吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

偉人評伝(06)『法然(ほうねん)』

2018-10-31 06:28:00 | 偉人の足跡に学んでみようか
 

 好評の偉人評伝シリーズ。今回は法然上人を取り上げたいと思います。


※法然上人(1133-1212) 正しくは『法然房源空』。

 法然は武家に生まれたが、少年時代に父親が惨殺されてしまうのです。
 このことが法然の人生に大きな影を落としていると思うのですが、伝わる伝記にはそうした影は片鱗もありません。
 なぜかこのヒト、極めて優等生的な人生を送るのです。自分というものを押し殺した人生だったのかもしれません。

 本来であれば武家の跡目を継ぐはずだった法然ですが、このままでは当然敵討ちをしなくてはなりません。
 カタキを捜して全国を隈なく旅し、運よく見つかるとあの有名な台詞の出番となるワケです。
 『おのれ父のカタキ〇〇〇〇〇〇、ここで遭ったが百年目、盲亀の浮木かぁ優曇華のぉ花咲く春の心地してぇ・・・いざ尋常に勝負!勝負ぅ~!
 で、また殺された側はカタキ討ちに・・・って、これじゃキリがないです。
 実際には全国を旅するうち、カタキに巡り合えないまま無念の死をとげるヒトも多かったようです。


※江戸時代の敵討ち・・・血煙高田馬場の中山安兵衛(阪東妻三郎)

 そんな実りのない人生を送るよりは僧になって家族の菩提を弔った方がマシだ、ということで法然は比叡山に預けられ僧としての修行に励みます(資料によって、出家が先で事件が後の記載もあります)。
 法然もまたたいへん優秀な頭脳の持ち主だったようで、比叡山に入山して2年で師匠から『もはや教えることはない』とされ、受戒を受けて18歳で法然となります。比叡山黒谷別所に移って以降は論争して負け知らず、『智慧第一の法然房』と称されるようになるのです。

 この頃盛んになった浄土思想に法然は強く惹かれるようになります。
 戦乱や社会不安を背景に、末法思想(『釈迦が仏教を興して千年の間は正しい法が伝わるが、やがて釈迦の教えは形ばかりのものとなり、ついには失われてしまう』という考え)とも相まって、人々は『極楽浄土に生まれ変わりたい』と強く願うようになるのです。


※浄土を求める文言『厭離穢土(おんりえど)欣求浄土(ごんぐじょうど)』は後に徳川家康の旗印になった。

 まず、浄土に生まれ変わるための修行として『観想念仏』なるものが考案されました。
 最初は仏様の眉間にある白毫から始めて、だんだんと仏様の身体全体、さらに鎮座する蓮の花、そして蓮池と極楽全体を脳内に描き出す修行です。カンバーバッチ版シャーロックでいうところの『精神の宮殿』みたいなスゴ技です。
 考えたのですが、現在ならこれVRで可能なんじゃないかと思います。
 どっかのお寺がスポンサーになって作れば『観想念仏ソフト』売れるのじゃないかしらン。


※VRゴーグルで極楽浄土・・・ってソフト、売り出したら儲からないかナ?

 実際には観想念仏なんてスゴ技に至る修行ができる人は限られていますので、『フツーの人は浄土に生まれ変わるなんてムリムり』と思われていた時代に法然は強烈なパラダイムシフトを行うワケです。
 すなわち『ただ一心に「南無阿弥陀仏」と念仏すれば誰でも極楽往生できる』と主張したのです。
 これにフツーの人々は飛びつきました。
 ムツカシイ修行は不要、ただただ「南無阿弥陀仏」と唱えればイイのです。
 それまでは『殺生を生業とする猟師などは極楽往生なんてとてもとても』でしたが、たとえ猟師であっても「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽往生できるというのですから、まことにありがたい教えなのです。


※さあ君も極楽浄土へGo!(極楽浄土[Gokuraku Jodo] / GARNiDELiA)

 実際に法然が旅して船上にいたとき、漕ぎ寄る船があり、乗っていたのは遊女たち。
 『私たちのような賤しい者でも極楽往生できるのでしょうか?
 この問いに答えて法然は力強く『おお、往生できるとも。南無阿弥陀仏と一心に唱えさえすればよいのじゃ。』と答えます。実に感動的なシーンです。
 こうして法然は、それまで救済されなかった人々を救うという事業に一生捧げるのです。

 さて『宗教者に必要なもの』とは何でしょう?人々に教えを語る弁舌の才でしょうか。強い信念でしょうか。
 私は、宗教者にとって一番大事なのは『神秘体験』だと思うのです。
 法然も修行中に『広間の壁全体に巨大な仏様のお顔がのっと現れた』というヴィジョンを視ています。
 また『中国における浄土宗の開祖善導(この時代からみて500年前のヒトです!)に会って教えを授かった』と言っています(明晰夢ですか!?)。
 こうした神秘体験こそが、宗教者を支える根幹であろうと思うのです。


※臼杵石仏の仏頭・・・法然が視たのはこんなヴィジョンだったのだろうか?

