麿赤兒(まろあかじ)大先生が神戸にご降臨されると聞き、公演に駆け付けた次第です。
※大駱駝艦・天賦典式『パラダイス』2019年3月30日(土)15:00~神戸文化ホール
ご存知でしょうか?この方は・・・え?ギャングのボス役や後妻業で殺される老人役を演じた俳優だと思っている方が多いのではないですか?・・・それは世を忍ぶ仮の姿。しかしてその実態は?・・・控えよ!頭が高ぁぁぁぁい!恐れ多くもこの方こそは、かの土方巽に始まる暗黒舞踏の流れを正統的に継承する舞踏集団『大駱駝艦』の主宰であらせられるのだっ!
※会場入口には『大駱駝艦・天賦典式』の幟が掲げられている。
今回の公演は題して『パラダイス』。主催のお言葉に耳を傾けてみよう。
この作品に限らず、私たちの舞台は、観客のみなさんがどういう立ち位置で観るかによって、百人百様の味方ができます。不思議な迷宮の中に入って行くように感じたり、あるいは夢を見ているような気分になるかもしれません。
それぞれの感性でそれぞれのパラダイスを思い描きながら、自らも参加しているような気持ちで、ステジで繰り広げられることをのぞき見することによって、もう一つの自分だけの作品を創り、楽しんでいただきたい。
いっさいの説明はなく舞踏が展開していくので、以下はあくまで私なりの解釈です。
舞台はまず白塗りの裸体がひとつ所に重なり合ったマッスとしての表現から始まる。
それぞれの躯が分かれ、鎖に繋がれて回転し始める。宇宙の始まりである。
やがて原初の世界が現れるとそこに最初の人間、さらに二匹の蛇が現れる。
智慧の実を食べたアダムとイブの子孫の手によって文明が始まる(↓脚註1)。
発展した文明はやがて暴走を始める(↓脚註2)。
暴走する文明がついには世界を滅ぼし、最終的に『死』が勝利を収める。
※イメージとして入れてみました・・・ピーテル・ブリューゲル『死の勝利(部分)』
宇宙はやがて膨張から収縮に転じ、時間もまた逆に進む。
※イメージとして入れてみました・・・アンドロメダ大星雲
宇宙は一点に集結し、ビッグバン以前の状態に還っていく。何事も無かったかのように。
一時間30分に及ぶ大スペクタクル。楽しめました。
※脚註1:ダンスのシーンはマティス作品へのオマージュを感じました。
※脚註2:科学技術の暴走のシーンには福島原発事故のイメージが投影されているように感じられました。
※この度は、「アクマ的」とうたった弊社の商品「アクマのキムラー」が、言うほど辛くなかったということをお詫び申し上げます。誠に、申し訳ございませんでしたっ!(ゴツン)
そして、これまでにない辛さを誇る『アクマのキムラー激辛MADMAX』が発売されたのであった。
※『アクマのキムラー激辛MADMAX』は果たして荒廃した世界の救世主となるのであろうか?
中身はこの通り。『アクマのキムラー』を踏襲している。
※待てっ!Bの具材がキムチ, ニラ, 唐辛子って・・・薬味の間違いぢゃないのか?
Cの激辛スープってこれ・・・ほとんどラー油ぢゃん!
※出来上がり!(具材として玉子とキノコに赤パプリカを追加)・・・混ぜるとドンブリの内側ば真っ赤に染まる!
おおお・・・これこそ覇王!我らが救世主!サルベイション!・・・いざ!パラエソへ!(昇天)
※『アクマのキムラー激辛MADMAX』篇
註)チキンラーメンのホームページから一部転載しています。
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①スグ美味しい、スゴク美味しい・・・アクマのキムラーを作ってみた!
②ふたたび悪魔召喚!チキンラーメン『アクマのバタコ』を作ってみた!
