『読書と人生』
寺田寅彦著、KADOKAWA(角川ソフィア文庫)、2020年
(原本は1950年に角川書店より刊行)
今年の5月以降、角川ソフィア文庫として刊行が続いていた寺田寅彦の随筆集。今回取り上げるのは、10月に刊行されたばかりの『読書と人生』です。
数ある寺田の随筆から、読書や書物、学問、ジャーナリズムといったテーマに関する作品で構成された本書は、いわば寺田流の「読み」と「学び」を概観できる一冊といえましょう。岩波文庫版『寺田寅彦随筆集』で読んだ作品もいくつかありましたが、今回初めて読んだ作品もけっこうあり、興味深く読むことができました。
日本橋の南北に位置する、書店の丸善と百貨店の三越を取り上げた「丸善と三越」(大正9年)は、角川書店創業者にして国文学者でもあった角川源義の言葉を借りれば「大患を契機とした寅彦随筆の転換」(本書巻末の解説より)となった作品です。それまで叙情的な写生文を得意としていた寺田は、この作品以降は科学的なものの見方をベースにしながら、近代の文明や社会、人間を巧みに、そして歯切れ良く論じるスタイルへと変化していくことになります。
「丸善と三越」ではまず、さまざまな国とジャンルの洋書が並んでいる丸善の店内の様子が細かく描写されます。そして、近代の人気作家のものが最も目につきやすいところに並んでいて、過去の作品はほとんど目につかない文学書のコーナーを見た寺田は、「古いものを新しい眼で見るのや、新しいものを古い眼で見るような閑(ひま)つぶしの仕事」が顧みられない「忙しい今の時代」に、控えめながらも違和感を含んだ感慨を記します。
そして後半、三越の店内に並んでいる呉服物から、「虚栄心という簡単な言葉」で説明される「婦人の美服に対する欲望」について考察します。ここでは、美服を万引してしまう行為を、単に「虚栄心」として片付けるような見方に疑問を呈した上で、その衝動の背後には卑近な物質的欲望だけではなく、「社会の組織制度に関するある理想に心酔して、それがために奪い殺し傷ける事をあえてする」ような「広い意味において道徳的な理想に対する熱烈な憧憬が含まれているかもしれない」と指摘し、こう記します。
「いったい普通に使われる利己と利他という両(ふた)つの言葉ほど無意味な言葉は少ない。元来無いものに附せられた空虚な言葉であるか、さもなければ同じ物の別名である。ただ人を非難したり弁護したりする時や、あるいは金を集めたり出したりする時に使い分けて便利なものだから誰れでも日常使ってはいるが、今自分の云っているような根本の問題にはなんの役にも立たないものである」
これはとても印象に残る一節です。一見すると違うもののように思える「利己」と「利他」が、実のところ根っこは同じであるという鋭い指摘を含んだ「丸善と三越」は、近代消費社会論のはしりとしても、非常に興味深い一篇であるように思います。
本書収録の作品のなかで、本格的な読書論といえる一篇が「読書の今昔」(昭和7年)。ここではまず、「商品」としての性格が強くなった、現代における書籍についての考察から始まります。
化粧品や売薬と同じように、広大な面積の新聞広告によって高められた「評判」によって、「商品」としての書籍が多くの人びとに選ばれ買われていく・・・。寺田が描き出す、昭和初期の出版をめぐる状況が、現代の日本とほとんど変わっていないことが見てとれます。
続いて寺田は、幼少期における自らの読書遍歴を振り返り、書物が容易には手に入らなかった頃の自分たちにとっては、書物は決して「商品」ではなく「尊い師匠であり、なつかしい恋人であって、本屋はそれをわれわれに紹介してくれる大事な仲介者であった」と述べます。その上で、「商品」として溢れている書物を多読することの弊害を、こう指摘します。
「読みたい本、読まなければならない本があまり多い。みんな読むには一生がいくつあっても足りない。また、もしかみんな読んだら頭は空っぽになるであろう。頭を空っぽにする最良法は読書だからである」
