絶望的、壊滅的と沖縄の医師が叫ぶ第7波、島岡美延です。大臣交代でも現場の悲鳴は届かず。最前線は必死、あの戦争中も。
日航機事故の戦後40年に出版、関千枝子著『広島第二県女二年西組 原爆で死んだ級友たち』(ちくま文庫)を読みました。
8月6日、下痢で欠席し自宅で被爆(13歳)。級友45人中、休んだ6人以外の多くが当日か翌日に死亡(奇跡的に助かった1人は24年後に癌で)。著者は「級友全員のその時」を取材。
どこに運ばれ、どんな最期だったか。親を励まそうと「日本は神国」「天皇は現人神」と言った少女。手作りの棺に入れられて幸せと語る親、この取材まで一度も原爆を語らなかった人も多数。
「章外」という文章。生徒全員が靖国神社に〈最年少の英霊〉として合祀されたことにショックを受ける著者。被害者、犠牲者がなぜ英霊? 自分もいたかも、と。
昨年88歳で亡くなるまで作家活動を続けた彼女。この本の存在に心から感謝。
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