久しぶりにTV放映されたのを観ました。
※美少年タジオを演じるビョルン・アンドレセン
トーマス・マンの同名小説を映画化したもので名作の呼び名が高い作品ですが、これといったストーリーはなく、要約すると『老芸術家がヴェニスを訪れ、美少年にひと目惚れするが、別に何かをするワケでもなく、その姿を追っているうちにヴェニスを去る機会を失い、当時猛威を振るっていた流行り病で亡くなる』って、こう書くとミもフタもありませんナア。
※どこへとも知れず向かう汽船・・・写真はタイタニック号(映画の汽船はもっと小さい)です。
冒頭、マーラーの「アダージェット(交響曲第5番第4楽章)」が陰鬱な響きを奏でる中、老芸術家を乗せた汽船が煙を吐きながら現れるシ-ンは夢の中の景色のようです。私は夏目漱石『夢十夜』の第七夜冒頭のシーンを思い出してしまいました。
何でも大きな船に乗っている。
この船が毎日毎夜すこしの絶間なく黒い煙(けぶり)を吐いて浪を切って進んで行く。凄じい音である。けれどもどこへ行くんだか分らない。
主人公アッシェンバッハ氏は原作では小説家だけれども、映画では音楽家に変更されています。そして友人からファーストネームで "グスタフ" と呼ばれ続けるンですが、これでますますマーラー本人と重なってくる仕掛けになっています。
作品の中でアッシェンバッハ氏(マーラー?)と友人(シェーンベルク?)が音楽論を闘わせ、最後にマーラーが絶対的な美を前に屈服する(↓脚注①参照)という、そういう映画です。
美の象徴となる少年タジオを演じるのがビョルン・アンドレセン。
タジオは単に美の象徴であるだけで、無邪気で何も考えない存在です。
主人公アッシェンバッハ氏の苦悩や恋心に一切気づきません(アッシェンバッハ氏がそのことをタジオの前では口に出さないのですから、当然と言えば当然ですが)。
それは、ただそこにそうしてあるだけで美しい存在なのです。ボッティチェリの描くヴィーナスのように。
※サンドロ・ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生(部分)』
タジオは没落したポーランド貴族の末裔という設定で、ヴィスコンティの映画を観ているヒトなら『さもありなん』です。没落貴族やら頽廃はヴィスコンティの大好きなテーマですから。
そうしてロンドン留学中に鬱になった夏目漱石のように『ただ見るだけで何もしない主人公』・・・ヴェニスでは疫病が発生し、観光局がそれを伏せている。主人公はヴェニスを離れるよう勧められるが、荷物発送の手違いから、また元のホテルに舞い戻るハメに・・・。
※疫病のはびこるヴェニスの街・・・シロッコ(↓脚注②参照)が疫病を運んでくる
舞い戻ってまたタジオの姿を見ることができたのを喜ぶ主人公(ああ・・・こりゃダメだわ!)。
※瀕死のアッシェンバッハ氏
やがて疫病はヴェニスに蔓延し、街中に消毒液が撒かれ、病死した人間の家具や衣服が燃やされて、その煙が立ち込める中、体調を崩したアッシェンバッハ氏は海辺の椅子に腰かけて亡くなります。水着姿のタジオが指さす彼方の世界を見つめながら・・・。
※タジオが指し示す彼方にあるものは?
※脚注①:このような考えは『耽美主義』と呼ばれます(以下ウォルター・ペイター『ルネサンス』結論から抜粋)。
『人間の精神に対して、哲学、あるいは思弁的な教養の果たす役割は、この精神を覚醒し、刺戟して、それに絶えず熱心に観察させるような生活を営ませることにつきる。刻々過ぎる瞬間に、何らかの形態がたとえば手とか顔とかにおいて完璧なものとなることがある。山や海の呈するある色合いが他の部分よりも際立って美しく見えることがある。情熱とか、洞察とか、知的な興奮とかから生じるある気分が、抗しがたい魅力とリアリティを感じさせることがある。しかし、これらはその瞬間のあいだのみ起こるのである。とはすなわち、経験がもたらす結果ではなく、経験それ自体が目的ということにほかならない。しかもこの多彩な、劇的な生活に関して、ある一定の脈搏数を数えられるだけの時間しか私たちには与えられていない。ではこのほんのわずかの時間内に、最も微妙な感覚によって認めうるものすべてを見逃さないためには、どうすればよいだろうか? きわめて迅速に時点から時点へと移動し、最も多くの活力がその最も純粋なエネルギーと化してひとつとなっている焦点に、どうしたら私たちはつねに存在することができるだろうか?