哲学者のショーペンハウアーが、「多読に走ると、精神のしなやかさが奪われる。自分の考えを持ちたくなければ、その絶対確実な方法は、一分でも空き時間ができたら、すぐさま本を手に取ることだ」(『読書について』鈴木芳子訳、光文社古典新訳文庫版より)と語っていたことが思い出されて、実に耳の痛い思いがする一節であります。
耳が痛いといえば、客から問い合わせられた書物が眼前の棚にあるにもかかわらず、それを見つけ出すこともなく「ない」と答えるような書店の店員に接して「はなはだ淋しい気持ちを味わう」とあるところも、本屋に勤める人間の端くれとしてはまことに耳の痛い、自戒すべき話でありました。
本書にはジャーナリズム論も2篇収録されているのですが、寺田のジャーナリズムに対する見方は、けっこう辛辣なものがあります。
「一つの思考実験」(大正11年)は、のっけからこう切り出します。
「私は今の世の人間が自覚的あるいはむしろ多くは無自覚的に感じるいろいろの不幸や不安の原因のかなり大きな部分が、「新聞」というものの存在と直接関係をもっているように思う。(中略)私はあらゆる日刊新聞を全廃することによって、この世の中がもう少し住心地のいいものになるだろうと思っている」
寺田はこの考えのもと、日刊新聞が本当に必要なものなのか、そしてそれを全廃することによって生じる効果を「思考実験」という形で考察していきます。寺田は、新聞が日々報じているさまざまな記事の大部分は、「ある種のデマゴーグ的政治家、あるいは投機的の事業にたずさわるいわゆる「実業家」のうちの一部」を除く、多数の「善良な国民」がたとえ一ヶ月くらい遅れて知っても少しの不都合のないものである、と述べます。そして、深い思索に値するような事柄を、不完全、不真実な新聞の報道によって軽々しく見過ごしてしまうような習慣は、物事を追究する能力をなし崩しに消磨させ、本当に有益な書物を熟読するための熱心さと気力を失わせるような弊害があるのではないか・・・と説くのです。
実はわたしもしばらく前から、寺田が言うところの「思考実験」を、図らずも実行し続けております。新型コロナウイルスに関する多くの報道が、あまりにも不安や恐怖心を煽り立てるようなものとなっていることに嫌気がさし、新聞やテレビなどの報道から極力距離を置くようにしているのです。そのことにより、いささか社会の動きには疎くなってしまってはおりますが、普通に社会生活を営んでいれば、自分にとって本当に必要なニュースは自然と耳に入ってきますので、日々の生活を営む上ではそれほど不都合は感じません。
その上、余計なニュースをシャットアウトすることで読書の時間も増えて、ニュースでは得られないようなしっかりした知見に触れることができるのですから、もういいことづくめです。なので、寺田の「思考実験」の意義がとてもよく理解できます。「日刊新聞」を「テレビ」や「ネット(とりわけSNS)」に変えてみれば、現代でも十分通用することでありましょう。
もうひとつのジャーナリズム論である「ジャーナリズム雑感」(昭和9年)では、その日その日に起こる事件や出来事を、これまでに起こった同じような事件の類型に当てはめて報じていく、ジャーナリズムにおける「具体的事実の抽象一般化、個別的現象の類型化」が論じられます。これについて寺田は、新聞が「世界の現象自身を類型化すると同時に、その類型の幻像を天下に撒き拡げ、あたかも世界じゅうがその類型で充ち満ちているかのごとき錯覚を起こさせ、そうすることによって、さらにその類型の伝播をますます助長するのである」と述べています。このくだりからも、毎日毎日「新規感染者数」を積み上げていき、あたかもそこらじゅうに新型コロナの感染者や死亡者が溢れているかのような錯覚を人びとに起こさせ、いたずらにパニック状況を増長させていく、目下のメディアの報道を想起させられました。