 ここから余談に入ります(このシリーズ、スンナリ終わることはできないのです)。
 浄土宗を語るとき承元の法難(または建永の法難)を避けては通れません。
 浄土宗も当時は新興宗教、信者を集めるために様々な催しを行います。
 そのひとつに六時礼讃なる念仏法要がありました。大勢の僧たちが集まって広場に人を集めて「南無阿弥陀仏」と唱和する催しです。
 浄土宗のお経って聞いていると木魚を連打して鉦を鳴らし、結構騒々しいのですが、大勢で集まってこれを演ると、さながらヘビメタのパフォーマンス、鋭いリフによるヘドバン&縦ノリの世界になって参ります。
 これにヴィジュアル系の若いイケメン僧侶をズラッと揃えたもんですから、これはご婦人方はタマリませんワナ。
 当時むさくるしい男どもが多い中に、頭を青々と剃り上げた禁欲的なイケメン集団(ジャニーズも真っ青です)、ご婦人方は『キャアアアア~ッ!』と絶叫、失神の騒ぎになりまして、感激のあまり出家するご婦人が続出したというのです。


※ヴィジュアル系ということで、とりあえずXJAPANの写真を入れてみました。

 建永元年十二月九日、後鳥羽院熊野山の臨幸ありき、その頃、上人の門徒住蓮・安楽等の輩、東山鹿谷にして別時念仏を始め、六時礼讃を勤む。定まれる節・拍子なく各々哀歓悲喜の音曲を為すさま、珍しく貴かりければ、聴衆多く集まりて、発心する人も数多聞こえし中に、御所の御留守の女房出家の事ありける程に、還幸の後、悪し様に讒ざんし申す人やありけん。

 侍女たちが勝手に出家したことに怒った上皇は、張本人とされた住蓮・遵西の2名を処刑し、法然は流刑の憂き目に遭ってしまいます。これが名高い承元の法難です(浄土宗三大法難のひとつ)。
 当時の浄土宗の持つ物凄いパワーを感じさせるエピソードです。


【悲報】なずなさん(ぺんぺん草のひとりごと)がブログ記事を閉じる!

2018-10-29 08:03:04 | 日々の私の主張とか考察とか

我々はひとりの友人を失った!
しかし、これは敗北を意味するのか!?
否!断じて否である!



ニセ記事を掲載したエロサイト側に比べ我がGooブロガーの力は微々たるものであった
にもかかわらず、今日まで戦い抜き勝利して来られたのはなぜか?
諸君!
我等目覚めたGooブロガーの目的が正義だったからだ!
これは諸君らが一番よく知っている。



我々は記事を剽窃され、エロサイトの誘引に利用された!
そして多くのブログ訪問者たちがエロサイトの陥穽に引っ掛かっていたこの年月を考えるがいい!
我々のブログ訪問者たちの純粋な気持ちが何度、このエロサイトの罠のために踏みにじられたことか!
こうした悪辣な罠の撲滅を目標に掲げるGooブロガーひとりびとりの正義のための戦いを神が見捨てるわけはない!
私の友人、諸君らが愛してくれたなずなさんはGooブログを去った!!なぜだ!?



新しい時代の覇権を我ら選ばれたGooブロガーが得るは歴史の必然である。
ならば、我らは襟を正しこの難局を打開しなければならぬ。
我々はこのGooブログを意見発表の場としながらも共に苦悩し錬磨して今日の文化を築き上げてきた…
かつて私はGooブロガーの革新はこの活動に参加する我々から始まるといった。
しかしながらエロサイト側の卑劣漢どもは自分たちさえ良ければいいと増長し我々に抗戦をする。
諸君の友人も、そのエロサイトの無思慮な抵抗の前にGooブログを去っていったのだ!



この悲しみも、怒りも忘れてはならない!
それを…なずなさんは…身をもって我々に示してくれた!
我々は今、この怒りを結集し、この活動に身を投じて、はじめて真の勝利を得ることができる!
この勝利こそ、Gooブログを去っていった者たちすべてへの最大のなぐさめとなる!



Gooブロガーよ!
悲しみを怒りに変えて立てよ、Gooブロガーよ!
我らGooブロガーこそ選ばれたブロガーであることを忘れないで欲しいのだ!
優良児たる我らこそブログ界を救い得るのである!

