『京都大学人気講義 サイエンスの発想法』
上杉志成著、祥伝社、2014年
iPS細胞をはじめとする、ノーベル賞級の発見や発明を成し遂げる研究や、日本のアカデミズムを代表するような人材を輩出している京都大学。その中でも今、特に人気があるというのが、本書の著者である上杉志成(もとなり)さんによる「生命の化学」の講義であります。
人気があるだけではなく、その講義は国際オンライン教育機関(edX)に日本から初参加し、全世界に配信されるという、世界からも認められている名講義でもあるのです。その名講義のエッセンスを詰め込んだのが、この本です。
上杉さんの講義は、化学と生物学を融合させた領域での研究を題材にしながら、アイデアを出すための考え方を養おうというもの。それは、「歴史の表面をなぞるだけではなく、実際の研究の裏にある人間の考え方を推理」するものでもあります。
「結果だけを積み重ねた知識は、すぐに色あせる。私たちの心に響くのは、誰が何を考えてどう行動したかだ。
どんな偉大な科学者でも生身の人間。悩みながら、苦しみながら、楽しみながらアイデアを出している。先人の例にヒントを得ながら、いろいろな方向からモノを見て、自分でいろいろなアイデアを考えてみる。こういった知識生産の考え方や物の見方は、将来どんな仕事をしていても、困ったときに助けてくれるだろう。」
このような考え方のもとに展開される上杉さんの講義。まず縦軸として、DNAや化合物の構造やメカニズムがわかりやすく解説され(中には若干込み入ったところもありますが、もしわからなくても著者が言うように「流し読みしながら、先へ」進んでも「ついてこられます」ので、心配はご無用です)、それらがいかにして発見され研究されてきたのかが、さまざまなエピソードとともに語られます。
そこに、文学や音楽、芸術、ビジネスなどといった、サイエンスとは関係のなさそうな分野の話題が組み合わさります。一見唐突に、雑談っぽく語られるこれらの話題ですが、それらは講義の横軸として、巧みに本筋のDNAや化合物の発見・研究の話題と融合され、ユニークなアイデアを出すためのヒントに結びつけられていくのです。
例えば、アメリカの研究者であるキャリー・マリス博士が思いついた、DNAの増幅技術である「PCR」についての話。
PCRは、温度の上げ下げを繰り返していくことで、特定の遺伝子を何百万倍にも増幅することができるという技術で、これにより病気の診断や遺伝子鑑識技術などへの応用が実現することになりました。別荘へと往復するドライブの中で思いついたというこのアイデアにより、マリス博士はノーベル化学賞を受賞しました。
上杉さんは、このPCRの仕組みや、それを活用した応用事例について解説したあと、話題をミュージカル『オペラ座の怪人』へと転じます。
そこでは、ミュージカルにおいてテーマとなる曲が作品中で何度も繰り返されることにより、「ひとつ前の感情が次の感情を引き起こす」ことを指摘。それは「結果が原因となって連鎖」することによる記憶の増幅である、といった形で、PCR発見の話へと結びつけられます。そして、「結果が原因」となる考え方が新しいアイデアを生み出す上で重要なものである、という結論へと収斂させていくのです。
他にも、多様なペプチドや化合物を作り出して、後から望みのペプチドや化合物を選ぶという手法からAKB48との類似性を見出すなど、いろいろな分野を自在に跨ぎながら、巧みな比喩とともに語られていく講義は、大いに頭を刺激してくれます。
幅広い分野に対する好奇心や教養を持つことが、いかに新しいアイデアを生み出していく上で大事なことなのかを、上杉さんの講義は教えてくれるような気がいたしました。
「サイエンス力とは説得力のこと」という話も興味深いものがありました。
他者に対して説得力を発揮させるためにまず大切なのが「客観性」。論理をわかりやすく正確に説明するためには「プレゼン力」もしくは「コミュニケーション能力」が重要。そして、多くの人たちに自らの論理を広めることができるのが「文章力」•••。
上杉さんが言うように、これらは何もサイエンスのみならず、どんな商売においても人を説得する上で必要なノウハウであったりいたします。それだけに、すごく教えられるところがありました。
「苦手なものの中にチャンスやアイデアがある」
「新しいアイデアは『変だな』『どうなってるんだ』という『問い』から生まれるもの」
「やりつくされたのではないかと思える分野でも、まだまだアイデアは出るのです」
などなど、これまたサイエンス以外にも役に立ちそうな言葉が、本書にはたくさん散りばめられていて、これらにもまた、大いに気持ちを刺激させられました。
上杉さんの講義の底に一貫して流れているもの。それは、それぞれの分野で新しいアイデアを出すことによって多くの人を助け、世の中を楽しく、住みやすいところにしてほしい、という願いです。
本書の中で特に強く印象に残ったのは、以下のくだりでした。
「世の中には、文句ばかりを言って自分では何もしない人がいます。(中略)議論ばかりで、優れたアイデアを思いつく能力もなく、何も実行できない。実行や解決に結びつかない議論をして一体何になるのでしょう。
やりたいことはあるけれど、できないことを世の中のせいにし、できないときの言い訳だけを考え、だらだらと生きている人は多い。これを打破しなければいけません。(中略)
自分に能力がないことをさておいて、不満を言っていても何も変わりません。優れたアイデアを出して、それを実行し、問題を解決しなければなりません。」
このくだりには、なんだかオノレの鈍いアタマを殴られたような思いがいたしましたね。間違いなくわたくし自身も「だらだらと生きている人」の一人ですから。
社会が抱えるさまざまな問題や課題を、評論家づらして批判するばかりでは、進歩することなどあり得ませんし、やりたいことができない言い訳ばかり考えていては、自分自身の人生を好転させることも、またあり得ません。
自分自身の人生を前向きに切り開き、そのことが人を助け、世の中を楽しく、住みやすいものにすることに繋がったら•••。そんなささやかな勇気を、本書からいただいたように思いました。
単なる「お勉強」で終わるだけではなく、自らの人生を切り開き、社会を楽しいものにしていくためのヒントや勇気を与えてくれる一冊であります。