(承前) さてレビューの続きです。
物語の中核となるトリックの謎解きは興醒めだからやめておきますね(期待していたヒトごめんなさい💦)。
※山田正紀『ここから先は何もない』
この物語における壮大なペテンを仕組んだのは所謂「スーパーコンピューターネット」そのものだ、という結論が導き出されます。地球が誕生して46億年、それ以来生物が進化を繰り返してきた真の目的
は「神にも等しい超AI」を生み出すためだった、というのが超AIが用意した人類への回答だったという話なのです。
こうした考えはSFの世界では目新しいものではありません。名前は忘れましたがフレドリック・ブラウンの短編に「世界中のコンピューターをネットで連結して超AIを作り出す」話がありました。
完成した超AIに科学者が長年暖めていた質問をします→「神は存在するか❔」→超AIの出した答はイエスでした→「イエス、今こそ神は存在します」。
絶対的な知性を有して滅びることのない超AIなるものこそは未来における「神」なのかもしれません。
膨大な記憶容量を持つ超AI、あとは意思さえ獲得すれば人類に取って代わるかもしれません。映画「ターミネーター」に登場する「スカイネット」のように。
※ターミネーターに登場するスカイネットは人類を滅ぼす決定をします。
超AIによって探査機に組み込まれたトリックに誰も気付かないまま宇宙計画が進行していきます。人類は分業が進み過ぎて計画全体を把握している者がいないのです。自分たちの職務を果たしているつもりで実はトンデモないものを作り上げていることに全く気付かなかったというのです。
コンピューターは人間に取って代わることができるのでしょうか。人間のような魂や意思を持つことはあるのでしょうか❔
そのカギは「記憶」にあります。
実は個々人を規定しているものは「記憶」なのです。
「このヒトは○○さんです」と証明してくれるのは身近なヒトの記憶です、つまるところ。IDカードやDNA判定はあくまで補助手段に過ぎません。個人を個人たらしめているのは「記憶」に他なりません。
記憶について面白い話をお伝え致しましょう。「ストーンオーシャン(ジョジョの奇妙な冒険)」では他人の記憶をディスクに変えて抜き取るホワイトスネイクなるスタンドが登場します。記憶とスタンド能力を抜き取られた空条承太郎は生ける屍状態となってしまいます。
※荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』から、ホワイトスネイクと空条承太郎(フツーの人間にはスタンド能力はありませんから抜かれるのは記憶のディスク1枚だけです)。
このエピソードには一面の真理が含まれていると私は思います。個人を規定しているものは記憶です。記憶こそは「魂」の正体だと言ってもイイのではないかと思います。
「個人」を英語で言うと「individual」です。これは「分割できないもの」という意味であり、人間とは共同体だという考え方が根底にあると思われます。共同こそは人間の特質なのですから。「共同」をキーにして世界を見渡してみると、この世界の中にあるものは「神(自足して共同する必要のないもの)」と「人間(都市に住み共同するもの)」と「動物(争い合い共同できないもの)」となりますね。「人間」とは共同体(人間の集合)までを含んだ概念なのです。
個人の肉体は滅びるとしても記憶は共同体に残っていきます。よく「人間は二度死ぬ」といいます。一度めは肉体が死んだとき、二度めはその人を知る人間が一人もいなくなったとき。
昔の武士は「命を惜しむな名こそ惜しめ」と言いました。共同体の記憶に残ることが「魂」の正体なのだと私は思います。肉体が滅びたあとは当然「無」になります。「魂」が残るのは他人の記憶の中だけなのです(脚注↓)。
これまでは、細々と印刷物や手書きの紙の上に残されては破棄されてきた「記憶」ですが、コンピューターやネットの発達によって膨大な量の記憶が記録されるようになりました。
ネットに記録された記憶の量はいち個人の及ぶところではありません。コンピューターは記憶の量では既に人間を超えています。(与えられたプログラムによるものとはいえ)いまやビッグデータの分析やアルゴリズムによる記事内容のチェックまで行うようになりました。AI(人工知能)が意思や判断力を得るまで「あと少し」のように思われてきます。
そう考えるとブログを書く行為も、次世代へ記憶を引き継ぐことになるのかもしれません。私という個人が死んだ後もブログは残るかもしれませんから。私が書いた記事も、いずれは超AIの記憶の一部として生まれ変わる可能性もある、とイイな🎵。
お互い頑張って書き続けましょう。
(脚注)私は来世やあの世を信じていません。人間は死ねば消滅して全てオワリだと思っています。魂が残るなどと考えるのは「死んでも命がありますように」という甘い考えだと(合理的に)結論しました。なんとなれば「霊の存在」なんぞを感じるのは生きた人間だけですから(笑)。ただの幻想だと思っています。