この人も不死身、ではなかった、島岡美延です。
昨日は品川歴史館、大森貝塚遺跡庭園など訪ね、縄文時代から令和まで、人間の営みがずっとつながっていることを考えていた時、瀬戸内寂聴さんの訃報に接し、声を上げました。
大正生まれ、私の祖母同様、寂聴さんは100歳を超えてもずっと語ってくれる、勝手にそう思っていました。
私が読んだのはエッセイや一部の小説でしたが、あらためて寂聴さんの言葉に触れたくなります。
言葉って誰が話すかが重要。政治家の言葉はどんどん軽くなり、信用されないものの代名詞に。寂聴さんはその全身で戦争、原発、憲法9条…、平和を訴え続けました。晩年、入院や闘病が大変でも言葉を綴るため=生きるため、リハビリを頑張ったよう。
激しい愛に走った生き方は、今なら炎上、バッシング。でも他の誰にも語れない人生で「辛いことばかり続かない」と励ましてくれました。感謝したい、だから読みたい、何から手に取ろうかしら。
> 人生で「辛いことばかり続かない」と励ましてくれました。感謝したい、だから読みたい、何から手に取ろうかしら。
と島岡さんはおっしゃっていますが、読者がそのように思ってくださることが何よりものご供養だと思われます。
ただ、亡母が生前、ダイレクトメールで送られてくる寂聴さんの般若心経などのテープなどを退職公務員連盟の新聞で目にしただけのたくさんの人たちに送っていたときはショックでした。
母は認知症状態だったんでしょうし、寂聴さんや通販の会社のみなさん方はそういうところまでは考えが及びませんですものね。
ひねくれもののせいか、このところ召されている人が、物申す人ばかりのように思えます。
寂聴さんの寂は寂しいではなく、「しずか」なのだとご本人がおっしゃってましたが、決して静かではなく、しっかりと人生を主張していたようにも思えます。白寿、いい終わり方ではと。
寂聴さんが90代になられてから、特にこの国のかじ取りには不安しかなかったのでは。ハンストをされたこともありましたね。10月の総選挙の頃には何を感じていらしたでしょう・・・。
それにしても見事な人生でしたね。