだろうと興味は尽きません。ブルックナーは「テ・デウム」を置くことを考えたそうですが、それも今イチですよねえ。
サマレ=マッツカ版はどうでしょうか。まずどこまでがブルックナーの自筆なのかが気になります。アーノンクール盤は、自筆の部分のみを演奏しているので、それによればわかるでしょう。主題はどうも9番ににつかわしくありません。それゆえ全体的に初期の印象が強く、晩年の作品とは思えないようです。また七番の主題が出て来たり、第1楽章が登場するところなんかは、思わず苦笑してしまいました。やはり、3楽章までが凄すぎるんでしょうかね。これではブルックナーの作品と考えるには、あたりまえですけど無理がありますよね。しかしがながら、そんなことは当たり前ですし、繰り返して聴くならば、それなりの愛着も生まれてくると言ったものですね。
それで、25日月曜日いつもの仕事のときに関大前のBOOKOFFに寄りましたら、ブルックナーの交響曲第5番、インバル指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏のCDがありました。二枚組で1650円でした。インバルのブルックナーは、改訂癖のあったブルックナーの交響曲を初版で演奏したものでした。3番・4番・8番などは、現在のハース版やノヴァーク版とはかなり違うのが新鮮でした。3番などは初版のほうが好きですよ。そんな中で、5番は原典版が一般的で、複雑な改訂やそれに伴う異稿問題は存在しないので、インバル版にそれほど魅力を感じなかったので、持ってませんでした。ただ注目すべきは、二枚目に未完成で終わった9番の第4楽章のニコーラ・サマレとジュゼッペ・マッツカによるの復元版(1986)が収められていることでした。現在、このCDは廉価盤で再発売され、9番の最後にこの復元版が収められており、また現在は品切れになっているので、5番とのCDはけっこう貴重なものであります。
そんな9番の復元ですが、この版の他にキャラガンによるものもあります。ブルックナーは最期の日にも 、同曲の終楽章に取り組んでいた、と伝えられるほど、この曲の完成に努めました、しかし、第3楽章アダージョに続く第4楽章としては、ブルックナーの自筆が600小節以上残っており、その中で174小節は完全にオーケストレーションも終わっているので、単にスケッチを寄せ集めではなくかなり曲の雰囲気はつかむことができると言われています。9番は独特の雰囲気の曲で神々しささえ感じます。特に第3楽章は魂が昇華されて終わっていくといった印象をもつために、これに続く第4楽章はいったいどんな曲だったのだろうと興味は尽きません。ブルックナーは「テ・デウム」を置くことを考えたそうですが、それも今イチですよねえ。
サマレ=マッツカ版はどうでしょうか。まずどこまでがブルックナーの自筆なのかが気になります。アーノンクール盤は、自筆の部分のみを演奏しているので、それによればわかるでしょう。主題はどうも9番ににつかわしくありません。それゆえ全体的に初期の印象が強く、晩年の作品とは思えないようです。また七番の主題が出て来たり、第1楽章が登場するところなんかは、思わず苦笑してしまいました。やはり、3楽章までが凄すぎるんでしょうかね。これではブルックナーの作品と考えるには、あたりまえですけど無理がありますよね。しかしがながら、そんなことは当たり前ですし、繰り返して聴くならば、それなりの愛着も生まれてくると言ったものですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます