吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

カワサキモーターサイクルフェア2017(神戸海洋博物館/2月14日~2月26日)

2017-02-27 10:41:51 | 日々美しいものに触れようよ
 神戸海洋博物館で開催されたカワサキモーターサイクルフェア2017に行ってきたのだった。
 神戸海洋博物館にはカワサキワールドが併設されていて、川崎重工業の展示があるのですが、今回は特別展としてモーターサイクルフェアが開催されているのだった。


 H2R・・・バイク界のフェラーリと呼ばれる高性能マシン。通常のバイクのヘッドライトにあたる部分は巨大なエア・インテークになっています。カワサキ得意のRAMエア・システムの発展形ですね。ヘッドライトは?と見ると何とバック・ミラーと一体化した斬新なデザインです。


 マッハIV・・・後にも先にもこれに比べるものはない『寝ない、曲がらない、止まらない』と3拍子揃った伝説のバイク。H2と呼ばれた750ccモデルにはマッハIVの日本名が与えられました。
 前述のH2Rの命名にはこのマッハを超えるバイクという意味が与えられているのですね。


 Z900・・・言わずと知れた名車中の名車。日本国内では750ccに排気量を制限されて売り出されたが、ゼッツーの愛称で憧れの的になったバイク。


 W1S・・・これも往年の名車。リバイバルを望む声が多く、近年W800としてリニューアルされました。


 W2SS・・・マフラーがスクランブラー・タイプになったのが実にカッコいい!


 KZ1000S・・・ゼッケン21の"ステディー"エディー・ローソン・モデル。ライム・グリーンのカラーリングにシビれます。


 サーキット走行を体験できるRideXシステム。


 RideXシステム体験中・・・これは必死でコーナリングをしている状態です。思わず『ハング・オン!』とか『マモラ乗り!』をしてしまいますが、実はバイクは直立していて、画面の方が傾いているんですね。没入してヤってるとハタ目にはバカみたいです


 (ご参考)一度はヤりたい『マモラ乗り!』本来体重を預けるのがセオリーであるはずの外側の足が浮いている(!)のがポイント!


 Z250・・・スパルタンな感じの割には扱い易そうなバイクです。


 ヴェルシス・・・アドベンチャー・バイク。ポジションも楽でシートも低く『これなら何処までも走って行けそう』と思えるモデルです。

 今回の展示は26日で終わってしまいましたが、定期的にヤっているので、機会があれば行ってみてください。

ダメ男の天国!!『クラーナハ展』国立国際美術館(1月28日~4月16日)

2017-02-24 12:36:38 | 日々美しいものに触れようよ
 開催中の『クラーナハ展―500年後の誘惑』に行ったのだった。

 最近は『クラーナハ』と言うらしい、私が学生の頃は『クラナッハ』と言っていたはずだが・・・。
 チケットを買って地下3階へとエスカレータを降りて行く。
 今回のクラーナハ展は日本初!!!今年の美術展の中ではイチ押しです。


※『マルティン・ルター

 クラーナハといえば世界史の教科書に必ず登場するマルティン・ルターの肖像!!!あれを描いた人ですが、実はクラーナハの本領は別のところにあります。何といってもクラーナハはエロい!!!


※『正義の寓意

 一応絵画にヌードを描く言い訳として『これはビーナスですよ』とか『これは正義の女神ですよ』とか・・・申し訳程度に主題があるンですが、これって絶対『隣のお姉さんの裸』だよね。実に生々しいヌードです。ちょっとアンバランスなデッサンが妙にソソります。これらは実物を見ると『えっ!?こんなに小さいの!!』と驚きます。公には飾れずに、個人の楽しみのために描かれたヌードですから、夜中にこっそり取り出して壁に飾って『むふふ』と喜ぶ・・・いやー何ともいえませんなぁ(これで夜な夜な楽しんでいるなんて全くのダメ男でしょう!・・・ホント)。


