『おじいちゃんの大切な一日』
重松清著、はまのゆか絵、幻冬舎、2011年
新しいゲーム機が欲しいあまり、「ゲーム機が壊れた」とウソをついたことで両親に叱られてしまった主人公のエリカ。もしウソがばれなかったら、古いゲーム機は捨ててしまうつもりだった、というエリカに、父親は祖父母の家に一人で泊まりに行くよう命ずる。
祖父母の家で一泊した翌日。エリカが祖父に連れられて向かった先は、祖父が勤務する工作機械の工場だった。工場に向かうバスの中で、同じ工場に勤める同僚から「長年お世話になりました」と声をかけられる祖父。その日は、定年を迎えた祖父の、最後の勤務日だった。
エリカは工場長に案内されて工場見学をすることに。一見、命のない存在のように見える鉄や機械に、生き物と同じような愛情を持って接している工場長の話に、古いゲーム機を粗末に扱っていた自分の態度を悔やむエリカであった。
やがて、祖父が働いているエリアにたどり着いたエリカが見たものは、金属の表面にある目に見えないような微細なデコボコを、工具を操って黙々と削り取っている祖父の姿であった•••。
『ナイフ』や『ビタミンF』(直木賞受賞作)などの作品で人気のある作家、重松清さんが綴った物語と、『13歳のハローワーク』(村上龍著)などのイラストで知られる、はまのゆかさんの絵によって生まれた絵本が、この『おじいちゃんの大切な一日』です。
ものづくりにかける人たちが持つ職人技のすごさと、自らの生み出すものに抱く深い愛情と誇り。それを知ることで、ものを粗末に扱っていた主人公の少女が変わっていくさまを、重松さんは細やかな筆致で描いていきます。
人間の髪の毛の10分の1よりもはるかに細い、わずか3マイクロメートルというデコボコを平らにしつつ、潤滑油が入るように2マイクロメートルの微妙なデコボコを残すという「奇跡のようなこと」をやってのける職人技。そして、ものを生み出していくことで培われていく仕事への愛情と誇り。
ベテランから若手へと脈々と受け継がれ、生き続けていく、ものづくりの技と魂。本書は、その素晴らしさをしっかりと伝えてくれます。
同時に本書では、祖父から子ども、そして孫へと受け継がれていくものも描かれます。それは技術や知識を超えた、生きていく上で大切なことでもあります。
そのことがしっかりと伝わるような、物語の終盤に盛り込まれたある趣向には強く胸を打たれるものがあり、目頭が熱くなるのを感じました。•••本書を読む前から、なんだか泣かされそうな予感があったのですが、やっぱりそうなってしまいました。いやはや。
末尾に記されている「刊行にあたって」によれば、本書はある工作機械メーカーから寄せられた、社員とその家族にプレゼントしたいとの希望によりつくられた、「いわゆる私家版の書籍」で、もともとは公刊する予定はなかったとか。
それを変えたのが、3年前に起こった東日本大震災でした。本書を刊行することで、被災した子どもたちへ「ささやかでも支援ができるかもしれない」と、一般向けに公刊することにしたそうです。本書の印税は全額、あしなが育英会を通じて、震災で親を亡くした子どもたちの支援にあてるとのことです。
あの震災でも、数多くの受け継がれるべきもの、そしてかけがえのない命が失われました。そのことを忘れず、記憶にとどめながらも、新たに受け継いでいくためのものを作り出し、それによって被災した地域と人びとが立ち上がることができるよう、それぞれができることをやっていかねばならない、と思うのです。
そう考えながら、あらためてこの物語を読み直すと、また違う感慨が湧いてくるはずです。
印象的なくだりがあります。工場で働く人びとがみんな楽しそうに見えるのを不思議に思うエリカに、工場長がこう語ります。
「作ることは、なんでも楽しいんだ」
「しかも、自分が作ったものがみんなによろこんでもらえたら、もっと楽しくならないか?」
震災という大きな痛手と悲しみを受けた日本。われわれが関わっているそれぞれの世界で、少しでもみんなに喜んでもらえるようなものを生み出していけたら、楽しく住みやすい国に生まれ変わっていくことができるのではないか•••。
本書はそんな希望を、わたくしにも与えてくれた佳作でありました。