こうした硬い、宝石のような焰で絶えず燃えていること、この恍惚状態(エクスタシー)を維持すること、これこそが人生における成功ということにほかならない。』
※脚注②:シロッコは、初夏にアフリカから地中海を越えてイタリアに吹く暑い南風。 サハラ砂漠を起源とする風で、北アフリカでは乾燥しているが、地中海を越えるためにイタリア南部到達時には高温湿潤風となり、時に砂嵐を伴う。その化身は『魔神パズズ』とされ、映画『エクソシスト』では主人公に憑りついた悪魔として描写された。
その③にて病の癒えた小栗判官は都に戻り美濃の国守に任ぜられます。
※スーパー歌舞伎『小栗判官』パンフレット表紙
新しい国守(小栗判官)は赴任早々『近江屋を訪ねる』と言いだし、周囲をあわてさせます。
近江屋の主人はおっかなびっくり『これまでの自分の悪行が露見したのでは』と気が気ではありません。
えらいこっちゃ。えらいこっちゃ。えらいこっちゃ。国守様が来る?そんなことは初めてだ。お咎めがあるにちがいない。わしも随分あこぎなことをしたからなあ。朧月夜は去年の暮れに死んだ。朧月夜は肺病でこんこん咳をしていた。その朧月夜に客をとらせたのだ。それも、客をとったほうが病気がよくなるから、とおまえが言って客をとらせたのだ。そして客を取らせて三日目に朧月夜は死んだ。あーあ、この件がばれたに違いない。俺もあこぎだった。だけどおまえはもっとあこぎだった。おまえがあんなことを言わねばよいのに。
ここで主人がおまえと呼んでいるのは近江屋の女房のことです。
小萩(実は照手姫)はその働きぶりを認められ、使用人でありながら近江屋の切り盛りを任されるまでになっていました。小萩に『それはもう昨年の暮れに済んだことですよ』と諭されても、近江屋の主人の心には心配が次々と頭をもたげてくるのです。
そうか、それなら安心だ。それでなかったら夕霧のことかもしれない。夕霧は三十両で買った。ところが、夕霧をわしは十年働かせた。証文に五十両借りたとあるから、一年で五両で十年だ、とわしらは言い張った。しかし本当は三十両だったのだ。偽の証文をつくって、夕霧とその親父をだましたのだ。(頭を抱える)ああ、これがばれたに違いない。夕霧か夕霧の親父が国府へ訴え出たに違いない。あーあ、俺は打ち首だ。遠島行きはまぬがれないだろう。今度の国守様はお情けのある国守様かもしれない。お情けがあったとしても財産没収、営業停止は免れまい。あーあ、おれたちは破滅だ。どうしたらよいか。どうしたらよいか。小萩、助けてくれ。
小萩は女郎衆に休みをやって、近江屋の下働きたちを差配し、国守様の接待に全力をあげるよう働きます。
しかし、近江屋の主人の心はさっぱり休まりません。
ああ、賄賂を使えばよかったのだ。あの介殿はしはしばお忍びで遊びに来たのに、たいしたおもてなしをしなかった。あのとき大いにもてなしをし、賄賂を与えておけばよかったのだ。おまえがそんなことをする必要はないと言うもんだから、こんなことになってしまったのだ。介殿さえ味方にしていたら、たとえ罪はばれてもかばってくれる。しまった、しまった。おまえがあんなことを言うものだから。
主人の心配をよそに、到着した小栗判官は小萩を呼び寄せ自分の正体とこれまでの経緯を語って聞かせます。
驚く小萩を妻に貰い受けると宣言したので、主人夫婦もひと安心。
そこへひょっこり遊行上人が訪れる。
※遊行上人・・・『南無阿弥陀仏』と唱える言葉がみ仏になる六波羅蜜寺の空也上人立像(重要文化財)
この来訪を喜んだ小栗判官は『皆で喜びを踊りで表す遊行上人の念仏踊りをやろうじゃないか』との提案を快く受け入れ、遊行上人が音頭をとって皆が踊り出します。
はねばはね踊らばをどれ春駒(はるこま)ののりの道をばしる人ぞしる
ともはねよあくてもをどれ心ごま弥陀の御法(みのり)と聞(きく)ぞうれしく
こゝろよりこゝろをえんと意得(こころえ)て心にまよふこゝろ成(なり)けり
これにて大団円にございます。
最後までご高覧戴き誠にありがとうございました。
(小栗判官 / 完)
しばらくご無沙汰しておりました。
久しぶりに神戸元町レストラン「ル プティ シエル」でランチを戴きました。
以前は乙仲通にあったンで通い易かったのですが、下山手通に移転したのでランチには大遠征なんですよ~。
ここのランチは見るだけでも楽しめます。
※ああっ!ナプキンがバラの花に!・・・白ワインを1杯戴きました。
※アミューズ:新タマネギのスープ, 豚肉のパテ, アサリのオイル蒸しクルトン添え
※前菜:サーモンのマリネにラタトゥイユ添えのサラダ仕立て, 玉子とオリーブのソース
ここのサーモンマリネは絶品~!!!
※魚料理:サワラの網焼き, 春キャベツとアイスプラントにマイクロトマトを添えて
※肉料理:ポークソテー, タマネギとからし菜の焼き物添え
※デザート:クリームブリュレ, 生チョコに季節の果物(イチゴ, オレンジ), 食後のコーヒー
ああ美味しかった。