※『泉のニンフ

 一見裸のように見えるこれらの作品ですが、実はごく薄いレースを纏っていて、それが透けて肌が見えているという設定です。
 いやーポルノよりも着エロの方が扇情的だというイイ見本ですなあ。ただ見せるよりも、隠そうとして見えている方がエロいんです。このあたりは電車やエスカレーターでスカートの中を盗撮しようとして捕まるようなダメなオジサン達の心理を衝いているようです。ご丁寧に『見ちゃダメ!(彼女の眠りを妨げることなかれ)』などと書いてあったりして、もうドウシヨウモないですなぁ。


※『ホロフェルネスの首を持つユディト

 代表作は『ホロフェルネスの首を持つユディト』ですが、この切られたホロフェルネスの首にご注目!!

 ダンナ・・・いい貌してますなあ。実に気持ち良さそうです。だいたいの男性は『切られたホロフェルネスの首になりたい!!』と思うことでしょう。そう思ったアナタのために会場の入り口にこの絵画のパネルが置かれています。パネルにはユディトの顔とホロフェルネスの首のところに穴が開けられていて、穴から自分の顔を出して写真に収まることができるので、ぜひ試してみてください。


※『ヘラクレスとオンファレ

 この他にも女性に囲まれて骨抜きにされるヘラクレスやら、髪を切られて力を失うサムソンやら、ダメ男満載です。
 女性にイイようにされたい欲求は結構あるようで、最近のAUスマホのCMで、学校にやってきた乙姫さんが『やってみたかったんだよね・・・スパルタ教師!!!』と鞭を取りだすと、生徒役の浦島太郎が『もう、ココ天国ーっ!!!』と叫ぶ、アレですがな。

 実に楽しめます。クラーナハの作品は様々な美術館に分かれて保管されているので、これだけの作品を一度に見ることができるチャンスはもうないでしょう!!!ぜひ足を運んでみてください!損はありません!

ベネディクト・カンバーバッチ主演『フランケンシュタイン』(2016,12,25)その3

2017-02-09 13:08:08 | 映画・ドラマを観て考えよう

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 約束は破られた!自らの伴侶となるはずだった存在を破壊された『怪物』はヴィクターの屋敷へと向かいます。
 そこにはヴィクターの婚約者が居るのです。
 屋敷に忍び込んだ『怪物』はヴィクターの婚約者に出会います。
 『怪物』の恐ろしい姿にも怯まないヴィクターの婚約者は『怪物』に名前を尋ねます。

 『お名前は何というの?』
 『名前は・・・付けてもらえなかった!!!』(←これも実に悲しい言葉です!)

 『怪物』はヴィクターの婚約者にこれまでの経緯を打ち明けます。『怪物』に同情するヴィクターの婚約者。
 安心するように言った『怪物』ですが、突然襲いかかり、ヴィクターの婚約者を犯し、殺してしまいます。
 そう、とうとう『怪物』はヴィクターから『嘘をつくこと』を学んだのでした。

 すべてに絶望した『怪物』は北極へ向かいます。人間の住まない地で一生を終える決心をしたのです。
 そしてヴィクターもまた『怪物』を追って北極へ向かいます。『怪物』との決着をつけるために。

 遭難したヴィクターを救ったのは何と『怪物』でした。
 『怪物』はヴィクターに『決着をつけにこい』と言い残して去ります。
 立ち上がったヴィクターが弱弱しく『怪物』の後を追うシーンで劇は終わります。



 どうです。凄い話でしょう。実はこれこそが原作に最も近い『フランケンシュタイン』です。
 皆さんの中の『フランケンシュタインの怪物』像が覆ったんじゃないでしょうか?
 これまで見て来たように、この話は新しい『失楽園』だったのです。
 それにしても『怪物』よりも『人間』の方がずっと恐ろしい存在ですね。

 (この項終わり)



 2018,10,22追記 この原作となった小説を「実際にやっちゃった」科学者がいた(!)というのをTVで放映してました→フランケンシュタインの誘惑E+『人体蘇生 / ロバート・コーニッシュ』。恐ろしいことです。
 


ベネディクト・カンバーバッチ主演『フランケンシュタイン』(2016,12,25)その2

2017-02-07 09:27:02 | 映画・ドラマを観て考えよう

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 『怪物』が愛読する本のひとつがミルトンの『失楽園』であるのは、じつに象徴的です。

 ※『失楽園』の挿絵から・・・女は強い。
  嘆き悲しむアダムに比べるとイヴは『白子屋お熊』のように堂々としています。

 西洋には『原罪』という考え方があり『人類の祖先たるアダムが神に逆らい智恵の木の実を食べ楽園から追放され、その罪は全人類に行き渡っている』というものです。
 ちょっと待てよ。では繋ぎ合わされた屍体に生を吹き込まれたこの『怪物』こそは楽園の住人、すなわち無原罪の存在であるに違いありません。ところが、この地上に生まれ落ちたばかりに、その外見の醜さから、とんでもない苦しみを負わされることになってしまうのです。

 『怪物』に言葉や文字を教えた全盲の老教授は『怪物』の純粋な心に感動し、息子夫婦に『怪物』を引き合わせようとします。この出会いはまたもや悲劇に終わります。あたら眼が見えるばかりに『怪物』の美しい心に気付くことができず、息子夫婦は『怪物』を追い払ってしまうのです。

 怒り絶望した『怪物』は自分の取るべき行動について考えます。結論は『ローマ皇帝ならどうする?・・・そうだ!復讐だ!』でした。一家の住む小屋に火を付けて、一家が焼け死ぬさまを見届けた怪物は、自分を造り出した父親を捜す旅に出ます。そう、『怪物』は今では唯一の手掛かりだった研究ノートが読めるのです。それには『ヴィクター・フランケンシュタイン』の名がはっきりと書かれていました。

 人間の持つ『悪』や『罪』を学んでしまった『怪物』は、とうとう自分の創造主を捜しあてます。

 ヴィクター・フランケンシュタイン。彼こそは自分をこの世に送り出した存在です。

 『怪物』は、これまでの人生で自分がいかに孤独だったかを語り『人間にも動物にも必ず連れ合いがいる』と説いて『異形のアダムたる自分とともに生きてくれるイヴを造ること』をヴィクターに要求します。『伴侶を造ってくれれば誰も知らないところへ行って二人で静かに暮らすから』と。まるで愛の逃避行です。なんて切ない話なんでしょう。


 ヴィクターはイギリスの漁村に研究所を定め、今度は女の屍体をひそかに集めて切り刻む毎日を送ることになります。毎日血みどろの生活ってのは悪夢の中の出来事のようでゾッとしませんが、努力の甲斐あって屍体から今度は美しい女を作り上げます。

 このくだりは映画『フランケンシュタインの花嫁』にも描かれていますが、映画の翻案は強烈で、完成した女性は『私はイケメンが好きなのよ』と曰(のたま)わって『怪物』には洟もひっかけない・・・というミもフタもないストーリーだったと記憶しています。


 ところが、いよいよ命を吹き込もうという段階でヴィクターは怖じ気付きます。『怪物』をこれ以上増やしてはならないと、ヴィクターは命を与える前にこの死美人を『殺して』しまうのです。

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ベネディクト・カンバーバッチ主演『フランケンシュタイン』(2016,12,25)その1

2017-02-03 16:20:09 | 映画・ドラマを観て考えよう

 昨年のことですが、ベネディクト・カンバーバッチ主演『フランケンシュタイン』を観てきましたっ!


 これは博士役と怪物役がダブルキャストになっていてベネディクト・カンバーバッチとジョニー・リー・ミラーが交替で演じているのです。神戸朝日ホールで2ヴァージョン同日一挙上映という催しです。
 一日限りの上映は、以前の『ハムレット』と同じパターンです。

 この作品は映画の体裁をとっていますが、これはロンドン・ナショナル・シアターで上演された演劇をフィルム化したもので、ロンドンに行けないヒトのためにナショナル・シアターが用意してくれたフィルムによる地方上演なのです。

 前売りチケットを買うときには『怪物と博士どっちにしますか?』と訊かれます。もちろん『カンバーバッチ様が怪物役を演じるヴァージョンを観るのか、博士役を演じるヴァージョンを希望するのか』と訊かれているのです(ジョニー・リー・ミラーさんゴメンねっ!)。私はモチロン迷わず怪物版を選択(わくわくっ!)。

 最初に短いメイキング映像を観て、いよいよ本編が始まります。

 画面が暗転すると、舞台中央に何やらボンヤリとした赤いものが・・・、よく見ると人工的な子宮のようで、中で人間らしい影が蠢いています。と、見る間に、中から何かが産み出されます。それは人間の大人の姿をした『何か』です。生まれた『何か』はビクビクと躯を震わせ、転がり、這い、やがて立ち上がって一歩を踏み出し、遂には舞台中を駆け廻わります。最初はバラバラだった身体の動きが徐々に統合され、最後には自分の躯を自由にコントロール出来る喜びが溢れ舞台狭しと走り廻ります。このシーンが最初の見せ場です。


 突如場面が切り替わると蒸気機関車が現われ、この物語が産業革命前後の話だと分かります。生まれたその『何か』は研究所の外へさまよい出ています。初めて見る世界、その驚き、その美しさに感動する『何か』は、やがて人間に出会います。
 この出会いは悲劇的です。人を好きになるかどうかは第一印象で決まる(実際には最初の5分間が勝負)といいますが、何せその『何か』の身体全体が手術で縫い合わせた傷だらけなのですから、第一印象は最悪です。説明しようにもまだ言葉さえ知りません。人々はその『何か』を恐れ、手にした棒や農具で追い払ってしまいます。

 人間の姿をしながら人間に受け入れられない者、これは誠に恐ろしいことなのです。『怪物とは、それに襲われることが恐ろしい存在ではなく、それになることが恐ろしい存在である』という定義がありますが、このケースはまさにそれです。社会から忌み嫌われ、恐れられることほど恐ろしいことがありましょうか。

 中世ではこの世界に住むものは3つに分類されていました。神と人と動物です。キーワードは共存です。神とは『自足して共存する必要がないもの』、人とは『都市に住み共存するもの』そして動物とは『争い合い共存できないもの』です。中世の都市は城壁に囲まれていましたので、追放され都市に容れられない人間は、森に棲んで獣のような生活をし、ときに旅人を襲ったりするので、都市の住民から恐れられていました。これが狼男伝説のもとになっているそうですが、人でもなく、獣でもなければ『怪物』に分類されるのは致し方ないことなのかもしれません。

 いつしか『怪物』と呼ばれるようになった存在は、開拓者の一家(正確にはその中の眼の見えない老人)と出会います。元大学教授だったその老人は『怪物』(とは知らず)に言葉や文字を教えます。『怪物』はみるみる知識を蓄え、ついにはミルトンの『失楽園』を読み暗唱するまでに成長します。

 この演劇は原作に忠実な造りになっていて、私は『初めて原作に忠実な「フランケンシュタインの怪物」を観ることができた』と喜んだのでした。


 ※ボリス・カーロフ演じるフランケンシュタインの怪物
 これまで何回も映画化されてきましたが、博士の助手のちょっと頭のヨワいイゴールが屍体を集める際、研究室から脳の標本を盗もうとして誤って瓶を割ってしまい、隣にあった『犯罪者の脳』の標本を代わりに持ち帰ってしまう・・・という分かり易い失敗により、怪物は知能も足りずただ暴れるだけの存在として描写されてしまっていたのですから。

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