読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

ディープな視点で長崎の歴史を掘り返す『長崎ぶらぶら好き』

2013-01-24 22:19:57 | よもやまのお噂
宮崎市にある「宮崎ケーブルテレビ」。宮崎市とその周辺の市町をエリアとするケーブルテレビ局であります。地域に根ざした独自番組などを頑張って製作したりもしていて、それらをちょこちょこ観たりなんぞしております。
地元独自番組だけでなく、他県のケーブルテレビ局の番組もときどき放送していたりするのですが、その中で長崎市の「長崎ケーブルメディア」製作の『長崎ぶらぶら好き』はなかなか面白い番組であります。

江戸時代の古地図を片手に、かつての歴史を掘り返しながら長崎の街を散策するという、長崎版『ブラタモリ』のようなオモムキの番組が『長崎ぶらぶら好き』。
その歴史の掘り返しかたというのがなかなかディープ。ビルとビルの間の細いスキマから昔の石垣を見出したり(番組では「長崎のチラリズム」という言い方をしとりましたが)、民家の裏あたりに入り込んではお堀の跡を観察したり。
観光ガイドブックには当然載ることもないような場所に隠れている、かつての長崎の歴史を物語る事物。それらが長崎の持つ歴史の厚みを伝えてくれるようで、まことに興味津々なのですね。

いま宮崎ケーブルテレビで放送している回では、初めて知ることになった興味深いことを教えてくれました。
現在、長崎市内で役所や学校などの公共の場所があるところ。その多くは、江戸時代からすでに奉行所などの公共の場所があったところであり、さらにその元をたどると、豊臣秀吉による禁教令以前の教会があった場所だった、というのですね。さすがにこれは知りませんでした。

そしてもう一つ「へぇー、そうだったのかー」と思ったこと。
豊臣秀吉は禁教令を出しながらも、当時日本における布教を独占的に行っていたイエズス会に対しては、その布教を事実上黙認していた、といいます。
ところが、イエズス会に対抗するように、活発な布教活動を行ったフランシスコ会の動きは秀吉の逆鱗に触れ、宣教師や信徒たちの処刑(いわゆる「二十六聖人」)に至った、という話(直接の原因は、スペイン船『サン・フェリペ号』漂着に端を発した事件のようですが)。このこともわたくし、初めて知りました。
番組自体は気楽に観られるつくりながら、けっこう好奇心を刺激してもくれるのであります。

そうやって好奇心を刺激されているうち、無性に「あー長崎の街をさるき回り(歩き回り)たいなあ」と思えてくるのです。
思えば、長崎には中学校のときに修学旅行で行ったきり。それも集団で押しかけて上っ面をかすっただけのものでしたから、長崎の持つ真の魅力や実力を味わうこともありませんでした。
あらためて、じっくりと時間をとって長崎を訪れ、足が痛くなるくらいさるき回ってみたいなあ。昼は歴史散策。で、夜は呑み歩き。

ブログ開設から2回目の記事ですが、メインであるハズの本の話をまだしておりませんね(軽く汗)。次回あたりはぜひ本のお噂などお目にかけたいな、と。

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