ジーク!(勝利) ハイル!(万歳)
ジーク!(勝利) ハイル!(万歳)
ジーク!(勝利) ハイル!(万歳)
ジーク!(勝利) ハイル!(万歳)
ジーク!(勝利) ハイル!(万歳)
ジーク!(勝利) ハイル!(万歳)
ジーク!(勝利) ハイル!(万歳)


※この記事はガルマ・ザビ追悼演説をもとにしたパロディです。本気になさらないでください。
キャンペーン・プロメテウスはその目標を達成し終結しました。
※なずなさんがブログ(ぺんぺん草のひとりごと)の全記事を閉じたのは本当です。


兵庫県いけばな展(後期)10月25日(日)~30日(火)大丸神戸店にて開催

2018-10-29 06:08:14 | 日々美しいものに触れようよ
 いま大丸神戸店で開催中の『兵庫県いけばな展(後期)』に行ってきました。


※兵庫県いけばな展(後期)10月25日(日)~30日(火)大丸神戸店

 各流派が花を競うので、これがなかなか面白いのです。


※①1階のお迎え花は兵庫県いけばな協会長の作品です。


※②池坊(これは四代目専好の作品)の立花はいつも凛々しい。


※③これも池坊の立花。足元が締まっているので立ち姿が美しいです。


※④未生流(庵家)の作品・・・どうしてもこの角度に立てたいのねっ!


※⑤小原流家元作品。


※⑥これも小原流。シダを編み込んだユニークな作品です。


※⑦佳生流の大作・・・ド迫力です。


※⑧今回の嵯峨御流はイマイチ冴えない。


※⑨どうした嵯峨御流・・・これじゃ他流派の盛花だぞ。もっと独自色を出せ。


※⑩これこれ、この「変さ」が嵯峨御流ですよ。

<以下2作品はコメントご指摘により復活>

※⑪及び⑫はいったん掲載をやめていた2作品(どちらも小原流)

 10月30日(火)までやってます。

日本いけばな芸術展(10月3日(水)~8日(月)大阪高島屋)に行ってきました

2018-10-28 05:29:10 | 日々美しいものに触れようよ
 写真の整理が出来てなくて、アップが遅くなりましたが、観てきました。


※日本いけばな芸術展(10月3日(水)~8日(月)大阪高島屋にて開催)


※①1階のお迎え花は小原流家元作品・・・って、これ何!? 変な球体にカボチャ!?『才能ナシ』だわ、こりゃ。


※②展示作品も・・・これで小原流家元・・・って絶望を感じるワ。間違った方向に頑張っている。


※③これも小原流・・・何かイマイチだなぁ。スッキリしない。


※④こういうのが小原流の花だろっ!・・・お家元はもっと精進が必要ですナア。
 ニーテェの言う『ラクダの時代(修行時代)』を経ずに家元を継いでしまった悲劇というべきか・・・『自分はパフォーマーだ』と言っているらしい。伝統的な花形をキチンと学んで、そこから個性を磨くのが正しい手順というものです。


※⑤草月流・・・どうした!? 大工になるのかっ!? 木の香りはイイが、構造的にどうなんだ?


※⑥草月流・・・これは流石です!


※⑦御室流・・・枯れ蓮が斬新!


※⑧未生流・・・どうしてもこの角度にしたいのネ。


※⑨未生流中山文甫会。


※⑩京都未生流・・・これもアリなの!? そろそろ田舎から箱でみかんが届く季節だ。


※⑪知香流・・・フィギュアとかジオラマにせずにいられない流派です。


※⑫一光流・・・小品だがイイ作品です。


※⑬嵯峨御流の大作・・・この樹は凄い! わはは大き過ぎてフレームに入らん!


※⑭嵯峨御流・・・これも斬新な試みです。

 出品数も多く、見応えのある展示会です。

いま楽しみなドラマ『オスマン帝国外伝 ~愛と欲望のハレム~』

2018-10-26 07:33:22 | 映画・ドラマを観て考えよう
 10月に入って新しい番組が始まったが、これはというドラマがナイなあ・・・というヒトにお勧めしたいのがコレ!


※オスマン帝国外伝 ~愛と欲望のハレム~(BS日テレ / 月~金 / 14:30~16:00)

 韓流も中国ドラマもいささか食傷気味だったアナタ!これからは中東です。



 舞台はイスタンブール、オスマン帝国皇帝スレイマン1世の物語。
 のっけから調度や衣裳の豪華さに圧倒されます。
 で、皇帝スレイマンも・・・、そして重要な役割を担う小姓頭イブラヒムも・・・、髪の毛が少ない
 トルコでは『ハゲを嫌う女性はいない』というのは知っていましたが、これは凄い!
 頭髪に不自由している諸君!君等のモテ期はトルコにある!


※最盛期のオスマン・トルコの版図

 この時代、オスマン・トルコは最盛期、その版図は北アフリカから中部ヨーロッパにまで至る大帝国。
 まさに地中海の覇者です。で、皇帝妃や侍女たちはヨーロッパ系美女がてんこ盛り。
 当然起こる後継者争いの確執・・・中国でもよくある後宮モノなんですが、陰湿さはあまりなく、ライバルへの攻撃が実に直接的です!
 母后に(乳母に預けるとされて)『息子を奪われた』と吠えまくる皇帝妃ヒュッレムのド迫力、また一方で小姓頭イブラヒムと皇女ハティジェの許されない恋の行方は?と目が離せません!

 この秋イチバンのドラマです!


 で、最後はQueenの曲でお別れです。またね!

Queen "Mustapha" (Official Montage Video)