3年ぶりの帰省ラッシュで渋滞もある中、日航機墜落事故から37年、島岡美延です。戦後40年という節目、1985年8月12日に起きた大惨事。
昨日8月11日は「山の日」。東京五輪2020の日程に合わせて動かされたり、歴史の浅い祝日。お盆を長い連休に、の意味合いもあってこのあたりに制定されたようだけど、12日の日航機事故があまりに強烈。遺族たちが毎年欠かさず、御巣鷹山に慰霊の登山をする日。
墜落現場の特定すら容易ではなく、携帯電話もなかった時代。遺族はわずかな手がかりで体育館に並べられた棺と向き合うことに。520人の恐怖、無念さ、遺族にもなかなか届かない事故の情報。けして風化させてはいけない昭和の出来事。
1945年を生きていた人たちは、まだ戦争の行方がわからなかった8月12日。今年はどんな終戦の日を迎えるでしょう。コロナでお盆休診もままならない発熱外来の医療関係者に感謝。今日、生きているって、なんて「有り難い」こと。
それが、日航機の事故の日になるので、それはちょっとということを小渕優子氏らが訴え、11日になった由。
この日航機墜落事故については当時からさまざまな謎が噂されていますが、ごく近い友人がたまたま所用ができて、搭乗予定をキャンセルしたというのもあり、個人的にもなかなか他人事のようには思えない事故でした。
お知り合いがキャンセルされた飛行機だったとは・・・。
私は小倉市に単身赴任中だった父のところに遊びに行っていた夏休みで、テレビに流れた速報テロップに悲鳴をあげた記憶が。
生存者の方にとっても大変な37年だったことでしょう。
正直、山の日は祝日、というより、祈りを捧げたくなる日です。