読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『「弱くても勝てます」』 「弱いからこそ」できることがある。

2014-06-29 20:01:09 | 本のお噂

『「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー』
高橋秀実著、新潮社(新潮文庫)、2014年(元本は2012年、新潮社より刊行)


毎年200人近くが東京大学に合格するという「日本一の進学校」開成高校。
その一方で、スポーツの世界での知名度はほとんどなかったというこの高校が、やにわに注目を浴びることになったのが平成17年夏のこと。この年の全国高校野球選手権大会の東東京予選で、開成高校の硬式野球部はベスト16にまで勝ち進んだのです。
しかしながら、開成野球部がグラウンドで練習できるのは、わずか週1回。それも3時間ほどの練習です。さらには、選手たちのプレイは異常なまでに下手でエラーだらけ。にもかかわらず、のベスト16進出だったのです。
「なんで開成が?」という驚きとともに、その「強さ」の秘密を探るべく開成野球部を取材したのが、独特の面白さを持ったノンフィクションで人気のある本書の著者、高橋秀実さんです。
本書は、開成野球部の監督による、野球の常識を覆すような独創的なセオリーと、下手でありながらも生真面目に野球に打ち込む選手たちの姿を、絶妙な笑いを誘う筆致で描いたノンフィクションです。

一般的な野球のセオリーは「確実に取り、確実に守る」というものですが、開成野球部のそれは相手の不意を突いて大量点を取るという、監督いわく「ドサクサに紛れて勝っちゃう」「ハイリスク・ハイリターンのギャンブル」。なので、勝つときも負けるときも大量点差のコールドゲームで「開成の野球には9回がない」のです。
一般的な野球のセオリーと同じ、普通のことをしていたらウチは絶対に勝てない、という監督に高橋さんは「開成は普通ではないんですね」と言います。すると監督は「いや、むしろ開成が普通なんです」と返して、このように語ります。

「高校野球というと、甲子園常連校の野球を想像すると思うんですが、彼らは小学生の頃からシニアチームで活躍していた子供たちを集めて、専用グラウンドなどがととのった環境で毎日練習している。ある意味、異常な世界なんです。都内の大抵の高校はウチと同じ。ウチのほうが普通といえるんです。」

わたくしは読んでいて、この言葉に妙に頷けるものがありました。
高校野球やスポーツ全般はもちろん、それ以外の分野においても、常に勝ち続けて上に行くような「勝ち組」なんてほんの一握り。その他大勢は普通、もしくは弱くて目立たない存在でしょう。そのような弱くて目立たない存在が、常勝組と渡り合うためには、普通のやり方ではダメなのだ、という考え方はとても腑に落ちるものでした。
普通のセオリーとは違うゆえ、監督は多少のエラーがあろうと動揺したりはしませんし、小賢しい野球をしようとせずに思い切って勝負にこだわることを選手たちに求めます。
「野球には教育的意義はない、と僕は思っているんです」ときっぱりと言う監督は、このように続けます。

「野球はやってもやらなくてもいいこと。はっきり言えばムダなんです」
「とかく今の学校教育はムダをさせないで、役に立つことだけをやらせようとする。野球も役に立つということにしたいんですね。でも果たして、何が子供たちの役に立つのか立たないのかなんて我々にもわからないじゃないですか。社会人になればムダなことなんてできません。今こそムダなことがいっぱいできる時期なんです」
「ムダだからこそ思い切り勝ち負けにこだわれるんです。じゃんけんと同じです」


これらの言葉も、なんだか胸に沁みてくるものがありました。ムダを排斥し、“教育的意義”なるものを強調しすぎる学校教育、さらには社会のあり方が、ともすれば子どもたちを狭い価値観の中に押し込めているのではないか•••。そんなことにも思いを巡らせてくれました。

独創的なセオリーを持つ監督のもとに集まっている選手たちも、一人一人がまた実にユニークな存在なのです。
さすが「日本一の進学校」だけあって、選手たちも頭の良い子揃いだなあ、という印象なのですが、やたら考え過ぎなところがあったりして「なにもそんなコトまで考えんでも•••」と思ってしまったりします。
「僕は球を投げるのは得意なんですが、捕るのが下手なんです」という内野(ショート)の選手に、高橋さんは「苦手なんですね」と相槌を打ちます。すると件の選手は「いや、苦手じゃなくて下手なんです」と応じます。どういうこと?と首を傾げる高橋さんに答えていわく••••••

