(承前)←その3に戻って読み直したい人はこの文字列をクリック。
4.ロンメルは名将だったのか?
※砂漠に立つロンメル将軍
ロンメルの指揮ぶりはつとに有名ですが、この本では補給という観点からその戦略を分析しています。
ロンメル率いるDAK(ドイツ=アフリカ軍団)については、以前「砂漠のキツネ」という本の紹介で詳細にお知らせしていますので、ここでは過去記事を参照しながら、その戦術の評価を抜き書きしてみます。
※(↓)①~⑪の題名をクリックすると過去記事を参照できます。
ヒトラーから攻撃を禁じられたロンメル。だが命令違反を承知で攻勢に打って出る。
本来は英軍の進撃阻止のための迎撃部隊で、できるだけ小部隊にとどめる計画だった。
英軍の戦車1000台による大攻勢が始まる。
迎え撃つロンメル側の戦車は500台、戦力差は火を見るよりも明らかだったのだが・・・。
ヒトラーのムッソリーニ援助は、守備範囲を『機動戦のできる広い地域』としていた。
ロンメルの戦略は冴え、キレナイカに集結した英軍は壊滅した。
ドイツ軍はムッソリーニを無視して攻勢に出た結果、作戦と兵站の板挟みになって苦しむことになった。
ロンメルの命令は『物資は英軍から調達せよ』だった。
物資はトリポリに荷揚げされるため、前線まで届ける陸上輸送の距離が膨大なものになった。
ドイツ=アフリカ軍団の危機!命からがらの脱出劇。
補給の差が勝敗を決する砂漠戦では、輜重部隊の脱落は死に直結する。
⑥.トブルク要塞陥落
戦いの主導権は再びドイツの手に!
トブルク港を奪取したものの、さらに補給線は東に延びる結果となった。
勝ちはしたものの、あまりに消耗が激しいドイツ=アフリカ軍団。
英軍の空爆により機能しないベンガジ港とトブルク港。艦船の被害が増大し、前線の物資は常に不足した。
ドイツ・アフリカ軍団は力尽きて砂漠に斃れた。
嵐のような進撃が補給業務の崩壊を招いた。
⑨.最後の大作戦
ロンメル畢生の大作戦だったが・・・。
ドイツ軍の暗号が敵に解読され作戦は失敗に終わった。
⑩.英軍の大攻勢
英米に物量の差で敗北するドイツ軍。
米軍のモロッコ上陸で挟み撃ちの危機に陥るドイツ軍。
近代戦における最後の一発とは何を意味するのか?
ドイツ軍は最後まで戦い、残った武器を破壊して降伏した。
この本では『利用できるものが何もない砂漠で、膨大な距離を輸送に費やしたことがドイツ軍の敗因となった』と結論づけています。
※北アフリカ全図:荷揚げ港トリポリからベンガジまでの距離は約600マイル、これはポーランドからモスクワまでの距離に相当する。
トリポリ港の荷揚げ能力は低く、ドイツ=アフリカ軍団の需要をとうてい満たせなかった。また、ベンガジ港は英米軍の空爆圏内にあり、その能力は著しく制限されていた。そのため物資は膨大な距離を陸路で運ぶしかなかったのである、と。
この本での結論は次のようになっています。
ドイツ国防軍が一部しか自動車化されず、本当に強力な自動車産業によって助けられていなかった以上、また政治的事情のためにイタリア軍という無用の重荷を負わなければならなかった以上、あるいはリビアの港湾能力が低く運搬距離が非常に遠かった以上、ロンメルの戦術的天才をもってしても、枢軸国軍の中東進撃を補給する問題は解決不可能だったことは明らかだ。このような状況下では、北アフリカでは限られた地域を守るために部隊を送るのだというヒトラーの最初の決定は正しかった。そしてロンメルが再三にわたってヒトラーの命令に挑戦し、基地からの適当な距離を越えて進撃を試みたことは誤りであって、決して黙認すべきことではなかったであろう。
(つづく)←その5へ進んで読みたい人はこの文字列をクリック!