センター試験に向かう受験生、無事に会場へたどり着けたかしら、島岡美延です。
私の大学受験も2月の某大学の日、雪でした。
先日のラジオに“ビジュアリスト”手塚眞さんが登場。
ますますお父さんの笑顔によく似てきた感じ。
子どもの頃から漫画家の父を見て、10代から映画を撮っていた彼は、映像にかかわるすべてのことがやりたいと、今の肩書を名乗るようになったそう。
手塚治虫さんと、スタンリー・キューブリック監督との関係にびっくり。
『2001年宇宙の旅』の宇宙船のデザインなどしてほしい、というオファーを丁寧に断ったとのこと。
当時、すでに何本もの連載、多くのスタッフを抱えていた彼に「二年間、ロンドンに来て」という条件だったとか。
そして、黒澤明監督からもオファーがあり、手塚治虫が漫画の世界に行ってしまったことを嘆かれたエピソードを披露。
同時に7本連載(そのうち2本が週刊!)もしていたという、想像を絶する天才。
“不寛容”の時代になろうという今こそ、手塚治虫スピリットが必要かも。
私の大学受験も2月の某大学の日、雪でした。
先日のラジオに“ビジュアリスト”手塚眞さんが登場。
ますますお父さんの笑顔によく似てきた感じ。
子どもの頃から漫画家の父を見て、10代から映画を撮っていた彼は、映像にかかわるすべてのことがやりたいと、今の肩書を名乗るようになったそう。
手塚治虫さんと、スタンリー・キューブリック監督との関係にびっくり。
『2001年宇宙の旅』の宇宙船のデザインなどしてほしい、というオファーを丁寧に断ったとのこと。
当時、すでに何本もの連載、多くのスタッフを抱えていた彼に「二年間、ロンドンに来て」という条件だったとか。
そして、黒澤明監督からもオファーがあり、手塚治虫が漫画の世界に行ってしまったことを嘆かれたエピソードを披露。
同時に7本連載(そのうち2本が週刊!)もしていたという、想像を絶する天才。
“不寛容”の時代になろうという今こそ、手塚治虫スピリットが必要かも。