「苦手と下手は違うんです。苦手は自分でそう思っているということで、下手は客観的に見てそうだということ。僕の場合は苦手ではないけど下手なんです」

かくのごとく珍妙なやりとりが至るところに出てくるので、読んでいて笑いを抑えることができないのですが、選手たちの野球に取り組む姿勢はあくまでも生真面目。その姿勢には素直に好感が持てます。そして、そんな選手たちの中からも、ハッとさせられるような言葉が飛び出したりします。
将来はプロ、それもメジャーリーガーになりたいという夢を語る長身の選手。「あんまりプロ向きの高校ではないよね、開成は」という高橋さんに、その選手はニヤリと笑って「逆に、開成に来たからプロになりたいと決意できたんです」と答えるのです。そのココロは••••••

「プロになる環境としては、ここは最悪じゃないですか。設備もないしグラウンドも使えないし。でもなんていうか、ここで頑張れたら、この先どこでもやっていける感じがするんです。(中略)プロって自己管理が大切だと思うんです。その点、開成はすべて自分で管理しなきゃいけない。人間関係とかじゃなくて、本当の野球の厳しさがここにあるんです」

実にまっとうな考え。これにもまた「むむむ」と唸らされましたね。ここにもまた、マイナスの状況を強みに変えようとするしたたかさがありました。

弱くても、というより「弱いからこそ」、できることがあるんだなあ。
本書を読んで、そのようなことにあらためて気づかされ、なんだか勇気が湧いてくるようでありました。
しかしそれより何より、本書は場外ホームランのようにめったやたらと面白いのです。初めから終わりまでずーっと、大笑いと含み笑いを抑えられなかったくらいで。実のところ、わたくしは高橋さんの本を読んだのは本書が初めてだったのですが、この一冊ですっかり、気になる書き手の一人となりました。
正直、こんなヘタッピな紹介文では、本書の面白さの10分の1、いや100分の1も伝えきれていないなあと、忸怩たる思いなのであります。
「とにかく面白くて楽しめることは間違いないのでどうぞお願いだからお読みくだされ!」
結局のところは、その一言に尽きるのであります。

まもなく、高校球児たちの夏が始まります。開成高校野球部にとっての2014年の夏は、いかなるものとなるのでしょうか。ちょっと楽しみな気がいたします。

【読了本】『仕事に効く教養としての「世界史」』 過去と現代を見通すための活きた教養が身につく一冊

2014-06-29 20:00:53 | 本のお噂

『仕事に効く教養としての「世界史」』
出口治明著、祥伝社、2014年

ライフネット生命保険の会長兼CEOとして、ビジネスの第一線で活躍しておられる出口治明さんは、無類の読書家としてもつとに知られております。また、読書欲をそそるような卓抜なブックレビューを、ビジネス誌などに発表しているレビュアーでもあります。
とりわけ得意としておられるジャンルが歴史書。簡潔な文章の中に、歴史についての深い教養と識見がギュッと詰まった出口さんの歴史書レビューは、それ自体教えられるところが多くあります。•••もっとも、紹介された本がついつい欲しくなって思わぬ散財をしてしまう、という副作用もあるのですが(笑)。
その出口さんが初めて、歴史をテーマにして出版された本が、この『仕事に効く教養としての「世界史」』であります。
その書名から、ビジネスパーソンに向けたありがちなノウハウ本的内容を想像される向きもあることでしょう。確かに冒頭では、グローバルになったビジネスの世界で、日本の文化や歴史についても問われる機会が増えてきているであろう、ビジネスパーソンたちを意識した言葉が並んでおります。ですが、本書は親しみやすい語り口と、歴史の見方が変わるような新鮮な切り口により、ビジネスパーソン以外の方々にも面白く読めるものとなっています。

本書の基本的なコンセプトは、「日本が歩いてきた道や今日の日本について骨太に把握する鍵」を、世界史の中に見出していく、というもの。総論的な第1章において、出口さんはこう言います。

「世界史の中で日本を見る、そのことは関係する他国のことも同時に見ることになります。国と国との関係から生じてくるダイナミズムを通して、日本を見ることになるので、歴史がより具体的にわかってくるし、相手の国の事情もわかってくると思うのです。すなわち、極論すれば、世界史から独立した日本史はあるのかとも思うのです。」