寺田は本論の最後で「毎日毎夕類型的な新聞記事ばかりを読み、不正確な報道ばかりに眼を曝していたら、人間の頭脳は次第に変質退化(デジェネレート)していくのではないか」と述べ、にもかかわらずジャーナリズムが類型的な報道をやめようとしないのは、「「定型」の永久性を要求する大衆の嘱望によるものであろう」と喝破します。これにもまた唸らされました。
思えば、新型コロナをめぐるパニック状況も、恐怖心や不安を増長させる洪水のごときコロナ報道によって、われわれの頭脳が「変質退化」させられていく過程でもあったように思われてなりません。それだけに、本書に収められた寺田のジャーナリズム論2篇が広く読まれることを、願ってやみません。
科学者に必要な資質を問う「科学者とあたま」(昭和8年)では、自分の頭の力を過信してしまうような、いわゆる「頭のいい人」の弱点が、巧みな比喩によって指摘されていきます。いわく「脚の早い旅人のようなものである。人より先きに人のまだ行かない処へ行き着くこともできる代りに、途中の道傍あるいはちょっとした脇道にある肝心なものを見落とす恐れがある」。またいわく「富士の裾野まで来て、そこから頂上を眺めただけで、それで富士の全体を呑込んで東京へ引返すという心配がある」。そして、極めつけの名文句がこちら。
「頭のいい人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打明けるものである」
寺田はこの一文で、人間の頭の力の限界を自覚して愚かな自分を投げ出す「頭の悪さ」とともに、観察と分析と推理の正確周到という意味での「頭のよさ」が、科学者には必要であると説いています。これは科学の研究に限らず、さまざまな分野においても参考になるような話であるように思います。
同じく、科学研究のあり方をテーマにした一文「科学に志す人へ」(昭和9年)のなかで、「自分はどうも結局自分のわがままな道楽のために物理学関係の学問をかじり散らしてきたものらしい」と書いている寺田が、物理学研究における師と仰いでいたのが、気体の密度に関する研究とアルゴンの発見によりノーベル賞を受賞したイギリスの科学者、レーリー卿です。「レーリー卿(Lord Rayleigh)」(昭和5年)は、レーリーの生い立ちから死までを辿った小伝です。
空の青さの謎を解くための研究から音響理論の研究、地下鉄の振動対策、航空力学の研究、さらにはカブトムシの色を調べたり、心霊現象に関する実験(!)まで行っていたというレーリーも、自分の楽しみのために学問と研究に取り組んだ人物でした。寺田のこの小伝の行間からは、レーリーに対する親近感と敬意がたっぷりと滲み出してきます。
なお、寺田とレーリーとの関係性については、理学博士で科学史家でもある小山慶太さんの著書『寺田寅彦 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学』(中公新書、2012年)に詳しく書かれておりますので、関心のある方はそちらもぜひ。・・・といってもこの本、現在(2020年11月時点)では品切重版未定となっているのが、まことに残念ではありますが・・・。
本書には歌集や随筆集、科学啓蒙書を取り上げた書評文も収められていますが、その中でとりわけ興味を惹かれたのが「『徒然草』の鑑賞」(昭和9年)です。酒飲む人のだらしなさを描く一方で酒の効能を説くなど、一見矛盾するような記述をする兼好の姿勢について、「ものの両面を認識して全体を把握し」「可と不可とに対する考えをきめようと」する科学者のものの見方との共通性を指摘したりしていて、『徒然草』に対する新鮮な関心を呼び起こしてくれました。
また、さまざまな古紙を再生して作られた浅草紙を手がかりにして、文学や美術におけるオリジナリティについて論じていく小品「浅草紙」(大正10年)も、面白く読めました。
寺田寅彦流の「読み」と「学び」を集大成した『読書と人生』は、時代を越えて通用する豊かな洞察力で、考えるためのヒントをたっぷりと与えてくれました。
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