たそがれおじさんのぐうたら人生(TOGZ) 

「とかち」をこよなく愛するおじさんが自転車で巡る十勝野風景を発信(晩秋の日高山脈11/8)

かくして父親は入植者となり、おじさんの故郷になった 

2019年12月12日 | 日記

おじさんの断捨離

 

実家のあった

アジト十勝太の整理も一段落しました

 

ほとんどは

くりりん(ごみ処理場)へ運び込み

処理しましたが

 

写真や資料類は

自宅に持ち帰り

改めて

残すもの

廃棄するもの

 

やっと整理が終わりました

 

おじさんも初めて目にする文書などもあり

わが家の歴史を知るうえで

貴重な作業となりました

 

とりわけ

父親が

戦後開拓者として

入植した

十勝太の土地取得の文書は

おじさんにとって

貴重なものの一つでした

 

父親は

軍隊の軍馬補充部付きの

獣医として終戦を迎えました

獣医を生かす道はあったようですが

生き物と自然の中での暮らしにあこがれて

母親の実家に居候しながら

土地を取得する道を選んだようです

(人間関係で苦労はしたくなかったと聞いたことがあります)

 

入植に関する書類がいくつか発見しました

 

その中から

二つほど

入植時の実態を記録します

 

開墾費の内示に関する文書のようです

いわゆる補助金でしょうか?

 

この文書から

いくつかのことが読み取れました

 

内示者は

北海道庁十勝支庁

 

払い下げの土地は

2町歩

 

その土地を実地調査した日付は

昭和21年7月28日(と読み取れます)

 

開墾費は

二千円

反当り百円

 

次の文書は

入植(殖)の確認證

この文書をもって

父親の入植を再確認したのだと思います

 

払い下げ用地の調査が

昭和21年に終わっていて

開墾費まで明示されているので

決定はもう少し早かったのではないかと思っています

 

この文書が決定文書としても

開墾は昭和22年には始まっていたのでは...

おじさんの推測ですけど

 

内容から

いろいろな読み取りができます

 

入植に当たっては

終戦間もなくのこと

食糧不足

一般の人や復員軍人の就労など

農地としての入植と開墾は

国の施策もあったと思います

 

お金のほかに

農具などを手当てする旨の

文書もありました

 

 

父親は

十勝太という気象条件に恵まれない土地で

開拓者となって

おじさんたち家族を

養ってくれたということです

 

いまさらながらに

感謝の念を禁じえません!

ありがとうございます!!

 

語ればいろいろとありますが...

 

かくして

おじさんの故郷は

十勝太となったわけです

 

心の原風景は

十勝太なのであります

 

故郷の十勝太は

おじさんのDNAに組み込まれたようなものです

 

故郷から乳離れできない

おじさんがいます!

 

年齢を重ねると

身体が言うことを聞きません

やがては

通えなくなることを知っていながら...


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