そのことを示す例の一つとして、出口さんは幕末におけるペリーによる日本への開国要求を挙げます。
学校の歴史の授業では、捕鯨船に使う石炭や水の補給基地として開国を求めた、と教えられたりしていたわけですが、アメリカに残る文書によれば、クジラがどうのこうのというのは「どうでもいい」んだとか。
当時のアメリカのライバルだったのが、対中国貿易をめぐって争っていた大英帝国。新たなルートを開拓して中国と直接交易しない限り、大英帝国には勝てない、ということで、これまでの大西洋航路に替わる太平洋航路の有力な中継地点として、ペリーは日本に開国を迫った、というのです。なるほど、そういうことだったのか!
一国の史実を見ているだけではわからなかった、歴史の持つ大きなうねりやダイナミズムというものが、はっきりと見えてきたように思いました。

以後の章では、「神はなぜ生まれたのか。なぜ宗教はできたのか」や「中国を理解する四つの鍵」「交易の重要性」などのテーマから、過去と現代を見通すための視点が提示されていきます。
「中国を理解する四つの鍵」の章では、四つの鍵の一つである「諸子百家」をめぐる記述に興味深いものがありました。
国を治めるための文書行政に役立ち、中国を動かしていた法家。BC500年代、中国の高度成長の追い風を受けて広まっていった、孔子の教えをもとにした儒家。それに対抗するように、自然との共存と脱成長を指向して「秘密教団的」に支持された墨家。そして、そういった光景を「どっちもどっち」とクールに見つめていた知識人たち。
出口さんは、それらの諸子百家は必ずしも対立していたのではなく、棲み分けていたのではないか、と見ます。

「老子と孔子が対立していたのではなく、それぞれのポジションをきちんと取っていた。法家は霞ヶ関、儒家はアジテーション、墨家は平和デモ、それを冷ややかに見ている知識人は道家というように、棲み分けていたのではないか。」

そして、古代の始皇帝から同じシステムでずっと国が続いているという、世界でも冠たる長さを誇る中国の安定性の秘密は、こういった各種思想のいろいろな棲み分けの賢さにあるのではないか、とします。この見方には目からウロコでしたし、これまであまりよくわかっていなかった、諸子百家を代表する思想のポジションというものも、いくらかはわかったように思いました。

「アメリカとフランスの特異性」という章では、過去からの伝統を断ち切って、理念先行により生み出された「人口国家」としてのアメリカと、フランス革命後のフランスの歴史の流れを追っていきます。そして、アメリカが「グローバルスタンダード的」な「普通の国」ではなく、「とても変わっていて特異かつ例外的」であることを論証していきます。この章も、アメリカという国を理解し、付き合っていく上で、とても重要な視座を提供してくれているように思えました。
この章では、人間の理性を信じたイデオロギー優先のフランス革命やアメリカ建国の精神に対して、
「人間は賢くない。頭で考えることはそれほど役に立たない。何を信じるかといえば、トライ・アンド・エラーでやってきた経験しかない」
との懐疑主義のもと、近代的保守主義が生まれた、との話も面白かったですね。ここでは、理念先行型の国づくりの限界とともに、日本における「保守主義」のあり方についても、考えさせられるものがありました。

膨大な読書量と、豊富な海外経験に裏打ちされた出口さんの歴史に対する見方は、自国中心主義に凝り固まることもなければ、西洋史観におもねることもなく、とてもバランスが取れています。なので、本書からは歴史と人間を知り、現代を見通すための幅広い視座、そしてお飾りではない活きた教養への手がかりを得ることができました。
欧米の方ばかりを向いているような「グローバル」が幅を利かせる中、本当の意味でグローバルなものの見方が、本書にはあるのではないでしょうか。
本書を起点にしながら、さまざまな歴史書に進んでいけば、さらに深みのある歴史の見方ができそうですね。

「歴史を勉強するうえでは、1192(イイクニ)年に鎌倉幕府が成立したのか、いやもっと早かったのか、などという年号のことは、じつはどうでもいい。人間のやってきたことを大きな目で眺めて、将来を考えるよすがや、その視点を得ることが歴史を学ぶ意義であると思います。」

このような出口さんの考え方は、いまやビジネスパーソンのみならず、幅広い立場の人たちにも必要とされているように思います。それだけに、多くの人たちに幅広く読まれて欲しい一冊であります。